ヤ城さ句

April 2141997

 むつまじき吾が老父母にパンジーなど

                           赤城さかえ

良きことは美しき哉。素直すぎるくらいの句だ。が、妙にひねくりまわすよりも、このほうがよほどいい。作者とともに、読者もホッとできる。ところで、このパンジー(三色菫・遊蝶花)。どんな歳時記を開いても春の部に収録されているが、実際には秋でも冬でも元気に咲いている。近年、新しい品種が開発されたからだ。老舗の「タキイ種苗」(下り新幹線で京都駅近くにさしかかると、北側に本社社屋が見える)が二十年という歳月をかけて品種改良したものだという。冬の北欧などでパンジーを見かけたら、日本産と思って間違いはないそうだ。すなわち、今後創作されるパンジーの句は、必然的に「無季」ということになってしまう。「タキイ」も余計なことをしてくれた。と言ってよいのか、悪いのか……。(清水哲男)


June 2261999

 高窓や紅粛々と夏至の暁け

                           赤城さかえ

至は、北半球で昼間が最も長い日。昔、その理屈も教室で習った。太陽が夏至点に達し、天球上最も北に片寄るので云々と。当ページを書いていて思うことの一つに、学校ではずいぶんと色々なことを、過剰なほどに習ったということがある。ただし、習った記憶だけはあるのだが、習った中身をずいぶんと忘れてしまっているのが、とても残念だ。夏至の理屈も、私にはその一つ。夏至がめぐってくるたびに、理屈を本で調べ直す始末である。大枝先生、ごめんなさい。でも、調べる年はまだよいほうで、たいていの年には「夏至」なんぞ忘れている。ラジオの仕事に関わっているので、局に行ってからはじめて「夏至」と知ることも多い。そこへいくと、さすがに俳人の季節に対する意識は強烈だ。句のように、夜が暁け(あけ)てくるときには、既に「夏至」を意識しているのだから……。皮肉ではなくて、できれば私も、これからは「粛々と」(これも皮肉ではない)この作者のようにありたいと願う。暦の上で、「夏至」は夏の真ん中だ。せっかく生まれてきたのだから、ジャイアンツの誰かさんのように、ど真ん中の直球をぼおっと見送って三振したくはない。(清水哲男)


July 1372005

 鹽味のはつたい新刊の書を膝に

                           赤城さかえ

語は「はつたい(はったい)」で夏、「麦こがし」に分類。「はったい」は京阪神での呼び名のようだ。麦を炒って細かく挽き、粉にしたもの。砂糖を加えてそのまま食べたり、湯に溶いて食べたりする。いまでも探せば売っているらしいが、日常的にはなかなか見かけなくなった。掲句は、砂糖がまだ貴重品で高価だった時代のものだ。戦後間もなくの頃だろう。どれくらい貴重だったかについては、子供だった私にも鮮明な記憶がある。来客があると、いわゆるお茶うけに、菓子がわりに単なる砂糖を出したものだった。半紙の上に小さく盛られた砂糖の山を、大の大人がありがたくぺろぺろと舐めていたのだから、今ではちょっと信じられない光景である。それを横合いから、舐めさせてもらえない子供が恨めしそうに盗み見している……、そんな時代だった。だから本来は砂糖を入れるべき「はったい」に、「鹽(しお・塩)」をかけて食べたとしても、そんなに珍しい食べ方というわけではない。これまた、私にも体験がある。もちろん美味くはないけれど、作者の場合には、そんなことよりも膝の上に置いた「新刊の書」への期待で胸が高鳴っている。すなわち、彼は砂糖を購うことよりも、その代金を節約して新刊書を求めたというわけで、心中は意気軒昂。さながら「武士は食わねどナントヤラ」の気概に、一脈通じる趣のある句だ。この時代に、逆に私の父は家族の食のために、全ての本を売り払った。今年は敗戦後六十年、複雑な思いが去来する。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川文庫)所載。(清水哲男)




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