April 221997
梅の実の子と露の子と生れ合ふ
中川宋淵
花が散った後、気にも留めなかった梅の枝に小さな実がついているのに気がつく。近よってみると、その梅の実にさらに小さな露の玉がついている。青い梅の実と透きとおった露がすがすがしい。植物、梅の実は水があってこそはもちろんだが、「露の子」も「梅の実の子」の柔毛?があってこそ生まれたという生命の共生への思いを込めた「生れ合ふ」だろう。(齋藤茂美)
April 211997
むつまじき吾が老父母にパンジーなど
赤城さかえ
仲良きことは美しき哉。素直すぎるくらいの句だ。が、妙にひねくりまわすよりも、このほうがよほどいい。作者とともに、読者もホッとできる。ところで、このパンジー(三色菫・遊蝶花)。どんな歳時記を開いても春の部に収録されているが、実際には秋でも冬でも元気に咲いている。近年、新しい品種が開発されたからだ。老舗の「タキイ種苗」(下り新幹線で京都駅近くにさしかかると、北側に本社社屋が見える)が二十年という歳月をかけて品種改良したものだという。冬の北欧などでパンジーを見かけたら、日本産と思って間違いはないそうだ。すなわち、今後創作されるパンジーの句は、必然的に「無季」ということになってしまう。「タキイ」も余計なことをしてくれた。と言ってよいのか、悪いのか……。(清水哲男)
April 201997
初孫はいとしき獣山笑ふ
増田耿子
孫と猫を素材にした詩歌にはロクなものがない。というのが、私の持論だ。対象にべたつきすぎるからである。自己陶酔の押し売りでしかない場合が多いからだ。その意味で、この句の「いとしき」も気にはなるが、孫をずばり「獣」ととらえたところが新鮮だ。言われてみると、人間が本当に「獣」と同じである時間は、赤ん坊のときだけのような気がする。獣は山に棲む。だから、山は微笑して赤ちゃんを見守る存在だ。「山笑ふ」という季語を使った俳句という観点から見ても、異色の一句だろう。『一粒句集』第34集(電通関西支社・電通会俳句部刊)所収。(清水哲男)
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