v句

April 2241997

 梅の実の子と露の子と生れ合ふ

                           中川宋淵

が散った後、気にも留めなかった梅の枝に小さな実がついているのに気がつく。近よってみると、その梅の実にさらに小さな露の玉がついている。青い梅の実と透きとおった露がすがすがしい。植物、梅の実は水があってこそはもちろんだが、「露の子」も「梅の実の子」の柔毛?があってこそ生まれたという生命の共生への思いを込めた「生れ合ふ」だろう。(齋藤茂美)


November 24112007

 寒月や耳光らせて僧の群

                           中川宋淵

昧だった秋から、いきなり冬になってしまった感のある今年だが、中秋の名月、後の月ともに、月の美しさは印象に残るものだった。天心に白く輝く名月に比べ、しだいに青みを帯びてくる冬の月。枯木のシルエットの途切れた先に上る月は、凩に洗われ、星々の中にあって孤高である。そんな冬の月に、耳が照らされて光っているという。それも、僧の群。しかしその人数が多ければ多いほど、しんとした夜気を感じるのは、耳というポイントの絞り方が、はっきりとした映像を結ぶからか。臨済宗の僧侶だという作者。臨済宗は禅宗の一派なので、僧達は座禅を組んでいるのか、あるいは鉢を持って、長い廊下を僧堂へ向かって歩いているのか。いずれにしても見えてくるのは、一人一人の後ろ姿と、冴え冴えとした月光に照らし出されたかすかな白い息。臨済宗は仏心宗ともいわれ、心身を統一し、自らを内観することで、己の中にある仏を悟るのだという。修行の日々は、戒律の下の集団であっても、常に己と向き合い続けているのであり、その姿は、寒月のように孤高である。今日は、旧暦十月十五日、この冬最初の満月。次の満月はクリスマスイブなんだ、などと月のカレンダーを見つつ、歳時記の「冬の月」の項を読んでみた次第。『新日本大歳時記』(1999・講談社)所載。(今井肖子)




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