May 011997
暮れ際の紫紺の五月来りけり
森 澄雄
三月が女性的な月だとすると、五月は男性的なそれである。満開のつつじの道を縫って行く赤旗の列も美しいが、労働者の祭典が幕を閉じた後の暮れ際の空の色は、まさに紫紺。凛とした思いが、ひとりでに沸き上がってくる。春愁の季節は確実に過ぎていき、太陽の季節が近くなってきた。(清水哲男)
April 301997
永き日のにはとり柵を越えにけり
芝不器男
年間でいちばん日照時間が長いのは夏至だが、俳句では「永き日」を春の季語としてきた。ゆったりとした春の日の実感からきたものだろう。ちなみに、夏は夜に焦点を移動して「短夜(みじかよ)」という季語を使う。このあたりの私たちの微妙な感覚は、外国人にはなかなか理解できないかもしれない。ところで、この句。ありのままの情景を詠んだものだが、無音のスローモーション・フィルムを見ているようで、句全体が春の日永の趣きを的確に描出している。句は忘れても、このシーンだけはいつまでも脳裏に残りそうだ。(清水哲男)
April 291997
おだまきの花より美しきひとめとらむ
牧ひでを
観賞用に栽培されているが、詩歌に出てくるのは、ほとんどが高山に自生するミヤマオダマキ(深山苧環)だ。たとえば、萩原朔太郎「夜汽車」の「ところもしらぬ山里に/さも白くさきてゐたるをだまきの花」など。仲春から初夏にかけて、白色または青紫色の花を下向きに開く。花の形は「苧環」(つむいだ麻糸を玉の形に巻いたもの)に似ている。一見地味で清楚なたたずまいだが、よく見るとなかなかに艶っぽい花でもある。そこで、この句が生まれたのだろう。「美しき」は「はしき」。(清水哲男)
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