1997N54句(前日までの二句を含む)

May 0451997

 煮蜆の一つ二つは口割らず

                           成田千空

間にも強情な奴はいるが、蜆(しじみ)にも、なかなかどうして頑迷な奴がいる。素直じゃない。可愛くない。とまあ、これはもちろん口を割らない蜆のせいではないとわかってはいるけれど、ついつい人間世界に擬してしまいたくなるのが、人情というものだろう。滑稽にして、俳味十分。成田千空は、かつて学生時代の私が投句していた頃の「萬緑」(中村草田男主宰)のエース級同人。現在の主宰者である。(清水哲男)


May 0351997

 憲法の日や雑草と山に居る

                           熊谷愛子

法が施行された五十年前に大人だった人々にとって、新憲法はまぶしいほどの衝撃をもたらしただろう。とくに、第9条は。「……国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。文字通り塗炭の苦しみをなめさせられた庶民のひとりとして、作者は戦争のない世の中の幸福をしみじみと味わい、雑草さえもがいとしく感じられ、共に生きる心持ちになっている。風はそよ風。上天気。(清水哲男)


May 0251997

 逢ひにゆく八十八夜の雨の坂

                           藤田湘子

春から数えて八十八日目。「八十八夜の別れ霜」などといわれ、この時期、農家にとっては大敵の時ならぬ霜が降りることがある。この日を無事に通り抜ければ、安定した天候の夏がやってくるというわけで、八十八夜は春と夏の微妙な境目なのだ。しかし、このスリリングな日を実感として受けとめられる人は、もはや少数派。死語に近いかもしれない。したがって、この句の作者が恋人に会いに行く気持ちについても、解説なしではわからない人が多いはずだ。一年中トマトやキュウリが出回る時代となっては、それも仕方のないことである。近未来の実用的な歳時記は、おそらく八十八夜の項目を削除するだろう。(清水哲男)




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