1997N514句(前日までの二句を含む)

May 1451997

 女教師の眉間の傷も夏めけり

                           清水哲男

めく」は微妙な季語である。まだ春の雰囲気が残っているころ、なにげないものに夏の匂いを感じるというわけである。歳時記では「夏」。生と死のぎらぎらする夏。「女教師の眉間の傷」は短編小説に発展する素材でもある。作者は多分、その時中学生(高校生かな)。いずれにしろ微妙な年齢である。見てはならないものを見てしまったというより、それに魅せられ想像力をふくらませているとも言えるが、むしろ冷静に大人びた観察をしているように思える。その傷ははつかな汗に淡い光を帯びている。『匙洗う人』所収。(佐々木敏光)


May 1351997

 そら豆はまことに青き味したり

                           細見綾子

までは、ビールのつまみ。子供の頃は、立派なおかずだった。この句からよみがえってくる味は、子供の頃のそれである。我が家の畠で収穫したそら豆は、本当に「青き味」がしたものだが、いまどきの酒場で出すものには「青き味」どころか、ほとんど味というものがない。変な話だが、東京では銀座あたりの料亭にでもいかないと、そら豆にかぎらず「青き味」などは味わえなくなってしまった。ある所にはあるということ。ところで、なぜこの豆を「そら豆」というのだろうか。「葉を空に向けるので」と、物の本で読んだことがある。(清水哲男)


May 1251997

 薔薇熟れて空は茜の濃かりけり

                           山口誓子

薇の花が開ききった夕暮れ時、折りからの空はあかね色に濃く染まってきた。どちらの色彩もが、お互いに充実しきった一瞬をとらえている。しかし、この充実の時は長くはない。中村草田男に「咲き切つて薔薇の容(かたち)を超えけるも」があるが、いずれも普通の観賞句より、一歩も二歩も踏み込んで詠んでいる。誓子句のほうがよほど抒情的だけれど、こちらのほうが大方の日本人の好みには合うだろう。蛇足ながら、薔薇の句に名句は少ない。花が西洋的で豪奢すぎるせいだろうか。(清水哲男)




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