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June 1761997

 夕焼のうつりあまれる植田かな

                           木下夕爾

田(うえた)は、田植えを終わって間もない田のこと。殿村菟絲子に「植田は鏡遠く声湧く小学校」とあるように、天然の大鏡に見立てられる。やがて苗がのびてきた状態を「青田」という。さて、この句であるが、夕焼けをうつしてもなお余りある広大な水田風景だ。といって、句それ自体には作者の力技は感じられず、むしろ繊細な感覚が立ちこめている。このあたりが抒情詩人であった夕爾句の特長で、根っからの俳人には新鮮にうつるところだろう。舞台は、戦後間もなくの広島県深安郡御幸村(現・福山市御幸町)。『遠雷』所収。(清水哲男)


September 2691997

 男の傘借りて秋雨音重し

                           殿村菟絲子

の天気は変わりやすいので、こういうことも起きる。この場合、実際に重いのは男用の傘なのだが、こまかい秋雨の音まで重く感じられるというところが面白い。とりあえず助かったという思いと、重い傘の鬱陶しさとの心理的な交錯。この傘を返しにいくときが、また重いのである。あした晴れるか。(清水哲男)


January 1111999

 三寸のお鏡開く膝構ふ

                           殿村菟絲子

方差もあるが、全国的には一月十一日に鏡開を行うところが多い。最近では住宅事情もあり、あまり大きな鏡餅を飾る家は少なくなってきた。テレビの上に乗るほどの小さなものが好まれている。句の鏡餅も直径「三寸」だから、そんなに大きくはない。だが、すでに餅はカチンカチンに固くなっているから、相当に手強い相手だ。鏡開は「鏡割」ともいうように、餅を刃物で切ることを忌み、槌などを用いて割る。力と気合いが必要だ。句の場合は、ましてや非力の女性が割るのだから、どうしても「膝構ふ」という姿勢になってしまう。鏡開の直前のスナップ・ショットとして、秀逸な一句だ。軽い滑稽味も出ている。一方、村上鬼城には「相撲取の金剛力や鏡割」があって、こちらはまことに豪快で頼もしい。素手で割っているのだ。作者は、その見事さに賛嘆し感嘆し、呆れている。今年の我が家は鏡餅を飾らなかった。というか、うかうかしているうちに飾りそこねた。したがって、当然の報いとして、今夜のお汁粉はなしである。SIGH !(清水哲男)


November 06111999

 竜胆の花暗きまで濃かりけり

                           殿村菟絲子

胆(りんどう)は、根を噛むと非常に苦いので、竜の肝のようだということから命名されたようだ。日のあたるときにだけ開き、雨天のときや夜間は閉じてしまう。句は、閉じてもなお自分の色を失わぬ竜胆の花に、気丈な性質を見てとっているのだろう。もちろん、同時に花色の鮮やかさを賞賛している。この花はちょっと見には可憐だが、なかなかどうして、茎といい葉といい花といい、芯の強い印象は相当なものである。私はいつも、気の強い女性を連想させられてしまう。『枕草子』にも、こうある。「龍膽は、枝ざしなどもむつかしけれど、こと花どものみな霜枯れたるに、いとはなやかなる色あひにてさし出でたる、いとをかし」。繁殖させようとすると意のままにならないが、自然体だと寒くなっても凛として美々しく咲いていると言うのである。清少納言と私の感受性はよく食い違うけれど、こと竜胆に関しては一致した。いまどきの花屋の店先には、初秋を待たずに切花として登場してくるが、あの色はいけない。野生の花にくらべると、深みがない。竜胆もまた、やはり野においておくべき草花である。(清水哲男)


May 0552000

 鯉幟なき子ばかりが木に登る

                           殿村菟絲子

中行事は、否応なく貧富の差を露出するという側面を持つ。鯉幟は戸外での演出行事だから、とりわけて目立ってしまう。住宅事情から、現代の家庭では男の子がいても、鯉幟を持たないほうが普通になってきた。持ってはいても、ささやかなベランダ用のミニ版が多い。私が子供のころはまだ事情が違っていて、鯉幟のない家は、たいてい貧乏と相場が決まっていた。我が家にも、もちろんなかった。そういう家庭では、こどもの日だからといって、御馳走ひとつ出るわけじゃなし、学校が休みになるだけのこと(農繁期休暇とセットになっていたような……)で、普段と変わらぬ生活だった。そんな子供たちが、いつもと同じように木登りをして遊んでいる。遠くのほうで勇ましく鯉幟が泳いでいる様子が、見えているのだろう。いささかの憐愍の情も抱いてはいるが、しかし作者は、今日も元気に遊ぶ子供たちにこそ幸あれと、彼らの未来に思いを馳せている。句には、そうした優しいまなざしのありどころがにじみ出ている。優しくなければ、句作りなどできない。平井照敏編『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 1022004

 雛菓子を買はざるいまも立停る

                           殿村菟絲子

語は「雛菓子」で春。通常は「雛あられ」を指すことが多い。雛祭りに、白酒や菱餅とともに供えられる。作句時の作者は、五十歳前後という年齢だ。もうだいぶ以前に、雛を飾ることは止めてしまっているのだろう。それでも、店先の雛菓子の前では、思わずも立ち止まって眺め入ってしまうというのである。私も買いはしないが、色彩につられて立ち止まることはある。が、作者のように女性ではないから、その美しさを楽しむだけだ。でも女性の場合には、単なる美しさを越えて、幼かったころからの雛祭りの思い出が脳裡に明滅することだろう。紅、緑、白と明るい色彩の配合ではあるが、いずれも淡い色合いである。その淡さが、逆に懐旧の念をいっそう濃くすると言うべきか。紅は桃の花、緑は物の芽、白は雪をあらわしているそうで、春到来の喜びが素直に伝わってくる。ところで、この三色の配合はクリスマス・カラーと共通していることに気がついた。こちらは紅というよりも赤だけれど、濃度が異る点を除けば、クリスマスの色もほぼ同じものを使う。使いはじめたいわれには諸説あるようだが、一説に、赤はキリストの血、緑はもみの木の十字架を思わせる葉っぱ、白は日本と同じく雪の色を表現したものだという。しかし、あまり詮索することでもないだろうが、日本のそれに意味的にも共通する雪の白をベースに考えると、要するに雪におおわれた白一色、あるいは無色の現実世界に刺激をもたらす色として、赤と緑が自然に使われるようになったのだろう。理屈は、あとからつけられたのだと思う。蛇足を重ねておけば、これら三色にもう一色重ねるとすると、日本では黄色、欧米では金色だ。このあたりでも、ほぼ共通している。『路傍』(1960)所収。(清水哲男)


May 2852004

 東伯林の新樹下を人近づき来

                           殿村菟絲子

語は「新樹(しんじゅ)」で夏。「新緑」が主として若葉をさすのに対し、木立をさす。崩壊して十五年になる伯林(ベルリン)の壁は、もう伝説化していると言ってよいだろう。句は、その伝説の中で詠まれた。前書きに「西伯林、東西独乙を劃す壁肌寒し」とある。ポツダム広場の物見台あたりから、壁の向こう側を眺めたのだろう。道を歩いていては、新樹はともかく「人」は見えない。眺めやれば、こちら側と似たような光景が広がっていて、ゆっくりと人が近づいてくるのも見える。何の変哲もない情景だが、新樹や人は指呼の間にあっても、こちらからあちらまでの政治的な距離はほとんど無限に遠いのである。こういうときには壁の理不尽を思うよりも、頭の中が白くなる感じがするものだ。経緯は省略するが、私は一度南北朝線を分つ板門店に立ったことがあるので、作者の気持ちがよくわかるような気がする。よく南北会談に使われる会議場が境界線上にあり、室内はマイクのコードで室外も黒いラインで、南北が分たれていた。室内の南北移動は自由だったが、室外のラインを一歩でもまたげば不法入国だ。両側には鼻面をつきあわさんばかりにして、完全武装の兵士たちが見張っている。凄い緊張感を覚えたと同時に、白日夢でも見ているような気分だった。作者もまた、そんな気持ちだったのだと思う。美しい自然の中を、何事もないように人がこちらに向かって歩いてくる……。眼前の現実ではありながら、しかしそれは夢に等しいのである。『牡丹』(1967)所収。(清水哲男)




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