June 251997
麦笛や四十の恋の合図吹く
高浜虚子
上品に言えば、秘めた恋。いまふうに言えば、不倫。手紙や電話で相手を呼び出すわけにはいかないので、一計を案じた句。いい年をした大人が麦笛など吹くわけはないから、その常識を逆手に取ったのである。虚子センセイも、なかなか隅に置けなかったのだなとは思うけれど、どことなく嘘っぽい。句が出来過ぎているからだろう。ところで、いまだったらこんな場合にどうするだろうか。ほとんどの男は、ポケベルを使うのでしょうな。(清水哲男)
June 241997
尺蠖の時を惜しまず戻りけり
なかのげんご
尺蠖(しゃくとり)は尺取虫。なるほど、こいつはいつも悠々と尺を取って歩いている。時間の観念を感じさせない。子供の頃はこちらも暇だったから、いつまでも飽きずに眺めていたっけ。まさか大人になってから、分秒単位の仕事に就くなどとは、夢にも思わなかった。ラジオの仕事をはじめる前に、情報番組のパーソナリティとしては草分けの片山竜二(故人)さんのお宅にうかがう機会があった。身体を悪くして引退された時期のことで、見ると、お宅の掛け時計の文字盤には数字がなかった。もちろん、秒針もない。「分だ秒だなんて、もうイヤだからね」と話されたが、しかし口調はどこか寂しげだった。分秒の毒がまわると、ちょっとやそっとでは尺蠖の境地には至れないのである。『問名集』所収。(清水哲男)
June 231997
短夜や壁にペイネの恋かけて
上田日差子
青春俳句の傑作。「恋かけて」という言い回しが、とても新鮮だ。短夜(みじかよ)を恨みたくなるほどに、青春の時は過ぎやすい。比べて、レイモン・ペイネの描いた恋人たちの永遠性はどうだろう。見れば見るほど、羨望の念がつのってくる。と同時に、みずからの恋する心が満たされる日のことも画像に重なってくるのだから、またしても壁のペイネを見やってしまうのである。いいですね、この乙女心は。技巧を感じさせない句の素直さで、なおさらに。(清水哲男)
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