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July 0871997

 米足らで 粥に切りこむ 南瓜かな

                           森 鴎外

が乏しいので、南瓜を多めに入れた粥を炊いた。茶碗によそってみると、南瓜が粥に切りこむような存在感を示している。明治の作品だが、戦後の食料不足を知る私などには、身につまされる句だ。南瓜ばかり食べていて、我が家ではみんな黄色い顔をしていた。それにしても、鴎外(「鴎」は略字)に俳句があるとは驚きだった。飯島耕一の『日本のベル・エポック』ではじめて知った。飯島さんに言わせれば「鴎外の句は、いかにも抒情詩的俳句で、どうやら句としての味にも深みに欠けるし、漱石には色濃くあった滑稽味もまったくない」と散々である。『うた日記』所収。(清水哲男)


April 1142007

 畑打つや中の一人は赤い帯

                           森 鴎外

先の陽をいっぱいに浴び、人がせっせと畑を打つ風景。それはかつての春の風物詩であった。今はおおかた機械化されてしまって、こうした風景はあまり見られなくなった。年々歳々田や畑から失われていった農村風景である。まだ冬眠をむさぼっている蛙などがあわてて跳び出したり、哀れ鍬の犠牲になったり・・・・鴎外は現場のそんな残酷物語にまで視線を遊ばせることはない。畑のあちらこちらで鍬を振るう姿が散見されるなかで、一人だけ赤い帯をきりりと締めて黙々と畑を打っている女性に目を奪われた。農家の若い嫁さんが、目立つ赤い帯をして農作業をしている姿は、私の目の隅っこにも鮮やかに残っている。野良仕事のなかにも、女性のおしゃれは慎ましくもしっかり息づいていた。何かの折に目にした光景であろうか、鴎外にしてはやわらかいハッとした驚きが生きている。鴎外に対する先入観とのズレを感じさせるような、その詠いぶりに興味をおぼえた。鴎外は俳句もたくさん残している。同じように農村風景を題材にした句に「うらゝかやげんげ菜の花笠の人」がある。初めて尾崎紅葉に紹介されたとき、鴎外はこう言ったという。「長いものは秋の夜と鴎外の論文、短いものは兎の尾と紅葉の小説」。紅葉の俳句もよく知られているが、「長いもの」と自らを皮肉った鴎外が、いっぽうで短詩型に親しんだというのも皮肉?『鴎外全集』19(1973)所収。(八木忠栄)


November 23112011

 虫程の汽車行く広き枯野哉

                           森 鴎外

イドに目にくっきりと見える句である。広い枯野を前にして、走行する汽車が「虫程」とは言い得て妙。遠くから眺められる黒々とした汽車は、スピードが遅く感じられるから、のろのろと這う虫のように見えるのだろう。わかるなあ。何という虫か? 芋虫のように見えたのだろうか。まあ、ともかく「虫」でよろしい。驀進する新幹線とはちがうのだから、いずれにしろカッコいい虫ではあるまい。電車ではなく汽車の時代であるゆえに、枯野はいっそう荒涼とした広がりを見せている。荒涼とした風景であるはずなのに「虫程の汽車」の登場によって、どことなく愛すべき汽車の風景みたいに感じられてもくるし、枯野を前にした作者の気持ちもゆったりしているようだ。ほぼ同時代の漱石や露伴らは、句作が先行していて小説に移行したわけだけれど、鴎外は小説家として一本立ちしてのち俳句も作るようになった。掲句は「明治三十七年十月於大荒地」と詞書がある。同時に作った句に「ただ一つあき缶ひかる枯野哉」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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