1997N718句(前日までの二句を含む)

July 1871997

 髪洗ふいま宙返りする途中

                           恩田侑布子

か楽しくなるような句はないかと、探すうちに発見した作品。なるほど、髪を洗う姿勢はこのようである。となると、床屋での仰向けの洗髪は、さしずめバック転の途中というべきか。人間の普通の仕種を違うシチュエーションに読み替えてみれば、他にもいろいろとできそうだ。作者はなかなか機智に富んだ人で、「鯉幟ストッキングはすぐ乾く」「いづこへも足を絡めず山眠る」なども面白い。『21世紀俳句ガイダンス』(現代俳句協会)所収。(清水哲男)


July 1771997

 佃煮の暗きを含み日のさかり

                           岡本 眸

盛りのなかの佃煮屋の店先。あるいはまた、日盛りの庭を見ながらの主婦の昼餉。シチュエーションはいろいろに考えられる。猛烈な日差しのなかの物の色は、乾き上がって白茶けたように感じられるが、しっとりと濡れている佃煮の色だけは、なお暗さを保ったままでむしろ鮮やかである。明るさのなかの暗さ。その暗いみずみずしさを的確にとらえたところは、主婦ならではのものだろう。急に佃煮が食べたくなった。『手が花に』所収。(清水哲男)


July 1671997

 夏の朝めろんの露を享けにけり

                           入江亮太郎

江亮太郎。1925年(大正14年)沼津市生まれ。昭和25年「詩学」新人コンクールに入選。金井直等の「零度」に参加。新日本文学会、詩人会議、「現代詩評論」に参加。「彼方」同人となる。成城高校在学中に患った脊髄カリエスが元で、歩行が不自由な体で、文藝春秋社社外校正員として活躍するが、昭和47年頃より体力消耗し療養生活に入る。49年「彼方」同人を辞し、詩作から遠ざかる。以後は「酔生夢死」を旨とし、酒と俳句と少年野球を楽しみとする。1986年(昭和61年)食道癌で死去。享年61歳。この句は彼が病院に再入院する直前に、救急車を待つ間に書いたという文字通りの絶句である。そのいきさつは、この6月26日作者の命日の日に出版された『入江亮太郎・小裕句集』(卯辰山文庫発行)に詳しい。この本は夫人の小長井和子さんが亡夫のために編んだ。「晩年の入江亮太郎」という文あり。序文は金子兜太氏。「小裕」は入江の俳号である。(井川博年)




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