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July 1871997

 髪洗ふいま宙返りする途中

                           恩田侑布子

か楽しくなるような句はないかと、探すうちに発見した作品。なるほど、髪を洗う姿勢はこのようである。となると、床屋での仰向けの洗髪は、さしずめバック転の途中というべきか。人間の普通の仕種を違うシチュエーションに読み替えてみれば、他にもいろいろとできそうだ。作者はなかなか機智に富んだ人で、「鯉幟ストッキングはすぐ乾く」「いづこへも足を絡めず山眠る」なども面白い。『21世紀俳句ガイダンス』(現代俳句協会)所収。(清水哲男)


June 0561999

 ジーンズに腰骨入るる薄暑かな

                           恩田侑布子

手いなア。洗いたてか、新調か。ごわごわしたジーンズを穿くときには、たしかにこんな感じになる。ウエスト・ボタンをかけるときの、あのキュッと腰骨を締め上げる感覚が、これから夏めいてきた戸外に出ていく気分とよくマッチしていて、軽快な句に仕上がっている。極めて良質な青春句だ。ジーンズといえば、私は一年中ジーンズで通している。親しかった人の葬儀にも、ジーンズで出かける。これだと、黒づくめの集団に埋没することなく、故人がすぐに私を識別できると思うからだ。変わっていると言われるけれど、急に真っ黒なカラスに変態する人のほうが、よほど変わっている。こんな具合で、室内着兼外出着兼礼服兼……と、三十代からずっとそうしてきた。会社勤めのころには、いっぱしにスーツやネクタイに凝ったこともあったけれど、一度ジーンズの魅力に取りつかれてしまうと、ネクタイ趣味など金がかかるだけで愚劣に思えてくるのだった。作者の場合のジーンズは気分転換のためだが、私の場合は、気分の平衡感覚を崩さないためである。スヌーピーの漫画に出てくる「ライナスの毛布」のようなものかもしれない。ということは、精神的に幼いのかなア。(清水哲男)


July 1572000

 手花火の柳が好きでそれつきり

                           恩田侑布子

い片恋の思い出だろう。「柳が好きで」には、主語が二つある。そうでないと、句がきちんと成立しない。その人と手花火で遊ぶ機会があって、自分が好きな「柳」を、その人も好きなことを知ったのだ。もちろん心は弾んだが、しかし、その後は親しくつきあうこともなく、手花火の夜の「関係」は「それつきり」になってしまった。「手花火の柳」を見るたびに、ちらりとその夜のことを思い出す。でも、思い出すこともまた「それつきり」なのである。「手花火の柳」が束の間のうちにしだれて消えていくように、句も束の間の記憶を明滅させて、あっけなく「それつきり」と言いさして終わっている。このときに、もはや作者の心は濡れてはいない。むしろ、乾いている。絶妙の俳句的言語配置による効果とでも言うべきか。考えてみれば、ある程度の年齢を重ねた人の人生履歴は、まさに「それつきり」の関係でいっぱいだ。しかりしこうして、掲句の良さが読み取れない読者が存在するとすれば、それは読解力の欠如によるものではないだろう。読み取るには、いささか若すぎるというだけのことにすぎない。『イワンの馬鹿の恋』(2000)所収。(清水哲男)


September 3092000

 色鳥の尾羽のきらめき来ぬ電話

                           恩田侑布子

んな場面を想像する。絶好の行楽日和。外出の仕度は、すっかりととのった。後は、車で迎えに来てくれる人を待つのみだ。およその時間はあらかじめ約束してあるのだが、道路の混み具合もあるので、当日の今日、もう一度電話をもらうことになっている。その電話が、なかなかかかってこない。約束の時間は、もう大幅に過ぎている。もしやと思い、先方に電話を入れてみたが、とっくに家は出ているという。そろそろ着くころだという。となると、途中で何かあったのだろうか。不安になる。が、あれこれ考えてみても仕方がない。結局は、待つしかないのである。苛々しながら窓の外を見やると、何羽かの鳥の尾羽が樹間にきらめいている。普段であれば美しく思える光景も、いまは苛々度を助長するばかりに見えてしまう。電話は、まだ、かかってこない……。「色鳥(いろどり)」は、いろいろな鳥と色とりどりの美しい鳥とをかけた季語だ。総称的に、秋の小鳥の渡りについて言う。したがって、掲句のように焦慮感につなげて詠まれるケースは珍しい。そこが、この句の新しさだと思った。少々ふざけておけば、このときの「色鳥」はほとんど「苛鳥(イラドリ)」なのである。『イワンの馬鹿の恋』(2000)所収。(清水哲男)


January 2412006

 フーコーの振子の転位冬牡丹

                           恩田侑布子

語は「冬牡丹(ふゆぼたん)」、「寒牡丹」に分類。厳冬に咲く花を観賞する。霜除けの藁を三角帽子のようにかぶせられた姿が、可愛らしくも微笑ましい。句ではいきなり「フーコーの振子」が出て来て驚かされたが、作者はおそらく、この三角帽子からフーコーの装置を連想したのではなかろうか。フーコーの振子は、地球の自転を視覚的に証明する装置だ。できれば北極か南極にセットするのが理想的だが、赤道を除いた地球の任意の地点に巨大な振子装置を作る。作ったら、振子を水平に揺らしてやる。すると、ちょっと見た目には振子はいつまでも水平運動だけを繰り返しているようだが、そうではない。観察すると、水平運動を繰り返しつつも、徐々に振子は同時に回転もしていることが確認されるのだ。つまり、この回転は地球の自転と連動してからなのであって、北極か南極ならば、振子の転位の軌跡はきれいな円錐形を描き出すだろう。冬牡丹の藁の三角帽子を、このフーコーの振子の「転位」の軌跡である円錐形に見立てれば、そこに咲いているのは牡丹は牡丹でも、どこか宇宙の神秘を感じさせる花のようにも見えてくる。地球は自転している、だからこの花はこのようにある。普段そんなことを思って花を愛でる人はいないだろうが、たまには句のように大胆に視点を変えてみると、これまでは見えなかったものが見えてくることがありそうだ。『振り返る馬』(2005)所収。(清水哲男)


September 1892007

 道なりに来なさい月の川なりに

                           恩田侑布子

に沿って来いと言い、月が映る川に沿って来いと言う。それは一体誰に向かって発せられた言葉なのだろう。その命令とも祈りともとれるリフレインが妙に心を騒がせる。姿は一切描かれていないが、月を映す川に沿って、渡る鳥の一群を思い浮かべてみた。鳥目(とりめ)という言葉に逆らい、鷹などの襲撃を避け、小型の鳥は夜間に渡ることも実際に多いのだそうだ。暗闇のなかで星や地形を道しるべにしながら、鳥たちは群れからはぐれぬよう夜空を飛び続ける。遠いはばたきに耳を澄ませ、上空を通り過ぎる鳥たちの無事を祈っているのだと考えた。しかし、その健やかな景色だけでは、掲句を一読した直後に感じた胸騒ぎは収まることはない。どこに手招かれているのか分からぬあいまいさが、暗闇で背を押され言われるままに進んでいるような不安となり、伝承や幻想といった色合いをまとって、おそろしい昔話の始まりのように思えるからだろうか。まるで水晶玉を覗き込む魔女のつぶやきを、たまたま聞いてしまった旅人のような心もとない気持ちが、いつまでも胸の底にざわざわとわだかまり続けるのだった。〈身の中に大空のあり鳥帰る〉〈ふるさとや冬瓜煮れば透きとほる〉『振り返る馬』(2006)所収。(土肥あき子)


December 02122008

 ひよめきや雪生のままのけものみち

                           恩田侑布子

句は「生」に「き」のルビ。上五の「ひよめき」とは見慣れぬ言葉だが、「顋門」と表記し、広辞苑によると「幼児の頭蓋骨がまだ完全に縫合し終らない時、脈拍につれて動いて見える前頭および後頭の一部」とある。身体の一部とはいえ、「思」という漢字が使われていることや、大人になれば消滅してしまうものでもあり、幼児期だけに見られる、思考が開閉する場所のように思えるのだ。掲句では、雪野原のなかで踏み固められた一筋のけものみちに、ひよめきをそっと沿わせた。乱暴に続く雪の窪みが幼児の骨の形態を連想させるだけでなく、ただ食べるために雪原を往復するけものの呼吸が、熱く伝わるような、ひよめきである。〈刃凍ててやはらかき首集まり来〉〈ひらがなの地獄草紙を花の昼〉『空塵秘抄』(2008)所収。(土肥あき子)


August 2182010

 白萩の一叢号泣の代り

                           恩田侑布子

元の『新日本大歳時記』(1999・講談社)の「萩」の項に、「日本人の自然観には、見る側の感情を仮託するものが、色濃く投影している」(高橋治)とある。そして、萩は多くの詩人たちに様々な感情を仮託されるものとして愛されてきた、とも。この作者の同じ句集に〈どこからか来てひとりづつ萩あかり〉という句があるが、揺れ咲いて散りこぼれる萩の風情を感じさせる一句と思う。それに比べて掲出句の、号泣、には驚かされ、大声を上げて泣くほどの悲しみがあったのか、と思ったが、だんだんそうではない気がしてきた。あふれるように光る一叢の白萩と対峙した作者は、一瞬にして白萩の存在感をつかみ取る。それは、感情の仮託、を越えて、まるで白萩とひとつになってしまったかのようだ。この号泣には、喜怒哀楽とは別のほとばしりが感じられる。原句は一叢(ひとむら)にルビ。『空塵秘抄』(2008)所収。(今井肖子)




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