July 191997
そのむかし繭の金より授業料
有賀辰見
いまのような兼業農家は別だが、そのむかしには農家が現金収入を得る季節は限られていた。養蚕農家なら夏、水田農家なら秋という具合だ。したがって、授業料のようなまとまった出費は、金の入る季節まで待ってもらうしかない。いまや自分で生産したものだけを売って暮らす感覚は、特に大都会の人には理解できないだろう。逆に言えば、毎月何を具体的に生産しているかもわからずに、現金収入があるというのは不思議なことだった。現代の情報産業などはその典型的なサンプルである。それこそそのむかし、マルクスは可視的な労働と対価をとっかかりにして『資本論』を書いたが、実感なき労働対価が主流の世の中では、もはや相当に難解な書物になってしまったのではあるまいか。「俳句文芸」(97年7月号)所載。(清水哲男)
July 181997
髪洗ふいま宙返りする途中
恩田侑布子
何か楽しくなるような句はないかと、探すうちに発見した作品。なるほど、髪を洗う姿勢はこのようである。となると、床屋での仰向けの洗髪は、さしずめバック転の途中というべきか。人間の普通の仕種を違うシチュエーションに読み替えてみれば、他にもいろいろとできそうだ。作者はなかなか機智に富んだ人で、「鯉幟ストッキングはすぐ乾く」「いづこへも足を絡めず山眠る」なども面白い。『21世紀俳句ガイダンス』(現代俳句協会)所収。(清水哲男)
July 171997
佃煮の暗きを含み日のさかり
岡本 眸
日盛りのなかの佃煮屋の店先。あるいはまた、日盛りの庭を見ながらの主婦の昼餉。シチュエーションはいろいろに考えられる。猛烈な日差しのなかの物の色は、乾き上がって白茶けたように感じられるが、しっとりと濡れている佃煮の色だけは、なお暗さを保ったままでむしろ鮮やかである。明るさのなかの暗さ。その暗いみずみずしさを的確にとらえたところは、主婦ならではのものだろう。急に佃煮が食べたくなった。『手が花に』所収。(清水哲男)
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