1997N81句(前日までの二句を含む)

August 0181997

 八月の炉あり祭のもの煮ゆる

                           木村蕪城

とより、普段だったら真夏に炉を使うことはない。でも、今日はお祭りだ。来客の予定もある。竈での煮炊きだけでは間に合わないので、朝から炉を開き、自在鉤に鍋を吊るしてコトコトと煮物をしている。うまそうな、いい匂い……。忙しくもまた楽しい祭りの日の楽屋裏である。などと、男は呑気に俳句などひねっていればよかったが、昔の女衆は大変だった。(清水哲男)


July 3171997

 黄泉路にて誕生石を拾ひけり

                           高屋窓秋

泉路(よみじ)は冥土へ行く路。冥土への途中で、皮肉にも誕生石を拾ってしまったという諧謔。年齢的に死の切迫を感じている人ならではの発句だが、その強靱な俳諧精神にうたれる。最近の私は時折、若くして逝った友人の誰かれを思い出す。なかには常に心理的に私をおびやかす人もいたが、時の経過というフィルターが、いつしかそんな関係を弱め忘れさせてしまう。よいところばかりを思い出す。彼らもまた、黄泉路で何かを拾っただろうか。この世ではみんな運が悪かったのだから、せめて何かよいものを拾って冥土に到着したと思いたい。『花の悲歌』(1993)所収。(清水哲男)


July 3071997

 蚊帳に寝て母在る思ひ風の音

                           杉本 寛

和六十二年(1987)の作品。もはや一般家庭で蚊帳(かや)を吊るとは考えられない年代だから、これは旅先での句である。「風の音にふと目覚め、改めて蚊帳に気がついた。蚊帳は幼い思い出。それは母に繋るが」と、自註にある。このように、物を媒介にして人とつながるということは、誰にでも起きる。そのあたりの機微を、俳句ならではの表現でしっかりととらえた佳句だ。蚊帳といえば、横山隆一の漫画『フクちゃん』に、部屋いっぱいに広げた青い蚊帳を海に見立てて、海水浴ごっこをする場面があった。我々兄弟はそれを真似て、椅子の上から何度も蚊帳の海に飛び込んだ。本当の海水浴など、夢のまた夢の敗戦直後のことであった。『杉本寛集』(自註現代俳句シリーズ・俳人協会)所収。(清水哲男)




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