1997N8句

August 0181997

 八月の炉あり祭のもの煮ゆる

                           木村蕪城

とより、普段だったら真夏に炉を使うことはない。でも、今日はお祭りだ。来客の予定もある。竈での煮炊きだけでは間に合わないので、朝から炉を開き、自在鉤に鍋を吊るしてコトコトと煮物をしている。うまそうな、いい匂い……。忙しくもまた楽しい祭りの日の楽屋裏である。などと、男は呑気に俳句などひねっていればよかったが、昔の女衆は大変だった。(清水哲男)


August 0281997

 我に残る若さ焼ソバ汗して喰ふ

                           中嶋秀子

だ冷房もさほど普及していなかった昭和四十年頃の作品。前書に「生花教室の生徒と」とある。焼きそばを出すような店では、扇風機があればよいほうだった。そんな暑さなど苦にしない若い生徒たちに誘われて、真昼の焼きそばに付き合ってみたら、意外なことに食が進む。そのうちに、吹き出る汗を拭いながら食べるという行為そのことに、快感すら覚えてきた。私にも、こんな若さが残っていたのだ……という喜び。だから「食べる」のではなく「喰ふ」のほうがふさわしいのだ。ただし、このとき作者は三十歳。女盛りの年代だが、若い人たちに囲まれると、その若さがまぶしく映りはじめる年頃ではあるだろう。『花響』所収。(清水哲男)


August 0381997

 愕然として昼寝覚めたる一人かな

                           河東碧梧桐

のようなことは、よく起きる。愕然として昼寝から覚めたのか、それとも覚めてから愕然としたのか。そのあたりは定かではないが、短時間寝るつもりがつい長くなってしまい、目覚めたら家内はしんとしている。寝ている自分を置いて、みな出かけてしまったらしい。しばらくして、いったい今は何時ごろなのだろうかと、柱時計を見上げたりするのである。そこに不意の来客があると、こうなる。「中年やよろめき出ずる昼寝覚」(西東三鬼)。(清水哲男)


August 0481997

 夏旅やむかふから来る牛の息

                           方 山

禄時代の句。そんな大昔の句であることを押さえておかないと、意味を取り違えてしまう。すなわち、この旅は現代風のレジャーを楽しむそれではない。だから、この句には風流のかけらもない。暑中休暇がなかった時代だから、夏に旅行する風習もなかったし、できれば暑い季節の旅などは避けたかったろう。したがって、この旅は止むを得ない旅なのである。ただでさえ暑さに閉口しているのに、向こうから暑苦しい息を吐きながら大きな牛がやって来る。田舎の道幅は狭いので、いやでもあの息は我が身に吹きつけられるだろう。ああ、たまらない。……という心持ちだ。岩波文庫の柴田宵曲著『古句を観る』に載っている句。元禄期の無名作家の俳句を集めて評釈を加えた本で、句の面白さもさることながら、当時の庶民の生活ぶりがうかがえて興味深い。それこそ、旅のお伴に絶好である。(清水哲男)


August 0581997

 自転車の灯を取りにきし蛾のみどり

                           黒田杏子

んで灯に入る夏の虫。虫たちの愚かなふるまいを嘲笑った昔の人も、一方では、灯を取りに来る存在として彼らの襲来に身構えるのであった。蝋燭などのか細い灯だと、たちまち彼らに取られてしまうからだ。なにしろ命がけで取りに来るのだから、たまらない。これは、ランプ生活を余儀なくされた少年時代の、私の実感でもある。そこへいくと現代の虫たちは、命と引き換えに灯を取ることもなくなった。せいぜいが打撲(?)程度ですむ。見られるように、作者もここでむしろ抒情的に灯取虫を観察している。「みどり」に見えるのは光源の関係だろう。『一木一草』所収。(清水哲男)


August 0681997

 広島の忌や浮袋砂まみれ

                           西東三鬼

祷。すべての理不尽な戦争によるすべての犠牲者の無念の魂に。(清水哲男)


August 0781997

 夜の蝉人の世どこかくひちがふ

                           成瀬櫻桃子

たま、夜に鳴く蝉がいる。虫ではあるが、一種の人間的な狂気を感じて恐くなったりする。自然の秩序から外れて鳴くそんな蝉の声を耳にして、作者は、ともすれば人の世の秩序から外れてしまいそうな我が身をいぶかしく思うのである。いかに努力を傾注してみても、くいちがいは必ず起きてきたし、これからも起きるだろう。みずからもまた、夜鳴く蝉にならないという保証はないのだ。何が、どこでどうなっているのか。突き詰めた詠み方ではないだけに、かえって悲哀の感情が滲み出てくる。『成瀬櫻桃子句集』(ふらんす堂・現代俳句文庫)所収。(清水哲男)


August 0881997

 星合の宿のはじめは寝圧しかな

                           加藤郁乎

合(ほしあい)は、牽牛と織女の二つの星が出合うこと。すなわち、七夕のことを言う。こんな風流な日に、作者は一人旅である。で、浴衣に着替えて旅館で最初にすることが、ズボンの寝押しの準備というのだから、不風流きわまりない。思わずも力なく「へへへ」と笑ってしまったという図。こうなったら、七夕もへちまもあるものか。今夜は一杯やって、早いとこ寝ちまおう……。『江戸櫻』所収。(清水哲男)


August 0981997

 愛しきを抱けば鏡裏に蛍かな

                           摂津幸彦

誌「豈」(97年・夏)「回想の摂津幸彦」特集号より。句は「俳句研究」(76年11月号)に発表された『阿部定の空』の一句。季語はいま都会でも田舎でも見掛けることのできなくなった蛍。蛍はまた古来より死者の魂の象徴と見なされてきた。この句はもちろん戦前の二・二六事件の最中に起きた有名な阿部定事件をふまえている。いままた世間を賑わす『失楽園』もこの事件が重要な背景となっている。この句の鏡は待合の三面鏡。「愛しきを抱けば」にもかすかに『四谷怪談』の雰囲気が漂う。次の句なども凄い。「埋められて極楽吹かれて地獄かな」。(井川博年)


August 1081997

 時計屋の微動だにせぬ金魚かな

                           小沢昭一

したる蔵書もない(失礼)吉祥寺図書館の棚で、俳優の小沢昭一の句集『変哲』(三月書房)をみつけた。なぜ、こんな珍本(これまた失礼)がここにあるのかと、手に取ってみたら面白かった。「やなぎ句会」で作った二千句のなかから自選の二百句が収められている。この作品は、手帳にいくつか書き写してきたなかの一句だ。古風な時計店の情景ですね。店内はきわめて静かであり、親父さんも寡黙である。聞こえる音といったら、セコンドを刻む秒針の音だけ。金魚鉢の金魚も、静謐そのもの……。一瞬、時間が止まったような時計店内の描写が鮮やかである。うまいものですねえ。脱帽ものです。(清水哲男)


August 1181997

 ナイター観る吾が身もいつか負けがこむ

                           瀧 春一

季の巨人ファンみたいだ(苦笑)。まあ、そんなことはどうでもよろしいが、最近はあまり「ナイター」という和製英語は使わなくなった。誰が発明した言葉なのだろうか。けったいな発想である。しかし、諸種の歳時記が夏の季語として採用しているのだから、発明者にその甲斐はあったというべきだろう。はじめてナイターを観たのは、かれこれ三十年前の後楽園球場。巨人大洋(現・横浜)戦の外野席だった。試合そのものよりも、光の洪水に目を奪われた。当時の新潮社版『俳諧歳時記』から、ナイターの説明を引いておく。これが、なかなか面白い。「夜間行われる野球試合。百万燭光の照明に照らされた球場は、外野の青い芝生としっとりと露気を帯びた内野グランドとの配合が美しく、涼しい夜風に吹かれながら、観客は開襟シャツや浴衣がけの軽装で夜の試合を見て楽しむ。五月から九月末まで行われる。主としてプロ野球であるが、近頃はノンプロでもナイターを行う」。(清水哲男)


August 1281997

 塩漬けの小梅噛みつつ冷酒かな

                           徳川夢声

声は、映画弁士、漫談家として話術の大家であった。俳句が好きで、いとう句会のメンバーとなり、おびただしい数の俳句を作った。彼の句集を古書店で求めて読んだ井川博年によると、数は凄いがロクな句はないそうだ。掲句にしても、なるほどうまくはない。「それがどうしたの」という感想だが、しかし、この冷酒はうまそうである。酒好きも有名で、戸板康二は次のように書いている。「大酒家で、映画館で眠ってしまったり、放送できないので古川緑波が声帯模写で代役をつとめたという珍談もある。英国女王の戴冠式に招待されていく船の中で吐血し、晩年は停酒と称して一切アルコールを絶っていたが、酔っているようなユーモラスな口調で誰ともしたしみ、愛される人柄だった。……」(旺文社『現代日本人物事典』)。(清水哲男)


August 1381997

 ソーダ水うつむける時媚態あり

                           大須賀邦子

態(びたい)は、女性に特有の自己演出法である。半ば無意識に近い仕種も含むから、男にはなかなかそれとわからない。しかし、同性の目はごまかせませんよというのが、この句の眼目だろう。男女何人かで和気あいあいとソーダ水を飲んでいるシーン。何の変哲もなさそうな場であるが、女同士の間では目に見えぬ火花が散っている。だから、相手がうつむくたびに示す媚態が、気になって仕方がない。さながらソーダ水のあざとい色彩のように、目障りなのである。ひょっとすると、これは作者自身の媚態であり、そのことへの自己嫌悪かも知れぬ。そのほうが面白いかなとも思うが、いずれにしても女が女を見る目は恐いということ。(清水哲男)


August 1481997

 踊りゆく踊りの指のさす方へ

                           橋本多佳子

りといえば、俳句では盆踊りのことを言う。秋の季語。踊りの句はたくさんあるが、すぐに気がつくのは、踊りの輪に入らずに詠んだ句がほとんどだということ。男の句になると、昔から特に目立つ。俳人はよほどシャイなのだろうか。たとえば森澄雄の「をみならにいまの時過ぐ盆踊」や鷹羽狩行の「踊る輪の暗きところを暗く過ぎ」など佳句であることに間違いはないが、なんとなく引っ込み思案が気取っているような恨みは残る。その点で、この句には参加意識が感じられる。傍見しているとも読めるけれど、踊りの輪の中の実感と読むほうが面白い。この指のクローズアップは踊り手ならではの感覚から出ているのだと思う。「方へ」は「かたへ」と読む。(清水哲男)


August 1581997

 戦終る児等よ机下より這い出でよ

                           渡辺桐花

戦の日。生き残った人々は、その日をどう捉えたのか。塩田丸男編『十七文字の禁じられた想い』(講談社・1995)という妙なタイトルの本に、敗戦に際しての感慨句が多数収められている。掲句は、当時国民学校の教師だった人のもの。「戦」は「いくさ」と読ませる。敵機襲来の警報が出ると、教師はとりあえず子供たちを机の下にもぐらせた。そんな子供等に、もう空襲の心配はなくなったから、みんな出てきていいのだよと呼びかけている。とはいえ、これは現実の場面での声ではない。敗けた日は夏休みの最中であり、授業はなかった。塩田丸男の註記によれば、作者の教え子のうち成人した者の多くは戦地に赴いていたという。つまり、この声はそういう教え子たちにむかって発せられている。届くはずもない声が、虚しくも悲痛に発せられている。他に、この本より三句。「ラジオ掴んで父が嗚咽す油照り」(片山桃弓)。「吾が遺書を吾が手もて焼く終戦日」(高橋保夫)と、これは特攻隊員の句。なかに「娘サイパン島にて親戚一家と自決。十三歳」という前書のある句があって、図書館で書き写すのがつらかった。「自決せし娘は十三の青林檎」(小野幸子)。合掌。(清水哲男)


August 1681997

 初秋や軽き病に買ひ薬

                           高浜虚子

節のかわりめには体調を崩しやすい。とくに夏から秋は急に涼しくなったりすることがあるので、寝冷えやちょっとした油断から風邪をひいてしまう。医者に診てもらうほどのことでもないから、とりあえず買い置きの薬でしのいでおこうという句意。同時に、ぽつりと作者の孤独の影も詠み込まれている。物思う秋の「軽い」はじまりである。(清水哲男)


August 1781997

 遠花火この家を出し姉妹

                           阿波野青畝

ろそろ花火の季節もおしまいである。そんな時期の遠い花火だから、なんとなく寂しい気持ちで、見るともなく見ている。無音の弱々しい光の明滅が、かえって心にしみる。そういえば、この家から出ていった姉妹(あねいもと)は、他郷の空の下でどんな暮らしをしているのだろう。客の作者は家の人には問わず、その消息をただ遠い花火のように思うのである。日常生活のなかで、誰しもが感じるふとした哀感。芝居がかる一歩手前で踏み止まっている。『紅葉の賀』所収。(清水哲男)


August 1881997

 白玉やくるといふ母つひに来ず

                           星野麥丘人

玉(しらたま)は白玉餅とも言い、白玉粉を水で練って一口大に丸めて茹であげたもの。江戸時代には、夏が来ると手桶の水に白玉を入れて売り歩いたそうだ。味よりも舌触りを楽しむ。掲句は現代の情景。母親の好物である白玉を用意して待っていたのだが、夜になってもついに彼女は現れなかった。何かあったのだろうか。台所の白玉の白い色が心なしかはかなげに見えてきて、心配は募るばかりである。まだ電話が普及していなかった頃には、こういうことがしばしば起きたものだ。(清水哲男)


August 1981997

 松葉牡丹玄関勉強腹這ひに

                           中村草田男

房設備などなかった時代には、どこの家庭でも戸口や窓を開けっぱなしにして、夏をしのいだ。そんな家の中でも、涼しい穴場は板張りの廊下と玄関だった。しかし、さすがに大人は廊下や玄関で寝そべるわけにはいかない。勉強部屋もない子供が、ここぞとばかりに句のように腹這いになって本を読んだり宿題をやったりしたものである。勉強に飽きて玄関の軒下に目をやれば、埃まみれの松葉牡丹が暑くるしげに燃えている。そこで子供は、チビた鉛筆をほうり投げ、しばしまどろみの時に入るというのが定番であった。漢字を多用した句が、夏の午後の暑苦しさを的確に表現している。(清水哲男)


August 2081997

 指し数ふ麻座布団の昼の席

                           北野平八

かの会合の流れだろうか。まだ日も高いし、別れがたい七、八人が軽く一杯やろうかという話になった。よくあることだが、こういうときにはたいてい自然発生的に幹事役になる男がいて、二階に座敷のある店を知っていたりする。で、ここからが人間の妙なところで、座敷に通されるや、彼はいちいち指差しながら座布団の数が足りているかどうかを確認するのだ。でも、その場にいる誰もが「子供じゃあるまいし……」などとは思わない。むしろ、自分でもそうしたいくらいな心持ちになる。だから、いやでも座布団が麻であることを認識させられてしまうのである。楽しい夏の午後のひとときの気分がよく出ている。かくのごとくに、俳句の材料はどこにでも転がっているという見本のような句でもある。『北野平八句集』所収。(清水哲男)


August 2181997

 ちらと笑む赤子の昼寝通り雨

                           秋元不死男

夏の陽光をいきなり遮断するように、音をたてて雨が降ってきた。通り雨だ。作者は思わず、傍らですやすやと眠っている赤ん坊が、驚きはしないかと目をやった。すると、赤ん坊がちらりと笑ったというのである。楽しい夢でも見ているのだろうか。すなわち、すべて世は事もなし。なんでもない日常のなかで味わうささやかな幸福観。このがさつな時代に、こういう句に出合うとホッとする。誰もが、もっとこういう時がもてればよいと思う。深刻ぶることだけが文学じゃない。(清水哲男)


August 2281997

 定位置に夫と茶筒と守宮かな

                           池田澄子

宮は「やもり」。夏の夜に出てきて、天井や門灯に手をひろげてぴったりと吸いつく。この場合は、ダイニング・ルームの窓ガラスに、外側から貼りついているのである。ここ数日、いつも同じ場所にいる。気色はよくないが、ふと気がつくと、夫もいつもの席、茶筒もいつものところに鎮座しており、なんだかおかしさがこみあげてきた。誰が決めたわけでもないのに、家庭内の人や物が、いつの間にかそれぞれの位置におさまっている面白さ。そこにもうひとつ家庭とは無縁の守宮を加えてみせたところに、作者の面目がある。この句を読んだ「夫」の感想を聞いてみたい。『空の庭』所収。(清水哲男)


August 2381997

 とり囲み零戦を焼く夏の火に

                           大矢武師

戦(ゼロせん)は、旧日本海軍の誇った高性能戦闘機。敗戦時、作者はそれを製作していた中島飛行機三鷹研究所に勤務していた。それぞれの軍需工場では米軍の本格的進駐を前に、こうやって「証拠湮滅」をはかったのである。当時小西六(現・コニカ)にいた川村兼吉 の証言が、亀井武編『日本写真史への証言』(淡交社)の下巻に出てくる。「工場長の代わりに小島部長がいった。『今日はマッカーサーが厚木に着くんだそうだ。そうなると米軍があちこちから上陸してくるだろう。うちへもくるかもしれない。そうなると、うちで軍用カメラをやっていたことがわかってはまずい。在庫品はみんな叩き潰してスクラップにしてしまいたい。皆協力して下さい』。協力? 部課長ばかり十何人でこれができるだろうか。しかもみんな丹精込めて作ったものである。屋上へ製品を持ち出してこわしかけたが、私は涙が出た。……」。ところが、この証言は川村氏の記憶違いで、実際は九月に入ってから米軍の許可を得てスクラップにしたことが後に判明したそうだ。しかし、私としてはそんなことはどちらでもよい。自分の作ったものを自分の手で廃棄しなければならない哀しみを、多くの日本人が味わったことに違いはないからである。涙ににじんだ炎の色はどんなだったろうか。(清水哲男)


August 2481997

 ひぐらしや静臥の胸に水奏で

                           鷲谷七菜子

臥(せいが)は、静かに横になっている状態。たぶん、このとき作者は病気なのである。夕刻、静かにやすんでいる耳に、遠くからひぐらしの声が聞こえてきた。病身の胸には、それがまるで漣(さざなみ)のようにやさしく響いてくる。熱も下がってきたようだし、明日あたりは起きられそうだ。ひぐらしの声を水の音にひきつけていて、少しも無理がない。『黄炎』所収。(清水哲男)


August 2581997

 夕焼けビルわれらの智恵のさみしさよ

                           阿部完市

近な情景に引きつけて読めば、たとえば会議の果ての寸感である。いたずらに時間ばかりかかって、結局は何もよいアイデアが出なかった会議。徒労感のなかで書類などを片づけながら、ふと窓外に目をやると、もう夕焼けの時である。近所のビルの窓が夕日を反射している。疲れた目にそれはまぶしく、空費した時間を後悔の念とともに虚しく噛みしめるのだ。あるいはそんなお膳立てなどとは関係なく、単に作者は帰宅途中で、夕焼けたビル街を歩いているだけのことかもしれない……。いずれにしても、われら人間の「智恵」には卑小でさみしいところがある。悪あがきがつきものだからである。『無帽』所収。(清水哲男)


August 2681997

 俎板を立てゝ水切る夜の秋

                           池上不二子

の夜ではない。昼の間はまだ暑くても、夜になるとどことなく秋の気配が感じられる。それが「夜の秋」。作者は、洗い物の最後に俎板(まないた)をていねいに洗って水を切る。立てて水を切るのは時々することだが、今夜はそれを意識的にやったという句意だろう。秋の気配に対応して、しゃきっとした気分になりたかったからだ。窓を開ければ草叢で、たぶん秋の虫が鳴き始めている……。(清水哲男)


August 2781997

 音より止むスコール人が歩き出す

                           橋本風車

然の大雨である。あわてて人々は屋根のある場所へと駆けこむのだが、夏の俄雨だからじきに止んでしまう。しばらく避難していると、たちまちのうちに晴れて赤い日がさしてくる。そんな夏の雨はたしかに「音より止む」のであって、まだ少し細かい雨が残ってはいても、音が止みかけると待ちかねた人々が次々に歩きはじめる。古来、こういう雨のことを「驟雨(しゅうう)」と呼んできたが、句の雨は「スコール」と思わずも表現したくなるほどに激しかったということだろう。雨は雨でも、夏季ならではの陽性の雨である。(清水哲男)


August 2881997

 川水の濁りに添うて夏の果

                           桂 信子

の水が濁っているというのだから、一雨あった後だろう。この時期は、一雨ごとに涼しさが増してくる。濁った川の流れを目で追っていくと、ずっとその先には夏の終りが待ち受けているように感じられる。水の流れは、しばしば時の流れにたとえられてきた。掲句は、その伝統的な比喩を視覚化したものだ。一見平凡な句のようにも見えるが、なかなかどうして、技術的には高度な作品である。清流でないところに、生活感覚もよくにじんでいる。ともかく、いろいろあった今年の夏も、そろそろ終りに近づいてきた……。『緑夜』所収。(清水哲男)


August 2981997

 夏痩せてすでに少女の面影なし

                           岡田日郎

段はそのふっくらとした体つきに、どことなく幼さも感じられる女性だった。が、痩せてくるともはやそんな少女の面影は消えてしまい、一人の大人の「女」としての存在感が際立つようになったというのである。余談になるが、最近は「夏痩せ」という言葉をほとんど聞かなくなった。明らかな「夏痩せ」の人の姿も見かけない。冷房設備が普及してきたので、誰もが極度の食欲の衰えを感じなくなってきたためだろう。逆にいまでは「夏太り」するという人さえあるようだ。「夏痩せ」も死語になるのだろうか。(清水哲男)


August 3081997

 冷え過ぎしビールよ友の栄進よ

                           草間時彦

人が栄進した。異例の出世である。そこで、とりあえずのお祝いにと、作者は友人を誘って一杯やりに出かけた。たぶん、二人の馴染みの小さな店だろう。と、出されたビールが、今夜にかぎって冷え過ぎている。生温いビールもまずいが、あまりに冷え過ぎたのも美味くはない。「なんだい、冷え過ぎだよ」と、思わずも口走ってしまう。つまり、自分はあくまでも素直に友の出世を祝福するつもりでいたのだが、冷え過ぎのビールに当たるという形で、どこかに隠れていた妬みの感情が露出してしまったということなのである。サラリーマンの哀しみ。(清水哲男)


August 3181997

 平凡に咲ける朝顔の花を愛す

                           日野草城

れこそ「平凡」な句でしかないだろう。「草城」という署名があるのが不思議なくらいだ。しかし、草城晩年のこの句は、だからこそ人間の表現行為の行方というものを深く考えさせる。若き日の才気煥発ぶりはすっかり影をひそめて、ここにはただ凡庸な表現者がよろけるようにして立っているだけだ。長い病臥の生活、そして片眼の光を失うという不運。かつて山本健吉は、晩年の草城句について「無技巧の技巧と言ってもよいが、それは拙いのではなくて、飽くまでも才人草城が到達した至境なのである」と、暖かい言葉で解説したことがある。そのようなときがあるとしたら、私もたぶんそうするだろう。が、これは本当に「才人草城が到達した至境」なのであろうか。ささやかな表現者でしかない私だけれど、しばしこの句の前で立ち止ってしまうほどの衝撃を受けた。『人生の午後』所収。(清水哲男)




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