1997N813句(前日までの二句を含む)

August 1381997

 ソーダ水うつむける時媚態あり

                           大須賀邦子

態(びたい)は、女性に特有の自己演出法である。半ば無意識に近い仕種も含むから、男にはなかなかそれとわからない。しかし、同性の目はごまかせませんよというのが、この句の眼目だろう。男女何人かで和気あいあいとソーダ水を飲んでいるシーン。何の変哲もなさそうな場であるが、女同士の間では目に見えぬ火花が散っている。だから、相手がうつむくたびに示す媚態が、気になって仕方がない。さながらソーダ水のあざとい色彩のように、目障りなのである。ひょっとすると、これは作者自身の媚態であり、そのことへの自己嫌悪かも知れぬ。そのほうが面白いかなとも思うが、いずれにしても女が女を見る目は恐いということ。(清水哲男)


August 1281997

 塩漬けの小梅噛みつつ冷酒かな

                           徳川夢声

声は、映画弁士、漫談家として話術の大家であった。俳句が好きで、いとう句会のメンバーとなり、おびただしい数の俳句を作った。彼の句集を古書店で求めて読んだ井川博年によると、数は凄いがロクな句はないそうだ。掲句にしても、なるほどうまくはない。「それがどうしたの」という感想だが、しかし、この冷酒はうまそうである。酒好きも有名で、戸板康二は次のように書いている。「大酒家で、映画館で眠ってしまったり、放送できないので古川緑波が声帯模写で代役をつとめたという珍談もある。英国女王の戴冠式に招待されていく船の中で吐血し、晩年は停酒と称して一切アルコールを絶っていたが、酔っているようなユーモラスな口調で誰ともしたしみ、愛される人柄だった。……」(旺文社『現代日本人物事典』)。(清水哲男)


August 1181997

 ナイター観る吾が身もいつか負けがこむ

                           瀧 春一

季の巨人ファンみたいだ(苦笑)。まあ、そんなことはどうでもよろしいが、最近はあまり「ナイター」という和製英語は使わなくなった。誰が発明した言葉なのだろうか。けったいな発想である。しかし、諸種の歳時記が夏の季語として採用しているのだから、発明者にその甲斐はあったというべきだろう。はじめてナイターを観たのは、かれこれ三十年前の後楽園球場。巨人大洋(現・横浜)戦の外野席だった。試合そのものよりも、光の洪水に目を奪われた。当時の新潮社版『俳諧歳時記』から、ナイターの説明を引いておく。これが、なかなか面白い。「夜間行われる野球試合。百万燭光の照明に照らされた球場は、外野の青い芝生としっとりと露気を帯びた内野グランドとの配合が美しく、涼しい夜風に吹かれながら、観客は開襟シャツや浴衣がけの軽装で夜の試合を見て楽しむ。五月から九月末まで行われる。主としてプロ野球であるが、近頃はノンプロでもナイターを行う」。(清水哲男)




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