1997N818句(前日までの二句を含む)

August 1881997

 白玉やくるといふ母つひに来ず

                           星野麥丘人

玉(しらたま)は白玉餅とも言い、白玉粉を水で練って一口大に丸めて茹であげたもの。江戸時代には、夏が来ると手桶の水に白玉を入れて売り歩いたそうだ。味よりも舌触りを楽しむ。掲句は現代の情景。母親の好物である白玉を用意して待っていたのだが、夜になってもついに彼女は現れなかった。何かあったのだろうか。台所の白玉の白い色が心なしかはかなげに見えてきて、心配は募るばかりである。まだ電話が普及していなかった頃には、こういうことがしばしば起きたものだ。(清水哲男)


August 1781997

 遠花火この家を出し姉妹

                           阿波野青畝

ろそろ花火の季節もおしまいである。そんな時期の遠い花火だから、なんとなく寂しい気持ちで、見るともなく見ている。無音の弱々しい光の明滅が、かえって心にしみる。そういえば、この家から出ていった姉妹(あねいもと)は、他郷の空の下でどんな暮らしをしているのだろう。客の作者は家の人には問わず、その消息をただ遠い花火のように思うのである。日常生活のなかで、誰しもが感じるふとした哀感。芝居がかる一歩手前で踏み止まっている。『紅葉の賀』所収。(清水哲男)


August 1681997

 初秋や軽き病に買ひ薬

                           高浜虚子

節のかわりめには体調を崩しやすい。とくに夏から秋は急に涼しくなったりすることがあるので、寝冷えやちょっとした油断から風邪をひいてしまう。医者に診てもらうほどのことでもないから、とりあえず買い置きの薬でしのいでおこうという句意。同時に、ぽつりと作者の孤独の影も詠み込まれている。物思う秋の「軽い」はじまりである。(清水哲男)




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