mul句

August 1881997

 白玉やくるといふ母つひに来ず

                           星野麥丘人

玉(しらたま)は白玉餅とも言い、白玉粉を水で練って一口大に丸めて茹であげたもの。江戸時代には、夏が来ると手桶の水に白玉を入れて売り歩いたそうだ。味よりも舌触りを楽しむ。掲句は現代の情景。母親の好物である白玉を用意して待っていたのだが、夜になってもついに彼女は現れなかった。何かあったのだろうか。台所の白玉の白い色が心なしかはかなげに見えてきて、心配は募るばかりである。まだ電話が普及していなかった頃には、こういうことがしばしば起きたものだ。(清水哲男)


June 2161999

 青山椒雨には少し酒ほしき

                           星野麥丘人

れようが降ろうが、年中酒を欲する人の句ではないだろう。私は年中欲するが、ビールに限るのであって、日本酒は一年に一度飲むかどうかくらい(それも義理で)のところだ。友人に不思議がられるが、相手が日本酒になると下戸同然ということである。同様に、焼酎もウィスキーも飲まない。いや、飲めない。そんな私だが、この句を読んだ途端に日本酒を飲みたくなった。作者と同様に、少しだけだけれど……。雨の庭の青山椒(あおさんしょう)は美しい。が、この句は夕餉の食卓に、青山椒の佃煮か何かが出された故の発想ではなかろうか。晩酌の習慣のない作者が、思わずも日本酒を飲みたくなったのは、たぶん急な梅雨寒のなかで、少し身体を温めたいと思っていたからに違いない。そこに、青山椒の佃煮か何かが出てきた。夜の表は、なお降り続いている雨である。作者の連想は、昼間の雨の庭の美しい青山椒の姿へと自然につながっていく。そこで文字通り情緒的に、一杯ほしくなったというところだろう。うっとおしい梅雨時の情緒は、かくありたいものだ。ぽっと、心の暖まる一句。(清水哲男)


March 2332001

 花たのしいよいよ晩年かもしれぬ

                           星野麥丘人

国から花便りが届くようになった。若いころにはそうでもなかったが、年齢を重ねるに連れ、開花が待ち遠しくなってきた。なんとなく、血のざわめきのようなものを感じる。いったい、いかなる心境の変化によるものだろうか。そんなことを漠然と感じていた矢先だったので、この句に出会ったときにはドキリとした。自註というわけではないが、作者の俳人としての「花」に対する姿勢が添えられている。「平成二年。花鳥風月の花を代表するのはいうまでもなく桜。その桜を『花』という。とても詠めるものじゃない。虎杖やすかんぽでも詠んでいる方がぼくにはふさわしいことは、ぼく自身がいちばんよく知っている。だから『花』のような大きな季語で写生することなど出来る筈がない。はじめから逃げている、そう言われても仕方のないような作だが、晩年に免じて許されたい」。「晩年」について言えば、生きている人の誰にもおのれの「晩年」はわからない。本来は故人を偲ぶときなどに使う言葉だろうから、生きている人が自分の「晩年」を言うのは自己矛盾である。しかし、これからがややこしいところで、一方で私たちは人が必ず死ぬことを知っている。それも、ある程度の年齢まで到達すると、本人も周囲も「いよいよ」かと思うものだろう。だから、自分の「晩年」を言っても、さしたる矛盾でもないという年齢はありそうだ。が、いくつになったら矛盾しないのか。究極的には、やはり誰も自分の自然な余命を知ることはできない。だとすると、……と考えていくうちに、事は錯綜するばかり。ああ、七面倒くさい。となって、「晩年かもしれぬ」で打ち止めである。だから「晩年」の二字はあっても、句は暗くない。むしろ、明るい。「俳句研究」(2001年3月号)所載。(清水哲男)


November 24112001

 薮巻やこどものこゑの裏山に

                           星野麥丘人

語は「薮巻(やぶまき)」で冬。雪折れを防ぐために、竹や樹木を筵(むしろ)などで包み、縄でぐるぐる巻きにしたもの。といっても、霜よけとか雪吊りのようにしっかりしたものではない。江戸期雪国のドキュメンタリー・鈴木牧之『北越雪譜』に、こうある。「庭樹は大小に随ひ、枝の曲ぐるべきは曲げて縛りつけ、椙(すぎ)丸太または竹を添へ杖となして、枝を強からしむ。雪折れを厭へばなり。冬草の類は菰筵をもつて覆ひ包む」。作者は、そんな作業をしているのか。あるいは、すっかり作業が終わった庭を眺めているのか。雪の来る日も間近い寒い季節だというのに、裏山からは元気に遊ぶ子供の声が聞こえてくる。その子供はまた昔の私でもあったわけだが、いまや寒空の下で駆け回る気力はない。「薮巻」を施された竹や樹のように、縮こまってこの冬を生きていくだろう。平仮名表記の「こどものこゑ」という柔らかさが、固く身を縮めた「薮巻」の風情と対照的で、よく効いている。裏山から子供らの声が、いまにも聞こえてきそうだ。それにしても、最近は「子供は風の子」という言葉を耳にしなくなった。いまの子供たちが将来この句を読んだとしても、句味がわからないかもしれない。『合本俳句歳時記・第三版』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


December 16122002

 冬服の紺まぎれなし彼も教師

                           星野麥丘人

通りに読める。一つは「教師」である「彼」その人を知っている場合だ。昨今でも、いったいに教師の装いは地味である。が、そんななかで、彼はいささか洒落たデザインの冬のスーツを着て職場に出てきた。作者は一瞬「おっ」と目を引かれたけれど、しかしデザインはともかく、服地の色が押さえた「紺」であったことで、やはり「まぎれなし」に「彼も」教師なんだなあと微笑している。もう一つの読みは、電車などにたまたま乗りあわせた見知らぬ他人の場合だ。同じような理由から、その人は十中八九教師に違いないと思ったというのである。こちらの解釈のほうがほろ苦くて、私は好きだ。他人の職業を見破ったからといって、何がどうなるというわけではないのだけれど、すうっとその人に親近感がわいてくる。と同時に、教師なんてみんなヤボなものだなあと、ちょっと自嘲の念も生まれている。この味は、それこそ「まぎれなしに」ほろ苦い。教師でなくても、一般的に同業者同士は、お互いにすぐにわかりあえる雰囲気を持っている。このときに、見破る大きなキーとなるのは、やはり服装だろう。私が日ごろよく接している人の職業は、メディア関係が多い。放送局、出版社、新聞社の人々だが、一見それぞれの服装が同じように見えるスーツ姿でも、微妙に異っているところが面白い。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


May 1552003

 をかしきや脚気などとは思へねど

                           星野麥丘人

ほど突発的な身体的変調をきたさないかぎり、病院に行く前に、私たちは自分の病気や病名の見当をつけていく。素人なりに、自己診断をしてから出かける。で、たいていの場合、自己診断と医師のそれとは合致する。外れても、大外れすることはあまりない。作者の病状はわからないが、なんとなくだるい感じがつづくので、診てもらったのだろう。ところが医師の口から出てきた病名は、自己診断の範囲から大きく外れていた。思いもかけぬ病名だった。ええっ「脚気(かっけ)」だって、それもいまどき。昔はよく聞いた病名だが、長らく忘れていた。周囲にも、脚気の人など誰もいない。それがよりによって我が身に発症するとは、信じられない。到底、そうは思えない。そんな気分を「をかしきや」と詠んだ。いぶかしくも滑稽に思えて、ぽかんとしているありさまがよく出ている。そういえば、私の少年時代には、膝頭を木槌でポンと叩く脚気の診断法があったっけ。それはそれとして、句の季語が「脚気」で夏に分類されていることをご存知だろうか。脚気はビタミンB1の欠乏症で、B1の消費が盛んな夏によく発症したからである。軽い場合には、食欲が減り疲れやすく脚がだるいといった症状で、作者もこの程度だったのかもしれない。さすがに現代では、一部の歳時記に出てくるだけだが、季語になるほど一般的な病気であったことが知れる。でもねえ、いまどき脚気を季語として扱うのはどんなものかしらん。よほど掲句を無季に分類しようかとも思ったが、かつての分類を知っている以上はそうもいかない。そこで一句(?!)。をかしきや脚気を季語とは思えねど。「俳句研究」(2003年6月号)所載。(清水哲男)


July 1972003

 さかづきを置きぬ冷夏かも知れず

                           星野麥丘人

おかたの地方では、今日から子供たちの夏休みがはじまる。しかし、この夏の東京の感覚からすると、とても「暑中休暇」という気はしない。雨模様の日がなおしばらくはつづきそうだし、昼間でも気温はそんなに高くはならないからだ。気象庁の三ヵ月予報では、七月の後半には晴れる日が多く、気温も高いということになっていた。でも、どうかすると窓を開けていると寒い日さえある。ふっと「冷夏」かもしれないと思ったときに、嘘みたいに偶然この句に出会った。機嫌よく飲んでいたのに、それこそふっと「冷夏かも知れぬ」と思った途端に、不安な胸騒ぎを覚えて「さかづき」を置いたというのである。このときの作者の仕事は何だったのかは知らないが、冷夏によって被害をこうむる仕事は多い。最も直接的な打撃を受ける農業関係者はもとより、被服だとか電気製品だとか飲料水だとかの夏物を売る商売の人たち、はたまた観光地で働く人々など、そろそろこの天候には不安の色を隠せないころではあるまいか。消費者だとて、何年か前の米の不作でタイ米を買いに走ったことを忘れてはいないはずだ。だから、持った「さかづき」を置くという行為は、決してオーバーな仕草ではないし、句もまた過剰な表現ではないのである。私ひとりの杞憂に終わってくれればよいのだが……。なお、「冷夏」を独立した季語として扱っている歳時記は少ない。当サイトがベースにしている角川版にもないので、便宜上「夏」の項目のなかに入れておくことにする。『俳諧歳時記・夏』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


October 29102004

 萱負うて束ね髪濃き山処女

                           星野麥丘人

語は「萱(かや)」で秋。ただし、萱という植物名はない。ススキやチガヤなどの総称で、ススキを指す場合がほとんどである。昔は茅葺きの屋根に使われたものだけれど、今ではさしたる実用性はなさそうだ。作者は田舎道で、背負子に萱の束を背負った土地の若い女性とすれちがった。「処女」は「おとめ」と読む。ずいぶんと重そうではあるが、しっかりとした足取りだ。少し前屈みになった女性の「束ね髪」は黒々として艶があり、「若さだなア」と作者は素直に感嘆している。と同時に、彼の胸にはふっとよぎるものもあったと思う。この地で生まれ育ち、生涯をこの地でつつましく生きていくであろう女性の宿命のようなものである。萱には、どこかそうした淋しさを想起させるところがある。萱それ自体というよりも、ものみな枯れてゆく山国の光景が、そうさせるからだろう。古歌に曰く。「七日刈る萱は我が身の上なれや人に思ひを告げでやみぬる」(『古今六帖』)。私の子供の頃にも、よく萱を刈った。学校に持っていくとナニガシかになった記憶があるが、あれはいったい何の役に立っていたのだろうか。萱の葉では、とにかくよく指を切ったっけ。痛いのなんのって……。そんな思い出と、あとは束ねた萱の良い匂いくらいしか覚えていない。『花の歳時記・秋』(2004・講談社)所載。(清水哲男)


June 0562008

 きんいろのフランス山の毛虫かな

                           星野麥丘人

から毛虫は嫌われ者だ。小学校の頃、葉桜の下で鬼ごっこをして教室へ帰ってきたら回りにいた友達が突然きゃーきゃー騒ぎだした。真っ黒な毛虫が私の肩にひっついていたのだけど遠巻きに騒ぐだけで誰もとってくれない。その思い出があるから今も葉桜の下を通るときには首をすくめて足早に通る。なぜかその毛虫がこの句ではすてきに思える。夕焼けを浴びてきんいろに光っている毛虫はおとぎ話の主人公のように何か別のものに変身しそうだ。インターネットで調べるとフランス山は横浜港を一望できる「港の見える丘公園」の北側部分を指すらしいが、それを知らなくとも「フランス山」という名前からは童話的世界の広がりが感じられる。夕暮れ時の山の中でたまたま眼にした毛虫が夕日を浴びてきんいろに光っていただけかもしれないが、読み手の私には嫌いだった毛虫に別の表情が加わったように思う。『亭午』(2002)所収。(三宅やよい)


November 06112008

 立冬のクロワッサンとゆでたまご

                           星野麥丘人

ロワッサン、と聞くと私などは長年親しんだ女性雑誌の名前が思い浮かぶ。ちょっと小粋なパンの名前が醸し出すおしゃれなイメージに期待して命名されたのだろう。確かにこのパンの名前にはアンパンやメロンパンとはひと味違うよそいきの雰囲気がある。掲句はもちろん三日月形のパンそのものだろうが、このクロワッサンはおいしそうだ。かさこそ音をたてる落葉道を散歩していると、店先からパンを焼く香ばしい匂いが流れてくる。思わず買ってしまったパンのぬくみを紙袋に感じつつ帰宅。濃くいれた熱いコーヒーにゆで玉子を添えて朝の食卓を囲む。そんなシーンを思い描いた。パリパリと軽いクロワッサンの感触とつるりと光るゆでたまごの取り合わせも素敵だ。一見何の技巧もなく見えるが、これだけの名詞を並べるだけで立冬の朝の気分をいきいき感じさせている。この句集には「立冬の水族館の大なまず」(「なまず」は魚偏に夷の表記)などの楽しい句もあって、気負いなく寒い冬を受け入れようとする作者の自在な心持が感じられる。『雨滴集』(1996)所収。(三宅やよい)


April 2342009

 珈琲や湖へ大きな春の虹

                           星野麥丘人

琲は作者自身によってブラックとルビが振ってある。珈琲(ブラック)や、と濃く熱く入れた飲み物に詠嘆しているわけで、しかも珈琲を飲んでいる眼前の湖に淡く大きな虹がかかっている。阿部青鞋に「天国へブラック珈琲飲んでから」という句があったように思うが、この句は青鞋の思いに答えたかのような色合いである。春の虹は夏の虹に比べると色も淡く、たちまちのうちに消えてしまう性質を持っているようだが、それだけに美しく名残惜しいものだろう。ゆっくりと珈琲を飲み終わるころには虹は失せて、すっかり元の光景に戻っているのかもしれない。麥丘人(ばくきゅうじん)の句は事実だけを述べているようで、なんともいえない老年の艶のようなものがあり、この句も口に入れると淡々と解ける和菓子のような味わいだ。日々の生活に追われるなかで麥丘人の句を読むと肩の力がほんの少し抜けるような気がする。『燕雀』(1999)所収。(三宅やよい)


January 0312010

 只の年またくるそれでよかりけり

                           星野麥丘人

あ、読んでの通りの句です。言っていることも、あるいは言わんとしていることも、実にわかりやすくできています。ありふれていることのありがたみを、あらためて、しみじみと感じている様子がよく表されています。正月3日。このところの深酒のせいで深く眠ったあとで、ゆっくりと目が覚めて、朝風呂にでも浸かっているのでしょうか。水面から立ち上る湯気の様子を、見るともなく見ながら、年が改まったことへの感慨を深めているようです。若い頃には、受験だ結婚だ出産だと、次から次へ予定が詰まっていた一年も、子供たちが独立してからは、年が新しくなったからといって、特に大きな予定も思い当たらなくなってきました。ただただ時の柔らかな流れのなかに、力をいれずに身をまかせているだけです。なんだが止め処もなく湧いてくる、この湯気のような月日だなと思いながら、ありふれた日々のありがたさに、肩深くまで浸かっています。よいことなんて特段起きなくていい。生きて何事もなくすごせることの奇跡を、じかに感じていたいのです。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(松下育男)


August 1682012

 来て洗ふ応へて墓のほてりかな

                           星野麥丘人

のごろはロッカー式の墓があったり、墓を作らずに散骨を希望する人も増えているようだが、鬱蒼と茂る樹木に囲まれた墓に参るのもいいものだ。しかし先祖が眠る墓苑では、無縁仏になってしまったのか荒れたお墓も目に付くようになってきた。昔に比べ家族の結びつきが希薄になった現在、墓はいよいよ取り残されてしまうかもしれない。掲句では「来て洗ふ」という表現から心のこもった墓参りの様子が伝わってくる。強い日差しにほてった石のぬくみを手のひらに感じながら丁寧に墓を洗う。墓のほてりが懐かしい人の体温のようだ。たっぷりと水を吸った墓に花を活け、線香をあげてさまざまな出来事の報告をする。水と墓石のほてりの照応に、現世と彼岸との目に見えない交流が感じられる。『星野麥丘人句集』(2003)所収。(三宅やよい)


September 0192012

 無用のことせぬ妻をりて秋暑し

                           星野麥丘人

月はまだ仕方ないとして、九月になるともうそろそろ勘弁してほしい、と思う残暑、今年はまた一段と厳しい。朝晩凌ぎやすくなってきたとはいっても、ひと夏の疲れが溜まった身にはこたえるものだがそんな日中、暑い暑いと言うでもなく、気がつけば少し離れてじっと座って小さい手仕事などしている妻。無用なことをしてばたばたと動き回っている方がよほど暑苦しいわけだが、逆にじっとしているさまが、残る暑さのじんわりとした感じをうつし出している。おい、と言いかけるけれど、ご自分でできることはなさって下さいな光線が出ているのかもしれない。麦茶の一杯でも、と厨に立つ作者の後ろ姿も浮かんでくるようだ。『新日本大歳時記・秋』(1999・講談社)。(今井肖子)


November 05112015

 立冬の水族館の大なまず

                           星野麥丘人

まずはの表記は魚編+夷、一般には鯰と書くことが多いがこの句ではずんぐりとした大なまずを強調する意味でこの漢字を用いているのだろう。水族館の暗い水槽に沈んでいる大なまずは季節の変化はほとんど関係がない。昨日、今日、明日同じ状態が持続していくだけである。「ひたすらに順ふ冬の来りけり」という句も並んでいる。身を切る寒さ、足元の危うい雪や凍結の道路。年を経るにしたがって、耐え忍ぶ冬を超えて春を待ちのぞむ気持ちは強くなる。いよいよ立冬。動き回ることが少なくり炬燵に立てこもる姿は大なまずと同じということか。さて今年の冬の寒さはどんなものだろう。『雨滴集』(1996)所収。(三宅やよい)




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