1997N819句(前日までの二句を含む)

August 1981997

 松葉牡丹玄関勉強腹這ひに

                           中村草田男

房設備などなかった時代には、どこの家庭でも戸口や窓を開けっぱなしにして、夏をしのいだ。そんな家の中でも、涼しい穴場は板張りの廊下と玄関だった。しかし、さすがに大人は廊下や玄関で寝そべるわけにはいかない。勉強部屋もない子供が、ここぞとばかりに句のように腹這いになって本を読んだり宿題をやったりしたものである。勉強に飽きて玄関の軒下に目をやれば、埃まみれの松葉牡丹が暑くるしげに燃えている。そこで子供は、チビた鉛筆をほうり投げ、しばしまどろみの時に入るというのが定番であった。漢字を多用した句が、夏の午後の暑苦しさを的確に表現している。(清水哲男)


August 1881997

 白玉やくるといふ母つひに来ず

                           星野麥丘人

玉(しらたま)は白玉餅とも言い、白玉粉を水で練って一口大に丸めて茹であげたもの。江戸時代には、夏が来ると手桶の水に白玉を入れて売り歩いたそうだ。味よりも舌触りを楽しむ。掲句は現代の情景。母親の好物である白玉を用意して待っていたのだが、夜になってもついに彼女は現れなかった。何かあったのだろうか。台所の白玉の白い色が心なしかはかなげに見えてきて、心配は募るばかりである。まだ電話が普及していなかった頃には、こういうことがしばしば起きたものだ。(清水哲男)


August 1781997

 遠花火この家を出し姉妹

                           阿波野青畝

ろそろ花火の季節もおしまいである。そんな時期の遠い花火だから、なんとなく寂しい気持ちで、見るともなく見ている。無音の弱々しい光の明滅が、かえって心にしみる。そういえば、この家から出ていった姉妹(あねいもと)は、他郷の空の下でどんな暮らしをしているのだろう。客の作者は家の人には問わず、その消息をただ遠い花火のように思うのである。日常生活のなかで、誰しもが感じるふとした哀感。芝居がかる一歩手前で踏み止まっている。『紅葉の賀』所収。(清水哲男)




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