1997N93句(前日までの二句を含む)

September 0391997

 虫の音をあつめて星の夜明けかな

                           織本花嬌

情の質からすれば現代を思わせるが、作者は一茶と同時代に生きた江戸期の女流である。たしかに秋の夜明けは、いまでもかくのごとくに神秘的で美しい。蕪村の抒情性などを想起させるところがある。ところで、作者の嬌花は一茶より三歳年上で南総地方随一の名家の嫁であり、後に未亡人となった人だが、一茶の「永遠の恋人」として伝承されている。もとよりプラトニック・ラブだったけれど、一茶の片思いの激しさのおかげで、いま私たちはこのように嬌花の句を読むことができるというわけだ。文化六年三月に嬌花の部屋で行われた連句の会の記録が残っている。まずは一茶が「細長い山のはずれに雉子鳴いて」と詠みかけると、彼女は「鍋蓋ほどに出づる夕月」と受けている。いや、しらっと受け流している。このやりとりを見るかぎり、すでに一茶の恋の行方は定まっていたようなものだ……。気の毒ながら、相手が一枚も二枚も上手(うわて)であった。(清水哲男)


September 0291997

 腿高きグレコは女白き雷

                           三橋敏雄

ュリエット・グレコ頌。腿は「もも」。いったいにシャンソン歌手は女性のほうが毅然としているが、なかでもグレコは群を抜いている。舞台か映像か、黒衣の彼女の歌いぶりに集中していると、その身体から白い雷が発生しているように思えたというのだ。「腿高き」が、作者の心酔度の高さを示している。私は仕事で一度だけ、来日した彼女に会ったことがある。初秋だった。半蔵門のスタジオから、紅葉のはじまりかけた皇居の森を見て「これはいまの私の色ね」と言って微笑した。つまり、自分は人生の秋にさしかかっていると言ったのである。気障なセリフだが、グレコが言うと素直に納得できるのだった。『まぼろしの鱶』所収。(清水哲男)


September 0191997

 震災忌向あうて蕎麦啜りけり

                           久保田万太郎

和三十五年、死の三年前の作品である。万太郎は浅草生まれで、震災にもあい戦災にもあった。そういうこともあり、まったく物質的な執着がない人だったという。大震災からはるかな年月を経て、そば屋で当時の体験などを話しながら向き合っているのは誰だろうか。それが誰であろうと、作者はここにこうして生きてある自分の幸運をこそ味わっているのだ。この句は、万太郎門の成瀬櫻桃子が月刊「うえの」の最新号(1997年9月号)で紹介している。万太郎は常々「蕎麦は、食べると言っては駄目。啜る(すする)だ」と、弟子たちに教えていたと書いている。(清水哲男)




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