1997N94句(前日までの二句を含む)

September 0491997

 里ふりて柿の木もたぬ家もなし

                           松尾芭蕉

禄七年(1694)八月七日の作品だから、新暦ではちょうどいまごろの季節の句だ。柿の実はまだ青くて固かっただろう。農村に住んでいたせいだろうか、こういう句にはすぐに魅かれてしまう。私の頃でも、ちゃんとした農家の庭には必ず柿の木が植えられていたものだ。俗に「桃栗三年柿八年」というように柿の木の生育は遅いので、この句のように全戸に柿の木が成熟した姿で存在するということは、おのずからその村落の古さと安定とを示していることになる。ここで芭蕉が言っているのは、一所不住を貫いた「漂泊の詩人」のふとした自嘲でもあろうか。少なくとも俳諧などには無関心で、実直に朴訥に生きてきた人たちへの遠回しのオマージュのように、私には思える。二カ月後に、彼は「旅に病で夢は枯野をかけ迴る」と詠んだ。時に芭蕉五一歳。『蕉翁句集』所収。(清水哲男)


September 0391997

 虫の音をあつめて星の夜明けかな

                           織本花嬌

情の質からすれば現代を思わせるが、作者は一茶と同時代に生きた江戸期の女流である。たしかに秋の夜明けは、いまでもかくのごとくに神秘的で美しい。蕪村の抒情性などを想起させるところがある。ところで、作者の嬌花は一茶より三歳年上で南総地方随一の名家の嫁であり、後に未亡人となった人だが、一茶の「永遠の恋人」として伝承されている。もとよりプラトニック・ラブだったけれど、一茶の片思いの激しさのおかげで、いま私たちはこのように嬌花の句を読むことができるというわけだ。文化六年三月に嬌花の部屋で行われた連句の会の記録が残っている。まずは一茶が「細長い山のはずれに雉子鳴いて」と詠みかけると、彼女は「鍋蓋ほどに出づる夕月」と受けている。いや、しらっと受け流している。このやりとりを見るかぎり、すでに一茶の恋の行方は定まっていたようなものだ……。気の毒ながら、相手が一枚も二枚も上手(うわて)であった。(清水哲男)


September 0291997

 腿高きグレコは女白き雷

                           三橋敏雄

ュリエット・グレコ頌。腿は「もも」。いったいにシャンソン歌手は女性のほうが毅然としているが、なかでもグレコは群を抜いている。舞台か映像か、黒衣の彼女の歌いぶりに集中していると、その身体から白い雷が発生しているように思えたというのだ。「腿高き」が、作者の心酔度の高さを示している。私は仕事で一度だけ、来日した彼女に会ったことがある。初秋だった。半蔵門のスタジオから、紅葉のはじまりかけた皇居の森を見て「これはいまの私の色ね」と言って微笑した。つまり、自分は人生の秋にさしかかっていると言ったのである。気障なセリフだが、グレコが言うと素直に納得できるのだった。『まぼろしの鱶』所収。(清水哲男)




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