September 0591997

 容赦なき西日敗戦投手かな

                           佐藤博美

西日は夏の季語とされるが、実際には太陽が真向かいに来る秋口のほうがまぶしく濃い。高校野球の試合だろうか。敗戦投手のいたましさを、さらにクローズアップするかのような西日が強烈だ。およそピッチャーなる「人種」は人一倍プライドが高いのが普通で、したがって哀れさも余計に拡大されてしまう。暑さも暑し、観客である作者はうちひしがれた投手のそんな姿を正視できない気持ちだ。間もなくこの秋にも、来春の甲子園を目指して、三年生を除いた新チームによる秋季高校野球大会が開幕する。『七夕』所収。(清水哲男)


May 0951998

 反り合はぬ花のなきかに霞草

                           佐藤博美

屋でちょっとした花束をこしらえてもらうと、注文をつけないかぎり、まず霞草が外されることはない。それほどにこの花は、どんな花とも相性がよい。作者が言うように「反り」の合わない花はないみたいだ。ただし、この句はそれだけのことを言っているのではなくて、霞草のように誰とでも調子を合わせられない自分自身の「感性」を、いささか疎んじているのでもある。そして一方では、霞草がどんな花とも付き合えるとはいっても、それはしょせん引き立て役にすぎないではないかという小さな反発心もあるように思われる。そのあたりの微妙な心の揺れ具合が、この句の読みどころだろう。ところで、本サイトが定本として参照している歳時記には、霞草の項目がない。花屋には一年中出回っているからだろうが、本来は初夏の花だ。当サイトでは「夏」に分類しておく。『私』(1997)所収。(清水哲男)


May 3052002

 香水や優柔不断盾として

                           佐藤博美

語は「香水」で夏。身だしなみを整え、これから外出するところ。でも、心弾む外出ではない。先方では難題が待ち受けていて、何らかの態度を決めなければならないのだ。どう応接すべきか。いくら思案しても、どうしたらよいのか結論が出ない。決めかねたままに、外出の時間が迫ってきた。で、仕上げの香をしのばせながら思い決めたのが「優柔不断」……。今日のところはこれを「盾(たて)」として、結論をもう少し先延ばしにするしかないだろう、と。男であれば、さしずめネクタイを締めながら心を決める場面だ。言われてみれば、優柔不断もたしかに堅牢な盾となる。香水の句で有名なのは、中村草田男の「香水の香ぞ鉄壁をなせりける」だ。この「鉄壁」の本質が、実は女性の優柔不断だったらどうだろうと思うと、草田男の生真面目さに切なさと可笑しさが同時にこみあげてくる。ところで、この句を読んであらためて気がついたのは、私は外出寸前に態度を決めることが多いということだった。難題に対してばかりではなく、気ままな遊びでのコース選びについても同様だ。目的地までのバスや電車のなかでは、なかなか考えがまとまらない。というよりも、ほとんど思考停止の状態になってしまう。変更する時間の余裕はたっぷりあっても、結局は家で決めた通りの道筋をたどることになる。すなわち、家から持ちだした盾を後生大事に抱えてしか歩けないというわけだ。なんでしょうかねえ、これって。『私』(1997)所収。(清水哲男)


February 2022007

 菜の花や象と生まれて芸ひとつ

                           佐藤博美

大な身体を持ちながら従順に命令に従う象の芸は、賢さや器用さを思うより、いいようのない切なさを伴うものだ。さらに戦争中の1943年、逃走したら危険という理由で餓死させられた上野動物園の象が最後まで芸を繰り返したという実話も重なり、異国の地に連れてこられた動物たちの哀れな運命に思いを馳せる。涅槃図に描かれる白象ではなく、人々は一体いつ実物の象という動物を目にしたのだろうかと思い調べてみると、1728年8代将軍吉宗が注文した5才のメスと7才のオスの2頭の象がベトナムから長崎に到着していた。船旅の疲れが祟ったのか、メス象は3カ月ほどで死んでしまうが、オス象と象使いたち一行は江戸を目指し、一日に3里から5里のペースで陸路をたどったという。京都御所謁見の際「広南従四位白象」という位まで頂戴した象さまをひと目見ようと、道中の熱狂の人垣はいかばかりかと想像するが、象の方は街道の人々に愛嬌を振りまいて穏やかに歩を進めていたようだ。オス象は10年ほど浜離宮で飼育され、吉宗は時折江戸城に召し出したというが、その後は中野の農夫に払い下げられ見世物とされ、数カ月後の真冬の12月に病死している。象の寿命が70年余りだと考えると、享年21才という年齢は短いものだろうが、伴侶もなくたった一頭で繰り返す四季はあまりに長く悲しい歳月だったことだろう。掲句の菜の花の屈託のない黄色が、ひときわ印象的な色彩となって胸に灯る。『空のかたち』(2006)所収。(土肥あき子)




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