1997N913句(前日までの二句を含む)

September 1391997

 草いろいろおのおの花の手柄かな

                           松尾芭蕉

来、梅や桜などの木の花は春、草の花はこの季節に多く咲くので秋のものとされてきた。したがって、この句の季語はそのように書かれてはいないが、「草の花」として秋の部に分類すべきだろう。句意は明瞭。草の種類は有名無名さまざまだけれど、それぞれの草がそれぞれに立派に花を咲かせている姿が見事だということである。ニュアンス的には、名も無き花に贔屓している。植物に「手柄」を使ったところも面白い。この言葉は武勲に通じるのでいまでは敬遠されがちだが、芭蕉の時代には、もっと幅広い含みがあったようだ。『笈日記』所収。(清水哲男)


September 1291997

 朝顔の紺の彼方の月日かな

                           石田波郷

郷二十九歳の作品だが、既に老成したクラシカルな味わいがある。句のできた背景については「結婚はしたが職は無くひたすら俳句に没頭し……」と、後に作者が解説している。朝顔の紺に触発されて過ぎ去った日々に思いをいたしている。と、従来の解釈はそう定まっているようだが、私は同時に、未来の日々への思いもごく自然に込められていると理解したい。過去から未来への静と動。朝顔の紺は永劫に変わらないけれど、人間の様子は変わらざるを得ないのだ。その心の揺れが、ぴしりと決まった朝顔の紺と対比されているのだと思う。『風切』所収。(清水哲男)


September 1191997

 向き合へる蝗の貌の真面目かな

                           松浦加古

の季節の稲田に大挙して押し寄せる蝗(いなご)は、農民にとっては天敵である。畦道を歩いていると、しばしばこちらの顔にぶつかってくるほどの数だ。現在の方法は知らないが、こいつらを退治するのに、昔は一匹一匹手で捕まえるしか方法がなかった。主として子供たちの仕事で、用意した紙袋にどんどん捕まえては入れ、そのまま焚火で焼き殺す。そんな仕事中に、たまには餌食の顔をまじまじと見てしまうということも起きた。この句のとおり、彼らは極めて真面目な表情をしている。真面目に人間に害をおよぼしているのだ。そこのところがなんとなく哀れでもあり、可笑しくもあった。蝗をうまそうに食べる人もいるが、私は駄目だ。天敵とはいえども、同じ土地の空気を吸って共に生きた間柄だからである。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます