1997N919句(前日までの二句を含む)

September 1991997

 朝鵙や昨日といふ日かげもなし

                           林 翔

は「もず」。気性の荒い鳥だ。朝早くからキーッ、キーッと苛立っている。そんな鵙の声を耳にすると、なんだか逆に気持ちが落ち着いてくる。昨日はいろいろなことがあり、どう対処すべきかなどと思い悩んだが、それが嘘のように消えてしまった。悩みの袋小路から、いつの間にかするりと抜け出ている。「昨日といふ日」はどこへ行ったのか、影もない。さっぱりとした気分で、一日がはじめられる清涼感。鵙の声は、なおしきりである。(清水哲男)


September 1891997

 電車の影出てコスモスに頭の影

                           鈴木清志

く晴れた日の郊外の駅。少し肌寒いので、いま下りた電車の影から日向のほうに出て歩く。今度は自分の影が尾を引くことになり、見ると、ちょうどその頭のところでコスモスが風に揺れていたという情景だ。人の影の頭の部分は、時に矢印の役割を負う。ここで矢印はコスモスを指して、作者に「秋」を発見させたわけである。なんでもないような句だが、作者の感覚は実にシャープで、心地よい。スケッチ句のお手本である。(清水哲男)


September 1791997

 はせ川の河童屏風の雨月かな

                           竜岡 晋

せ川は料理屋の名前。親しい友人たちとしめしあわせて、月見で一杯と洒落れこんだ。奮発して、上等の部屋を予約した。……が、あいにくの雨。月見どころか、肌寒くて窓も開けられない。気がつくと、屏風には雨を喜ぶ河童の絵だ。「河童じゃあ、雨も当たり前さ」と、誰かが苦笑する。「俺たちは、いつもこうなる」と、誰かがボヤく。さりげない場面だが、大人の味が滲み出ている。そこらへんの俳句小僧には、作れそうで作れない句だ。ちなみに「雨月(うげつ)」は、雨のためにせっかくの名月が見られないことをいう。(清水哲男)




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