September 261997
男の傘借りて秋雨音重し
殿村菟絲子
秋の天気は変わりやすいので、こういうことも起きる。この場合、実際に重いのは男用の傘なのだが、こまかい秋雨の音まで重く感じられるというところが面白い。とりあえず助かったという思いと、重い傘の鬱陶しさとの心理的な交錯。この傘を返しにいくときが、また重いのである。あした晴れるか。(清水哲男)
September 251997
闇にただよふ菊の香三十路近づきくる
中嶋秀子
眠ろうとして床につくが、なかなか寝つけない。部屋に活けた菊の濃密な香がただよっていて、心なしか息苦しい感じさえする。思えば、三十路も間近だ。もうそんなに若くはないのだから、もっとしゃんとしなければという自戒の念。三十路に対しては、男よりも女のほうが敏感だろう。このとき作者は結婚しているが、現代の「結婚しない女たち」にとっても、三十路に入る心境は複雑なようだ。新聞や雑誌が、繰り返してそんな女性たちのレポートを載せている。『花響』所収。(清水哲男)
September 241997
馬が川に出会うところに役場あり
阿部完市
完市の句に、意味を求めても無駄である。彼は人が言葉を発する瞬間に着目し、その瞬間の混沌の面白さを書きとめる。無意味といえばそれまでだが、人は意味のみにて生きるにあらず。人と話すにせよ文章を書くにせよ、最初に脳裡に浮かぶ言葉には意味はない。私たちはそのような言葉の混沌を意味的に整理しながら、やおら言葉を吐き出しにかかるのである。したがって、如何に結果的に理路整然とした文脈に感じられようとも、その源をたどればすべてが初発の混沌に行き着くのだ。この句を時系列的に読めば、作者はまず馬のイメージをを拾い上げ、その馬の動きを追っていくと川に出会い、そこに役場が出現する。そういうことだが、作者の混沌のなかでは、馬も川も役場もが同時的に一挙に出現したものなのである。だから不思議な抒情性があり、面白い味が出てきている。そして、私たちがそう感じ取れるのは、この不思議の源が、実は既に読者自身の言語的混沌のなかに内包されているものだからだと思う。『軽のやまめ』所収。(清水哲男)
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