1997N928句(前日までの二句を含む)

September 2891997

 甲賀衆のしのびの賭や夜半の秋

                           与謝蕪村

賀衆は、ご存じ「忍びの者」。江戸幕府に同心(下級役人)として仕えた。秋の夜長に退屈した忍びの者たちが、ひそかに術くらべの賭をしてヒマをつぶしているという図。忍びの専門家も、サボるときにもやはり忍びながらというのが可笑しいですね。ところで、このように忍者をちゃんと詠んだ句は珍しい。もちろんフィクションだろうが、なんとなくありそうなシーンでもある。蕪村はけっこう茶目っ気のあった人で、たとえば「嵐雪とふとん引き合ふ侘寝かな」などというちょいと切ない剽軽句もある。嵐雪(らんせつ・姓は服部)は芭蕉門の俳人で、蕪村のこの句は彼の有名な「蒲団着てねたるすがたやひがし山」という一句に引っ掛けたものだ。嵐雪が死んだときに蕪村はまだたったの九歳だったから、こんなことは実際に起きたはずもないのだけれど……。『蕪村句集』所収。(清水哲男)


September 2791997

 こほろぎにさめてやあらん壁隣り

                           富田木歩

正七年の作。前書に「家のために身を賣りし隣の子の親も子煩悩なれば」とあるので、これ以上の解説は不要だろう。木歩はこの前年に「桔梗なればまだうき露もありぬべし」と詠み、「我が妹の一家のため身を賣りければ」という前書をつけている。桔梗になぞらえられた妹まき子は遊女屋で肺病になり、家に戻され、間もなく死ぬ。享年十八歳。自力で歩行することのできなかった作者自身は、関東大震災のために二十六歳の若さで惨死している。弱者にとって、大正とはまことに残酷で理不尽な時代であった。『定本木歩句集』(1938)所収。(清水哲男)


September 2691997

 男の傘借りて秋雨音重し

                           殿村菟絲子

の天気は変わりやすいので、こういうことも起きる。この場合、実際に重いのは男用の傘なのだが、こまかい秋雨の音まで重く感じられるというところが面白い。とりあえず助かったという思いと、重い傘の鬱陶しさとの心理的な交錯。この傘を返しにいくときが、また重いのである。あした晴れるか。(清水哲男)




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