G黷ェ句

October 01101997

 笑ひ茸食べて笑つてみたきかな

                           鈴木真砂女

い好奇心からの句ではあるまい。八十歳を過ぎ、心から笑うことのなくなった生活のなかで、毒茸の助けを借りてでも大いに笑ってみたいという、一見するとしごく素直な心境句である。が、しかし同時にどこか捨て鉢なところもねっとりと感じられ、老いとはかくのごとくに直球と見紛うフォークボールを投げてみせるもののようだ。よく笑う若い女性にかぎらず、笑いは若さの象徴的な心理的かつ身体的な現象だろう。どうやら社会的な未成熟度にも関係があり、身体的なそれと直結しているらしい。したがって、心理的なこそばゆさがすぐにも身体的な反応につながり、暴発してしまうのだ。私はそれこそ若き日に、ベルグソンの「笑いについて」という文章を読んだことがあるが、笑い上戸の自分についての謎を解明したかったからである。何が書かれていたのか、いまは一行も覚えていない。といって、もはや二度と読んでみる気にはならないだろう。いつの間にやら、簡単には笑えなくなってしまったので……。(清水哲男)


October 14102001

 爛々と昼の星見え菌生え

                           高浜虚子

後二年目(1947)の今日、十月十四日に小諸で詠まれた句。一読、萩原朔太郎の「竹」という詩を思い出した。「光る地面に竹が生え、……」。この詩で朔太郎は「まつしぐらに」勢いよく生えた竹の地下の根に、そして根の先に生えている繊毛に思いが行き、それらが「かすかにふるえ」ているイメージから、自分にとって「すべては青きほのほの幻影のみ」と内向している。勢いあるものに衰亡の影を、否応なく見てしまう朔太郎という人の感覚を代表する作品だ。対照的に、虚子は「菌(きのこ)」を生やしている。松茸でも椎茸でもない、名も無き雑茸だ。毒茸かもしれない。いずれにしても、この「菌」そのものがじめじめと陰気で、竹のように「まつしぐら」なイメージはない。朔太郎はいざ知らず、多くの人が内向する素材だろうが、ここで内向せずに面を上げて昂然と天をにらんだところが、いかにも虚子らしい。陰気な地を睥睨するかのように、天には昼間でも「星」が「爛々(らんらん)と」輝いているではないか。もとより「昼の星」が見えるというのは、朔太郎の「繊毛」と同様に幻想である。このときに「爛々と」輝いているのは、実は「昼の星」ではなくて、作者自身の眼光なのである。敗戦直後「菌」のように陰気で疲弊した社会にあって、何に対してというのでもないが「負けてたまるか」の気概がこめられている。以下、雑談。かつて山本健吉は、この星を「火星」だと言った。幻想だからどんな星でも構わないわけだが、正木ゆう子が天文に明るい知人に調べてもらった(参照「俳句研究」2001年10月号)ところでは、虚子に当日見える可能性のあった星としては土星しか考えられないそうである。「昼の星」は「視力がよければ見えることはあるし、そうでなくても井戸の底からとかジャングルの中からとか、つまり視界を限れば見えるだろうという返事」とも。『六百五十句』(1955)所収。(清水哲男)


October 31102001

 君見よや拾遺の茸の露五本

                           与謝蕪村

村にしては、珍しくはしゃいでいる。「茸」は「たけ」。門人に招かれて、宇治の山に松茸狩りに行ったときの句である。ときに蕪村、六十七歳。このときの様子は、こんなふうだった。「わかきどちはえものを貪り先を争ひ、余ははるかに後れて、こころ静にくまぐまさがしもとめけるに、菅の小笠ばかりなる松たけ五本を得たり。あなめざまし、いかに宇治大納言隆國の卿は、ひらたけのあやしきさまはかいとめ給ひて、など松茸のめでたきことはもらし給ひけるにや」。宇治大納言隆國は『宇治拾遺物語』の作者と伝えられている人物。読んだことがないので私は知らないが、物語には「ひらたけ(平茸)」の不思議な話が書いてあるそうだ。「菅の小笠」ほどの松茸を五本も獲た嬉しさから、大昔の人に「なんで、松茸の素晴らしさを書き漏らしたのか」と文句をつけたはしゃぎぶりがほほ笑ましい。でも、そこは蕪村のことだ、はしゃぎっぱなしには終わらない。句作に当たって、「拾遺」に「採り残された」の意味と物語に「書き漏らされた」との意味をかけ、「露五本」と、採り立ての新鮮さを表す「露」の衣裳をまとわせている。蕪村は、この年天明三年(1783年)の師走に没することになるのだが、そのことを思うと、名句ではないがいつまでも心に残りそうである。(清水哲男)


October 28102004

 毒茸月薄目して見てゐたり

                           飯田龍太

語は「(毒)茸」で秋。「薄目して」見ているのは、毒茸なのか月なのか。ちょっと迷った。どちらともとれるけれど、毒茸が見ているほうが面白いので、主語は毒茸として読むことにした。月夜の毒茸といえば、ツキヨダケだろう。残念ながら見たことはないのだが、夜間に白く発光するのだそうである。それだけでも不気味なのに、月など無視しているような顔をして、実は薄目を開けてじいっと様子を窺っているときては、ますます不気味さを増してくる。それも一つの毒茸だけではなくて、あちらでもこちらでも多くの薄目が鈍く光っているのだ。山の人・龍太の、いわば実感句と言ったところか。発光しているところを見たことがある人ならば、私の何倍もぞくりとするに違いない。日本人の茸中毒の大半はこのツキヨダケによると言われており、年間平均の重い中毒者は200人程度、この数字は明治以降ほとんど変わらないのだという。それほど、食べられるものとの見分けがつかないわけだ。山の子だった私たちは、いくつかの見分け方を言い伝えで知っていた。代表的なのは、茎が縦に裂けないものは食べられないということや、色が毒々しいものも駄目などであった。ところがこれはとんだ迷信で、そんな見分け方では役に立たない事例はいくつもあることを後年知って愕然としたことがある。なかには酒といっしよに食べるときだけ中毒する茸もあるそうで、要するに素人判断は止めておくに限るということでしょう。山本健吉『俳句鑑賞歳時記』(2000・角川文庫)所載。(清水哲男)


September 1692008

 月夜茸そだつ赤子の眠る間に

                           仙田洋子

夜茸は内側の襞の部分に発光物質を含有し、夜になると青白く光るためその名が付いたという。一見椎茸にも似ているが、猛毒である。ものごとにはかならず科学的根拠があると信じているが、動き回る必要のない茸がなぜ光るのかはどうしても納得できない。元来健やかな時間であるはずの「赤子の眠る間」のひと言にただならぬ気配を感じさせるのも、月夜茸の名が呼び寄せる胸騒ぎが、童話や昔話を引き寄せているからだろう。ふにゃふにゃの赤ん坊の眠りを盗んで、茸は育ち、光り続けるのだと思わせてしまう強い力が作用する。不思議は月夜によく似合う。あちこち探して、月夜茸の写真を見つけたが、保存期限が過ぎているため元記事が削除されてしまっていた。紹介するのがためらわれるほど不気味ではあるが、ご興味のある向きはこちらで写真付き全文をご覧いただける。タイトルは「ブナの林に幻想的な光」。幻想的というよりどちらかというと「恐怖SF茸」という感じ。〈水澄むや盛りを過ぎし骨の音〉〈鍋釜のみんな仰向け秋日和〉『子の翼』(2008)所収。(土肥あき子)


February 0322009

 かごめかごめだんだん春の近くなる

                           横井 遥

だまだ寒さ本番とはいえ、どこかで春の大きなかたまりがうずくまっているのではないか、と予感させる日和もある。夏も冬もどっと駆け足で迫りくる感じがあるが、春だけは目をつぶっている間にゆっくりゆっくり移動している感触がある。掲句はそのあたりも含んで、「かごめかごめ」という遊びがとてもよく表しているように思う。輪のなかの鬼が目を覆う手を外したとき、またぐるぐる回っている子どもたちが立ち止まったとき、春はさっきよりずっと近くにその身を寄せているような気がする。「後ろの正面」という不可思議な言葉と、かならず近寄りつつある春のしかしその掴みきれない実態とが、具合よく手をつないでいる。明日は立春。「後ろの正面だぁれ」と振り返れば、不意打ちをされた春の笑顔が見られるのではないだろうか。〈あたたかや歩幅で計る舟の丈〉〈大騒ぎして毒茸といふことに〉『男坐り』(2008)所収。(土肥あき子)


September 2592009

 遺句集といふうすきもの菌山

                           田中裕明

五中七と下五の関係の距離が波多野爽波さんとその門下の際立った特徴となっている。作者はその距離に「意味」を読み取ろうとする。意味があるから付けているのだと推測するからである。さまざまに考えたあげく読者はそこに自分を納得させる「意味」を見出す。たとえば、遺句集がうすい句集だとすると、菌山もなだらかな低さ薄さだろう。この関係は薄さつながりで成り立っていると。同じ句集にある隣の句「日英に同盟ありし水の秋」も同様。たとえば日英同盟は秋に成立したのではないかと。こういう付け方は実は作者にとっては意味がないのだ。意味がないというよりは読者の解読を助けようとする「意図」がないのだ。関係を意図せず、或いはまったく個人的な思いで付ける。あまりに個人的、感覚的であるために読者はとまどい、自分から無理に歩み寄って勝手にテーマをふくらませてくれる。言ってみれば、これこそが作者の狙いなのだ。花鳥諷詠という方法があまりにも類想的な季語の本意中心の内容しか示せなくなったことへの見直しがこの方法にはある。『先生から手紙』(2002)所収。(今井 聖)


July 1972010

 半世紀前の科学誌毒茸

                           中村昭義

語は「茸(きのこ)」で秋。だが、この句は限りなく無季に近い。句の力点は、あくまでも「半世紀前の科学誌」にあるからだ。戸棚や物置の整理をしていて、子供時代に読んだ科学雑誌が出てきたのだろう。懐かしくてページを繰っていたら、たまたま毒茸の詳しい解説記事に目が止まった。写真やイラストの図解もあって、当時怖いと思いながらも熱心に見つめた記憶がよみがえってきた。誰でもそうだろうが、このように古雑誌や古新聞を眺めているうちに思いがたどり着くのは、記事そのものにまつわる事柄よりも、当時の自分のことや生活のことだ。いまは疎遠になっている友人のことや亡くなった人たちのことだったりもするのである。だから無季句に近いというわけで、熱心に接した媒体であればあるほど、その濃度は高い。句を読んで私などが思い出すのは「子供の科学」だ。田舎にいたのでめったに読む機会はなかったけれど、学校の理科の授業よりも数段面白かった。「縦に割けるキノコは食べられる」「毒キノコは色が派手で、地味な色で匂いの良いキノコは食べられる」などは迷信だ。などと書かれてあって、得意げに友人たちに触れ回ったこともある。作者の「科学誌」とは何だろうか。句に触発されて、いろいろなことが思い出され、しんみりとした良い時間が持てた。『神の意志』(2010)所収。(清水哲男)


March 0232011

 カレンダーめくれば春がこんにちは

                           坂上芽衣子

生三月。さすがに寒さもゆるんで来た。寒さということで言うと、一月のカレンダーも二月のカレンダーも寒々しくて恨めしい。早々にやり過ごしたい。二月のカレンダーをめくって三月になると、誰しもホッとして心も表情もやわらいでくるだろう。どんなに豪雪の冬がつづいても、雪国にもちゃんと春はやってくる。厳しかった酷寒もやがて去って、南から北まで隈なく暖かい春が広がる。掲句は、雪国新潟の新聞による「2010年ジュニア文芸大賞」の俳句部門で大賞を受賞した俳句であり、作者は現在中学三年生。受賞の言葉の冒頭にはこうある。「2年生の時につくりました。3月を迎えて、早く3年生になって楽しいことをやりたいなあ、いっそ3月のカレンダーもめくっちゃおうかなという思いを素直に出せたと思います」。その気持ちはよくわかる。三月のカレンダーをめくって、四月になれば上級生。雪に閉じこめられていた中学生が、春を待ちわび、同時に上級生になることへの期待を、率直にこの一句にこめている。春が「やってくる」ではなく、「こんにちは」という表現にいきいきとした若さが感じられる。芽衣子さん、楽しい三年生を過ごせたかしら? 同賞の佳作には、小学六年生の「山の中かくれんぼするきのこたち」(中川果琳)という可愛い句もある。「新潟日報」(2011年2月5日)所載。(八木忠栄)


August 2082013

 峰雲のかがやき盆は過ぎたれど

                           茨木和生

秋とは本当に名ばかりだと毎年のように思うが、俳句の世界ではその後はどんなに猛暑が続いても「残暑」「秋暑し」で乗り切らねばならない不自由が続く。そのなかで掲句の直球が心地よい。たしかにまごうことなき見事な峰雲がもくもくと出ているのだ。峰雲や入道雲とも呼ばれる通り、山に見立てられたり、大きな入道のかたちになぞらえたり、昔から親しんできた積乱雲は、雲のなかでももっとも背が高く、ときには成層圏にまで達することがあるという。若いときには8月といえば夏以外のなにものでもなく、夏が短いとさえ思っていたが、年を重ねるにつけ、夏の長さに辟易するようになってきた。掲句の下五の「過ぎたれど」には、「もう堪忍してよ」という弱音がちらりと感じられて面白い。ところで先日、積乱雲は海の上に出ているものか、山の向こうに出ているものか、と意見が分かれた。そして、それはふるさとの風景に大きく左右されていることに気づかされたのだった。〈青空のくわりんをひとつはづしけり〉〈くれなゐの色のいかにも毒茸〉『薬喰』(2013)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます