xヤ泳句

October 04101997

 また夜が来る鶏頭の拳かな

                           山西雅子

るほど、鶏頭は人の拳(こぶし)のようにも見える。黄昏れてくれば、なおさらである。同類の発想では、富澤赤黄男の「鶏頭のやうな手を上げ死んでゆけり」という戦争俳句があまりにも有名だ。作者はこの句を踏まえているのか、どうか。踏まえていると、私は読んでおきたい。つまり作者は赤黄男の死者を、このようなかたちでもう一度現代に呼び戻しているのである。このときに「また夜が来る」というのは、自然現象であると同時に人間社会の「夜が来る」という意でもあるだろう。あるいは赤黄男句と関係がないとしても、この句の鶏頭の「拳」には人間の怒りと哀れが込められているようで、味わい深く忘れがたい。『夏越』(1997)所収。(清水哲男)


November 09111997

 爛々と虎の眼に降る落葉

                           富沢赤黄男

葉の句には、人生のちょっとした寂寥感をまじえて詠んだものが多いなかで、この句は異色中の異色と言える。動物園の虎ではない。野生の虎が見開いている爛々(らんらん)たる眼(まなこ)の前に、落葉が降りしきっているのである。そんな状況のなかでも、微動だにしない虎の凄絶な孤独感が伝わってきて、一度読んだら忘れられない句だ。作者がこの虎の姿に託したのは、みずからの社会的反逆心のありどころだろうが、一方ではそれが所詮は空転する運命にあることもわきまえている。昔の中国の絵のような幻想に託した現実認識。深く押し殺されてはいるけれど、作者の呻き声がいまにも聞こえてきそうな気がする。(清水哲男)


July 2371998

 ゆく船へ蟹はかひなき手をあぐる

                           富沢赤黄男

をゆく船に、蟹が手をあげて「おーい、おーい」と呼びかけている。白い大きな船と赤い小さな蟹。絵本にでも出てくれば、微笑ましく見えるシーンだ。が、俳人は「呼びかけたって、どうにもなりはしないのに」と、いたましげなまなざしで蟹を見つめている。行為の空しさを叙情しているわけだ。1935〔昭和10〕年の作品で、歴史を振り返ると、翌年には二・二六事件、翌々年には日華事変が勃発している。深読みかもしれないけれど、この句は来るべき戦争を予言しているようにも読めないことはない。このとき白い船は平和の象徴であり、赤い蟹は天皇の赤子〔せきし〕としての民衆である。行為の空しさを叙情することは、戦争遂行者にとっては危険きわまりない「思想」と写る。かつて、俳人や川柳作家が次々に検挙された時代があったなどとは容易に信じられない現代であるが、逆に言えば、叙情や風刺もまたそれほどの力を持っていたということになる。しからば、この句をこのようにして現代という光にあてて見るとき、叙情の力はどの程度のものだろうか。少なくとも私には、いまだに衰えを知らぬパワーが感じられる。なお、作者は新興無季俳句運動の旗手であったから、当然無季として詠んでいるのだが、当歳時記では便宜上、夏の季語である「蟹」から検索できるようにしておく。『昭和俳句選集』〔1977〕所収。(清水哲男)


October 20101998

 一本のマッチをすれば湖は霧

                           富沢赤黄男

は「うみ」と読ませる。霧の深い夜、煙草を喫うためだろうか、作者は一本のマッチをすった。手元がぼおっと明るくなる一方で、目の前に広がっている湖の霧はますます深みを帯びてくるようだ。一種、甘やかな孤独感の表出である。と、抒情的に読めばこういうことでよいと思うが、工兵将校として中国を転戦した作者の閲歴からすると、この「湖の霧」は社会的な圧力の暗喩とも取れる。なにせ1941年、太平洋戦争開戦の年の作品だからだ。手元の一灯などでは、どうにも払いのけられぬ大きな壁のようなものが、眼前に広がっていた時代……。戦後、寺山修司が(おそらくは)この句に触発されて「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」と書いた。寺山さんは、日活映画の小林旭をイメージした短歌だとタネ明かしをしていたが、それはともかくとして、相当に巧みな換骨奪胎ぶりとは言えるだろう。ただし、書かれている表面的な言葉とは裏腹に、寺山修司は富沢赤黄男の抒情性のみを拡大し延長したところに注目しておく必要はある。寺山修司の世界のほうが、文句なしに甘美なのである。(清水哲男)


June 1462007

 黴の花イスラエルからひとがくる

                           富沢赤黄男

断すると黴の生える季節になった。黴は陰気の象徴であるとともに、「黴が生える」「黴臭い」といった言葉は転じて「古くなる」「時代遅れになる」といった意味で使われることが多い。「黴の花」というけれど、黴は胞子によって増殖するので、花は咲かない。歳時記の例句を見ると、ものの表面に黴が一面に広がった状態を「黴の花」と形容しているようだ。現在のイスラエルの建国は1948年。この句が作られた昭和10年代、「イスラエル」は現実には存在しない国名だった。ローマ帝国に滅ぼされ、長らく国を持たず千年にわたって流浪の民となったユダヤ人が夢見た「乳と蜜の流れる王国」は聖書の中にしか存在しない幻の国だった。眼前の事実からではなく、言葉やイメージから発想する方法をとっていた作者は、実際の花として存在しない「黴の花」を咲かせることで、時空をワープして古代人がぬっと現れる不思議な仮想空間を作りだそうとしたのだろうか。言葉と言葉を結び付けることで見えない世界を見ようとした赤黄男の言葉の風景は60年のち現実のものとなった。しかし幻影が事実となった今も、「イスラエル」と「黴の花」の取り合わせはこの句に謎めいた雰囲気を漂わせているようだ。『現代俳句の世界16』(1985)所収。(三宅やよい)


June 1862008

 ひそと動いても大音響

                           成田三樹夫

季にして大胆な字足らず。舞台の役者の演技・所作は、歌舞伎のように大仰なものは要求されないが、ほんの少しの動きであれ、指一本の動きであれ、テンションが高く張りつめた場面であれば、あたかも大音響のごとく舞台を盛りあげる。大声やダイナミックな動きではなく、小さければ小さいほど、ひそやかなものであればあるほど、逆に観客に大きなものとして感じさせる。舞台の役者はその「ひそ」にも圧縮されたエネルギーをこめ、何百人、何千人の観客にしっかり伝えるための努力を重ねている。たかだか十七文字の造形が、ひそやかな静からゆるぎない巨きな動を生み出そうとしている。舞台上の静と動は、実人生での静と動でもあるだろう。特異な存在感をもった俳優として活躍した三樹夫は、舞台のみならず映画のスクリーン上の演技哲学として、こうした考え方をしっかりもっていたのであろう。ニヒルな存在感を「日本刀のような凄みと色気を持ち合わせた名脇役」と評した人がいた。三樹夫は惜しくも五十五歳で亡くなった。私は縁あって告別式に参列した際、三樹夫に多くの俳句があって遺稿句集としてまとめたい、という話を耳にした。死の翌年に刊行された。「鯨の目人の目会うて巨星いず」「友逝きて幽明界の境も消ゆ」などの句がならぶ。インテリで文学青年だった。掲出句はどこやら尾崎放哉を想起させる。「大音響」といえば、富澤赤黄男に「蝶墜ちて大音響の結氷期」があった。皮肉なことに、赤黄男のほうが演技している。『鯨の目』(1991)所収。(八木忠栄)


January 0912009

 陸沈み寒の漣ただ一度

                           齋藤愼爾

には(くが)のルビあり。陸という表現からは、満潮によって一時的に隠れた大地というより、「蝶墜ちて大音響の結氷期 富沢赤黄男」のような太古への思いや天変地異の未来予言を思うのが作者の意図のような気がする。人類の歴史が始まる何万年も前、あるいは人類などというものがとうの昔に死に絶えた頃、陸地が火山噴火か何かの鳴動でぐいと海中に沈み、そのあと細やかな波が一度来たきりという風景。埴谷雄高のエッセーの中に、人類が死に絶えたあとの映画館の映写機が風のせいでカラカラと回り出し、誰もいない客席に向かって画像が映し出されるという場面があった。時間というもの、生ということについて考えさせられるシーンである。しかし、僕は、いったんそういう無限の時への思いを解したあとで、もう一度、日常的な潮の干満の映像に戻りたい。どんなに遥かな思いも、目に見える日常の細部から発しているという順序を踏むことが、俳句の特性だと思うからである。別冊俳句『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)


April 1842010

 蝋涙や けだものくさきわが目ざめ

                           富沢赤黄男

季句です。蝋涙は「ろうるい」と読みます。普通の生活をしている中では、とてもつかうことのない言葉です。なんだか明治時代の小説でも読んでいるようです。辞書を引くまでもなく、その意味は、蝋がたれているように涙を流している様を表現しているのかなと、思われます。文学的な表現だから、いささか大げさなのは仕方がないにしても、蝋燭の流れた跡のように涙の筋が残っているなんて、いったいどんなことがあったのだろうと、心配になってきます。「けだもの」という、これもインパクトの強い単語のあとに、「くさき」と続けるのは、自然な流れではあるけれども、ちょっと意味がダブっているような気もします。それにしても、生命が最も力の漲っているはずの目覚めのときに、すでにしてたっぷりと泣いているというのです。おそらく世事のこまごまとした悩みからではなく、命あることの悲しみ、そのものを詠いあげているのでしょう。あるいはそうではなく、日々の平凡な目覚めこそが、実はそのようなものなのだと、言っているのでしょうか。『俳句大観』(1971・明治書院)所載。(松下育男)


April 2542010

 朝寝して頬に一本線の入る

                           蜂巣厚子

語は「朝寝」、春です。このところのあたたかくなった陽気につつまれて、いつまでもぐずぐずと布団の中にいることを言うようです。でも今日の句、いつまでも布団の中にいることには、なにか別に理由がありそうです。頬に一本線が入ったというのは、まちがいなく涙の流れた跡でしょう。思えば、先週採り上げた句、「蝋涙や けだものくさきわが目ざめ」(富沢赤黄男)と、同じ場面を描いていることになります。それにしても出来上がった作品は、ずいぶん印象を異にしているものです。あらためて、創作というものが持つ幅の広さに感心してしまいます。先週の句が、絵の具を分厚に塗りこんだ油絵なら、今日の句は淡い水彩画ともいえるでしょうか。先週の句には、どこかこちらが一方的に驚かされているようなところがありましたが、今週の句には、もしできることなら、この人に手を差し伸べて、なにかをしてあげたいという、そんな心持になってきます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2010年4月19日付)所載。(松下育男)


July 2172011

 蟻蟻蟻蟻の連鎖を恐れ蟻

                           米岡隆文

ンクリートに囲まれたマンション暮らしをしているとめったに蟻を見かけない。子供の頃は庭の片隅に座り込んで大きな黒蟻を指でつまんだり、薄く撒いた砂糖に群がる蟻たちの様子をじっと見つめていた。あの頃地面を這いまわっていた蟻はとても大きく感じたけど、今はしゃがみ込んで見つめることもなく蟻の存在すら忘れてしまう日常だ。蟻の句と言えば「ひとの目の中の  蟻蟻蟻蟻蟻」(富沢赤黄男)が思い浮かぶが、この込み入った字面の連続する表記が群がる蟻のごちゃごちゃした様子を表しているようだ。掲句の蟻は巣穴まで一列に行進する蟻から少し離れてぽつねんといるのだろう。その空白に集団に連なる自分の不安感を投影しているように思える。『隆』(2011)所収。(三宅やよい)




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