Rq句

October 04101997

 また夜が来る鶏頭の拳かな

                           山西雅子

るほど、鶏頭は人の拳(こぶし)のようにも見える。黄昏れてくれば、なおさらである。同類の発想では、富澤赤黄男の「鶏頭のやうな手を上げ死んでゆけり」という戦争俳句があまりにも有名だ。作者はこの句を踏まえているのか、どうか。踏まえていると、私は読んでおきたい。つまり作者は赤黄男の死者を、このようなかたちでもう一度現代に呼び戻しているのである。このときに「また夜が来る」というのは、自然現象であると同時に人間社会の「夜が来る」という意でもあるだろう。あるいは赤黄男句と関係がないとしても、この句の鶏頭の「拳」には人間の怒りと哀れが込められているようで、味わい深く忘れがたい。『夏越』(1997)所収。(清水哲男)


July 2972008

 わが死後は空蝉守になりたしよ

                           大木あまり

いぶん前になるがパソコン操作の家庭教師をしていたことがある。ある女性詩人の依頼で、その一人暮らしの部屋に入ると、玄関に駄菓子屋さんで見かけるような大きなガラス壜が置かれ、キャラメル色の物体が七分目ほど詰まっていた。それが全部空蝉(うつせみ)だと気づいたとき、あまりの驚きに棒立ちになってしまったのだが、彼女は涼しい顔で「かわいいでしょ。見つけたらちょうだいね」と言ってのけた。「抜け殻はこの世に残るものだから好き」なのだとも。その後、亡くなられたことを人づてに聞いたが、あの空蝉はどうなったのだろう。身寄りの少なかったはずの彼女の持ち物のなかでも、ことにあれだけは私がもらってあげなければならなかったのではないか、と今も強く悔やまれる。掲句が所載されているのは気鋭の女性俳人四人の新しい同人誌である。7月号でも8月号でも春先やさらには冬の句などの掲載も無頓着に行われている雑誌も多いなか、春夏号とあって、きちんと春夏の季節の作品が掲載されていることも読者には嬉しきことのひとつ。石田郷子〈蜘蛛の囲のかかればすぐに風の吹く〉、藺草慶子〈水遊びやら泥遊びやらわからなく〉、山西雅子〈夕刊に悲しき話蚊遣香〉。「星の木」(2008年春・夏号)所載。(土肥あき子)


September 0892009

 引掻いて洗ふ船底秋没日

                           山西雅子

日「かんかん虫」という言葉を初めて知った。ドック入りした船の腹に付いた錆や貝などををハンマーを使って落す港湾労働者のことを指すのだそうだ。「虫」という呼称に、作業の過酷さや貧しさが表れている。しかし、掲句の船はそれほど大きなものではなく、ひとりで世話ができるほどの丈であるように思う。中勘助の『鳥の物語』に若い海女と都人の悲恋を描く「鵜の話」がある。海女が海底の竜神に捕われ、ある日、なにかの拍子に肩ごしに背中へ手をやると指先がなにかに触れる。「それはまだ柔らかくはあるがまさしく出来かけの二、三枚の鱗だった」という記述は、いつ読んでもぞくっと身の毛のよだつ箇所である。異類の国に住み異類の食を取るようになるうちに、だんだん海のものへとなっていく。掲句の「引掻く」が、まるで船に付いた出来たての鱗のようにも思え、海に帰りたがる船を、陸の世界へと引き戻す作業に見えてくる。〈夜濯のもの吊る下の眠りかな〉〈反らしたる指を離れぬばつたかな〉『沙鴎』(2009)所収。(土肥あき子)


November 12112009

 拾ひたる温き土くれ七五三

                           山西雅子

うすぐ七五三。近くの神社で晴れやかな着物にぼっくり下駄で歩く女の子や、ちっちゃな背広に臙脂のネクタイをしめた男の子と会えるかもしれない。普段は身軽な格好であちこちを飛び回っている子供たち、最初は嬉しくても着なれない衣装の窮屈さにだんだん不機嫌になることも多い。神主さんのお祓いまでの順番待ちや記念撮影の準備など、こうした祝い事には待ち時間がつきものだ。晴れ着を着た子が手持無沙汰に日向にかがみこんで足元の土を手でいじっている。おとなに手をひかれあちこち歩いて草臥れてしまったのだろうか。七五三と言えば、晴れ着姿や千歳飴に目がいきがちだけど、日溜りにしゃがみこんだ子供が手にすくった土くれの温もりは何気ない動作を背後から見守るやさしい親のまなざしにも通じる。神社に降り注ぐ小春の日差しに佇む親とその膝元にしゃがむ幼子。子の成長を寿ぐ特別な日の親子のひとときが映像となって浮かびあがってくる。『沙鴎』(2009)所収。(三宅やよい)


January 3012010

 一筋の髪が手に落ち春隣

                           山西雅子

のところの東京は、突然Tシャツ一枚で歩けるような陽気かと思えば翌日はダウンジャケットを着込む有様で、次々咲く近所の梅に、明日はまた真冬の寒さだからその辺で止めておかないと、と思わず話しかけたくなるほど。春待つ、のひたすらな心情に比べて、春隣、には、ふと感じて微笑んでしまうほのぼの感がある。そう考えるとこの句の髪は、作者自身の髪ではないのかもしれない。たとえば子供の髪をとかしてやっていて、やわらかく細い髪が手のひらの上で光っているのを見た時、そんな「ふと」の一瞬が作者に訪れたのではないだろうか。そういえば重なっているイ音にも、口元がついにっこりしてしまうのだった。〈マフラーを二巻きす顎上げさせて〉〈冬木に根あり考へてばかりでは〉『沙鴎』(2009)所収。(今井肖子)


November 28112011

 初雪や父に計算尺と灯と

                           山西雅子

まどき計算尺を使う人はいないだろうから、回想の句だろう。夕暮れころから、ちらちらと白いものが舞いはじめた。初雪である。まだ幼かった作者は、雪を見て少しく興奮している。さっそく部屋で仕事をしている父に雪を告げようとしたのだけれど、彼はそのような外界の動きとは隔絶されているかのように、一心に計算尺を操っている。手元近くにまで灯火を引き寄せ、カーソルを左右に動かしながら細かい目盛りを追っている。ちょっと近寄り難い感じだ。この情景から見えてくるのは、技術畑で叩き上げられた謹厳実直な父親像であり、また真っ白い計算尺は灯影に少し色づいていて、そんな父親の胸の内を投影しているかのようにも見えている。初雪の戸外の寒さと、家の中の父親のあるかなしかの暖かみ。私の父も計算尺をよく使っていたので、この句の微妙な味は、よくわかるような気がする。「俳句」(2011年12月号)所載。(清水哲男)


January 3112012

 胴に鰭寄せて寒鯉動かざる

                           山西雅子

は水温が八度以下になると冬眠する。巨木のような胴体に、ひたりと鰭を寄せている寒鯉は、今水底深くごろりと沈む。眠るといってもまぶたのない魚たちのこと、当然目は開けたままである。人間とはあまりにもかけ離れた姿であり、きわめて忠実な描写であるにも関わらず、どこか掲句の鯉に人間の懐手めいた動作を重ねてしまうのは、龍鯉や夢応の鯉魚などの伝承のはたらきも作用していると思われる。俳句を鑑賞するとき、そこに描かれた言葉以上の想像することを戒めて「持ち出し」と言うそうだが、抗いがたくそれをさせてしまうのもまた定型詩が持つ強力な磁力であろう。「星の木」(2010年秋・冬号)所載。(土肥あき子)


February 2822013

 大空にしら梅をはりつけてゆく

                           山西雅子

戸の偕楽園では2月20日から「梅まつり」が始まる。梅の香に着実に近づいている春を感じることができることだろう。いつも散歩で通りかかる近所の家のしら梅も見ごろである。「白梅のあと紅梅の深空あり」の飯田龍太の句にあるごとく本来は白梅より紅梅の花期はやや遅いようだ。しら梅の姿そのものが早春の冷たさのようでもある。カンと張り切った青空に五弁の輪郭のくっきりとしたしら梅を見上げると「はりつける」という形容が実感として感じられる。それだけでなく一輪一輪ほころんでゆくしら梅を見つめての時間の経過が「ゆく」に込められており、日々しら梅を見つめ続ける作者の丁寧なまなざしが感じられる。毎年、青梅の吉野梅林を見にゆくのだけど今年はいつが見頃だろうか?楽しみだ。『沙鴎』(2009)所収。(三宅やよい)


October 09102014

 秋澄むと子犬を膝に乗せにけり

                           山西雅子

年は秋が早いようで、9月の終わりに早くも金木犀が香りはじめ、朝夕の寒暖差に早々に長袖を引っ張り出した。例年なら10月に入ってからが秋本番というところだが今年は晩秋の寒さも時折感じられる。「秋澄む」は大陸からの冷たい大気がおりてきて空気が澄み、風景はくっきりと、人の声、虫の声もはっきりと聞こえるもっとも秋らしい季候を表す言葉。暑い頃は撫でられるのも、近寄るのも厭う飼い猫や飼い犬たちも冷たく澄み切った空気に人懐かしくなるのか膝に寄ってくるようになる。膝の上で気持ちよさそうに身体を丸めて眠りはじめた子犬も主人とともに秋の気持ちよさを楽しんでいることだろう。『沙鷗』(2009)所収。(三宅やよい)




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