1997N108句(前日までの二句を含む)

October 08101997

 竹に花胸よぎりゆくものの量

                           小宮山遠

の開花は秋。といっても、竹の花はめったに咲かない。開花すると、実を結んだ後で枯れ死してしまう。六十年に一度という説もあるくらいで、非常に珍しい現象だ。したがって、歳時記によっては「竹の花」や「竹の実」を秋の項から省いているものもある。一生に一度見られるかどうかという「竹の花」を見れば、誰しもが作者のような心境になるはずである。ここで「量」は「かず」と読む。私は二十代のときに、一度だけ見たことがある。たまたま訪れた故郷山口県むつみ村の山々が黄変していて、ただならぬ気配であった。友人宅の縁側から、呆然として見つめた思い出……。カメラを持っていなかったのが悔やまれる。余談だが、その何日か後に下関球場で投げる池永正明投手(下関商業)を見た。投げるたびに、彼の帽子は地に落ちた。竹の花季に、彼は野球人生の絶頂期にさしかかりつつあったのである。(清水哲男)


October 07101997

 万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり

                           奥坂まや

思議な句ですね。なんだか、わかったようなわからないような。くぼみが引力でできたのかね。ニュートンも驚く新発見。馬鈴薯(じゃがいも)は秋の季語。新じゃがは夏の季語。でもポテトじゃ季語は無理だろう。同じものでもカタカナは季語にならない? 鮭は季語でもサーモンじゃ駄目? 奥坂さんは1950年生れ。藤田湘子門。この句は自信作と見えて、句集に同名の『万有引力』がある。このひとも私、好きだなあ。(井川博年)


October 06101997

 色付くや豆腐に落ちて薄紅葉

                           松尾芭蕉

さに日本の秋の色だろう。美しい。芭蕉三十五歳の作と推定されている。舞台は江戸の店のようだが、いまの東京で、このように庭で豆腐を食べさせるところがあるのかどうか。この句を読むたびに、私は京都南禅寺の湯豆腐を思いだす。晴れた日の肌寒い庭で、炭火を使う湯豆腐の味は格別だ。実際に、ほろりと木の葉が鍋の中に舞い降りてくる。そうなると日頃は日本酒が飲めない私も、つい熱燗を頼んでしまうのだ。たまさか京都に出かける機会を得ると、必ず寄るようにしてきた。この秋は改築された京都駅舎も評判だし、行ってみたい気持ちはヤマヤマなれど、貧乏暇なしでどうなりますことやら……。(清水哲男)




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