ソスxソス@ソスソスソスjソスソス句

October 18101997

 ぎんなんのさみどりふたつ消さず酌む

                           堀 葦男

杏で一杯やっている作者。その実のあまりの美しさに口に入れるのがだんだん惜しくなり、最後の二つは残しておいて、今度はその姿をサカナに飲みつづけている。たしかに銀杏はこの句のように美しいし、この酒も美味そうだ。平仮名表記が、銀杏の色彩と感触をよく表現している。どうですか、今夜あたり銀杏で一杯と洒落れこんでみては……。電子レンジがあれば、拾ってきた銀杏を適当な封筒に塩少々と混ぜて入れ、密封してチンすれば出来上がり。つまり、銀杏が封筒の中で爆発するわけです。知り合いの主婦から教えてもらった。(清水哲男)


July 0772000

 少女充実あんず噛む眼のほの濁り

                           堀 葦男

心に杏(あんず)を食べている少女の姿。「ほの濁り」の「眼」の発見が卓抜だ。「充実」は少女自身の食欲への満足感を示すと同時に、作者から見た少女の身体的輝きを示している。その象徴的現象を、作者は少女の眼の「ほの濁り」に認めた。言われてみれば、「充実」とは清らかに澄むことではない。生命は濁ることにおいて、外へ外へと力を拡大していく。身体がおのずから沈殿をこばみ、沈殿させまいとおのれを撹拌する。そのことをまた、清涼というにはいささか遠い味わいの杏が保証している。このような少女像は珍しい。誰かれの詩をあげるまでもなく、清らかに澄み切った少女像は、この国の文学が得意としてきたところだ。だが、すべての実際の少女たちは、その身体性において本質的に「ほの濁」つた存在なのである。といって、掲句はミもフタもないことを言っているのではなく、むしろこの少女をいとおしく思っている。「濁り」には時間が感じられ、時間は未来性を含んでいる。作者は少女としての「充実」の先にある「女」への思いを、鋭くも「ほの」かに感じとって、そのひそやかな詠嘆を「少女充実」という固い表現に込めているのだ。『合本俳句歳時記・新版』(1988・角川書店)所載。(清水哲男)


September 0792003

 一家鮮し稲田へだてて手を振れば

                           堀 葦男

語は「稲田」で秋、項目としては「稲」に分類するのが普通。作者は、間もなく刈り入れ時の田圃を前に控えた他家を訪れた。辞してから、すぐそこの角を曲がればお互いの姿が見えなくなる都会とは違って、広大な田圃の一本道ではいつまでも見えている。だから、見送る側は客の姿が遠くに消えてしまうまで、庭先にたたずむことになる。客の側もそれを承知していて、しばらく行ったところで振り返り、見送りありがとう、もう家の中にお戻り下さいの意味を込めて、お辞儀をしたり手を振ったりするというわけだ。「鮮し」は「あたらし」と読ませるのだろう。頃合いを計って振り返ると、果たして「一家」はまだ見送ってくれていた。手を振ったら振り返してくれた一家の姿が、思いがけないほど鮮かに目に写ったという句である。たわわに実った一面の稲穂の黄金色のざわめき、そしてむせるような稲の香り、おそらくは空も抜けるように青かったに違いない。まことに純粋にしてパワフルな農民賛歌だ。こうした句を読むと、やはり気がかりになるのは今年の東北地方の不作である。テレビに出てきた農家の主人が「半分くらいかなあ……」と、あきらめたような表情で語っていて、農家の子であった私はきりきりと胸が痛んだ。映し出された田圃を正視できない。運が悪かったと言えばそうなのだけれど、単に運が悪いではすまされないから悲痛なのだ。国民の食いぶちは大丈夫だとばかりに、政府は保有米を誇示するように放出したりするが、それとこれとはまったく別問題である。金子兜太編『現代俳句歳時記』(1989)所収。(清水哲男)


March 0932004

 早わらびの味にも似たる乙女なり

                           遠藤周作

語は「早わらび(さわらび・早蕨)」で春。「蕨」の項に分類。題材にした詩歌では、ことに『万葉集』の「石走る垂水のうえのさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(志貴皇子)が有名だ。芽を出したばかりの蕨は、歌のようにいかにも初々しい緑の色彩で春を告げる。その意味で、この歌は完ぺきだ。あまりにも完成しすぎているために、今日でも「早蕨」を詠むとなると、どうしてもこの歌がちらりと頭をかすめてしまう。歌が詠まれてから千数百年も経ているというのに、いまだ影響力を持ちつづけているのだから、詩歌世界の怪物みたいな存在である。だから後世の人々はそれぞれに工夫して、志賀皇子の世界とは一線を画すべく苦労してきた。なかには現代俳人・堀葦男のように「早蕨や天の岩戸の常濡れに」と詠んで、志賀皇子の時代よりもはるか昔にさかのぼった時間設定をして、オリジナリティを担保しようと試みた例もある。小説家である作者もそんなことは百も承知だから、故意に「色」は出さずに「味」で詠んだのだと思われる。「乙女(おとめ)」を形容するのに「味」とはいささか突飛だが、そこは周到に「味にも」とやることで、句には当然「色」も「香」も含まれていることを暗示させている。早蕨のほろ苦い味。そんな初々しい野性味を感じさせる「乙女」ということだろう。そよ吹く春の風のように、そのような若い女性が眼前に現れた。そのときの心の弾みが詠まれている。が、不思議なことに、句からは女性その人よりも、むしろ目を細めている作者の姿のほうが浮び上ってくる気がするのは何故だろうか。金子兜太編『各界俳人三百句』(1989)所載。(清水哲男)


April 2342004

 勤めの途中藤の真下の虚空抜ける

                           堀 葦男

語は「藤」で春。「虚空」は抽象的な造形空間ではなくて、むしろ実感に属する世界だろう。「通勤の途中」、大きな藤棚の「真下」を通り抜けていく。さしかかると、それまでの空間とはまったく違い、そこだけがなんだか現実離れした異空間のように感じられる。現実味や生活臭などとは切れてしまっている空間だ。それを「虚空」と詠んだ。通勤の途次だから、藤を仰いでつらつら眺めるような時間的心理的な余裕はない。ただ足早に通り抜けていくだけの感じが、よく「虚空」に照応しているではないか。束の間の「虚空」を抜ければ、再びいつもの散文的な空間がどこまでも広がっているのだから、ますますさきほどの不思議な虚空感覚が色濃くなる気分なのだ。藤棚の下を擦過するようにしてしか、花と触れ合えない現代人のありようがよく描出されている。これもまた、忙しい現代人の「花見」の一様態だと言えば、皮肉に過ぎるだろうか。そして私には、働く現代人のこのような虚空感覚は、他の場面でも瞬時さまざまに発生しては消えているにちがいないとも思われた。「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走りだす。スペイン人は走った後で考える」とは、笠信太郎が戦後『ものの見方について』で有名にした言葉だ。ならば日本人はどうかというと、すなわち「日本人は誰かが走っているから後をついて走る」と、それこそ誰かがうまいことを言った。でも日本人は一方で、後をついて走りながらも何か違うんだよなあとも感じている。そこに必然的に生じてくるのが、この種の虚空感覚というものなのだろう。金子兜太編『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


March 2332007

 燈を遮る胴体で混み太る教団

                           堀 葦男

季の句。映像的処理は遠近法の中で行われている。そういう意味ではこれも「写生」の句だ。まあ、「太る」の部分は観念ではあるけれど。オウム真理教の事件はまだ記憶に新しい。麻原彰晃が選挙に出ていた頃、同僚の高校講師が、オウムの教義に感心したと話していたのを思い出す。「宇宙の気を脊椎に入れると浮遊できるってのは説得力あるんですよ」この人、英語を教えてたけど、自分で修業して僧侶の資格を取った真面目を絵に描いたような人だったな。俳句はあらゆる「現在」を視界に入れていい。百年経っても変わらない不変の事象を詠もうとする態度はほんとうに普遍性に到る道なのだろうか。一草一木を通して森羅万象を詠むなんて、それこそ胡散臭い宗教の教義のようだ。「現在」のうしろに普遍のものを見出そうとするならまず「現在」に没入する必要がある。その時、その瞬間の「状況」すなわち「私」に拘泥しない限り時代を超えて生き抜いていく「詩」は獲られない。五十年以上前のこの作品が今日的意味を持って立てる所以である。そのとき季語はどういう意味を持つのだろうか。「写生」と季語とは不可分のものだろうか。子規の句の中の鶏頭や糸瓜が一句のテーマであったかどうかを考えてみればわかる。この句、「燈を遮る胴体で混み」の「写生」の角度が才能そのもの。平畑静塔『戦後秀句2』(1963・春秋社)所載。(今井 聖)




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