1997N1029句(前日までの二句を含む)

October 29101997

 よい物の果てもさくらの紅葉かな

                           塵 生

生(じんせい)は江戸中期、加賀小松の商人。蕉門。商人らしく世事万端にわたっての増長を戒めている。春に美しい花を咲かせた桜も、秋にいちはやく紅葉するとすぐに散ってしまう。『新古今集』には「いつのまにもみじしぬらむ山ざくら昨日か花の散るを惜しみし」(具平親王)とあり、清少納言も『枕草子』に「桜の葉、椋の葉こそ、いとはやく落つれ」と書いている。人事的に言えば「おごる平家も久しからず」ということであり「盛者必滅」というわけだ。句としては間違っても上出来とは言えないけれど、古典を読むときのために桜紅葉の生態を覚えておくには絶好のフレーズだろう。(清水哲男)


October 28101997

 柿二つ読まず書かずの日の当り

                           小川双々子

の日差しを受けて、二つだけ木に残った柿の実が美しく輝いている。それなのに、作者はといえば本を読む気にもなれないし物を書く気力もない。そんな情けない日(「日」は「日差し」にかけてある)を浴びながらも、柿はけなげに自己を全うしつつあるのだという感慨。しかし、この無為を悔いる気持ちは、あまり深刻なものではないだろう。軽口で言う「空は晴れても心は闇だ」という程度か。というのも「柿二つ」は「読まず書かず」に対応していて、このあたりに遊び心を読み取れるからだ。この明るさと暗さを対比させる方法は、キリスト者である作者初期の段階から始まっている。『異韻稿』(1997)所収。(清水哲男)


October 27101997

 萩のほかの六草の名の重たけれ

                           加藤鎮司

の七草のうちで萩以外の名前は重たいというのだが、どうだろうか。「そんなことはない」だとか「やっぱりそう思う」だとかと話題になったら、この句の勝利だ。七草を読んだ句は少なく、なかなかよいものがない。それはそうだろう。七種類もの花々をひとつのイメージとして提出するなんて至難の技である。句会でこんな題が出たら往生しそうだ。そこで作者のように裏技を使うことになる。似たようなコンセプトでは、鈴木真砂女に「秋七草嫌ひな花は一つもなし」がある。なアるほど……。ちなみに秋の七草は『万葉集』の山上憶良の歌「秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花」「萩の花尾花葛花瞿麥(なでしこ)の花女郎花また藤袴朝貌の花」に由来している。このなかの「朝貌」は桔梗(ききょう)とするのが定説である。(清水哲男)




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