ホ針Y句

December 24121997

 ごうごうと風呂沸く降誕祭前夜

                           石川桂郎

や石炭で沸かす風呂釜の音は、まさに「ごうごう」。とりわけて銭湯の釜の音は威勢がよかった。そんな釜音を心地よく聞きながら、作者は今日がクリスマス・イヴであったことを思い出している。イヴだからといって、別に何か予定があるわけではない。ちらりと胸の中を、華やかなイルミネーションの姿が通り過ぎていっただけのこと。これからゆっくりと熱い風呂に入り、年賀状のつづきでも書くとしようか……。西洋の大祝日に日本的な風呂を配したところが、なんとも微妙な味わいにつながっている。キリスト者は別にして、昔の庶民的なイヴのイメージとは、およそこのようなものであった。それにしても、「ごうごう」と音を発して沸く風呂が懐しい。あれは、身体の芯から暖まった。そして、どこの家庭の風呂場の屋根にも、決してサンタクロースが入れっこない細い細い煙突がついていたっけ。(清水哲男)


February 0121998

 塗椀に割つて重しよ寒卵

                           石川桂郎

ぜ「寒卵」という季語があるのでしょうか。卵などは四季を通じてあるもので、特別に冬の卵が珍しいわけではない。いまの人は、誰もがそう思っていると思います。しかし、もちろん季語には季語となるそれなりの根拠があったわけです。まったく風流とは関係がないのですが、こういうことです。本来、鶏の産卵期は冬であり、とうぜんこの時期の卵は値段も下がったので、庶民の冬場の栄養補給源として格好な食物でした。だから、冬の卵は特別視されていたということなのです。……という、見事に散文的な理由。ところで、作者の観察眼はなかなか細かいですね。たしかに同じ卵でも、瀬戸物の茶碗と塗椀とでは、割って落としたときの「重さ」が違うような気がします。すなわち、この句の「寒卵」は「塗椀」を得たことによって、はじめて風流な卵になれたというわけなのです。(清水哲男)


April 0641998

 薮の小家より入学の児が出て来

                           村山古郷

蔭の小さな家。ふだんは人の気配もあまりないのだろう。老夫婦がひっそりと暮らしているような趣きの家だ。そんな家から、いきなりピカピカの一年生が飛び出してきた。この意外性に、作者は一瞬驚いたのだが、すぐになんだか嬉しい気持ちのわいてくる自分を感じている。この瞬間から、作者のこの小家に対する感じ方は、大きく変わったことだろう。今日は全国各地で入学式が行われる。石川桂郎に「入学の吾子人前に押し出だす」があるが、たぶん私も押しだされたクチである。内気を絵に描いたような子供だった。入学のとき、桜が咲いていたのかどうか、まったく覚えていない。敗戦の一年前のことで、入学後は警戒警報のサイレンが鳴るたびに、頭上にアメリカの偵察機や爆撃機を見ながら下校するというのが日常であった。すなわち、我らの世代は、小学校もロクに出ていないのである。(清水哲男)


August 0881998

 ゆきひらに粥噴きそめし今朝の秋

                           石川桂郎

秋。句のように「今朝の秋」とも、あるいは「今日の秋」ともいう。暦の上では秋であるが、まだまだ暑い日がつづく。「そよりともせいで秋たつ事かいの」(鬼貫)の印象は、昔も今も変わらない。手紙などでの挨拶言葉は「残暑お見舞い」ということになる。とはいっても、暦の上だけであろうと、今日から「秋」と告げられてみると、昨日と変わらぬ暑さのなかにも、どこかで秋を感じたい神経が働くようになるから不思議だ。作者にも、そんな神経が働いているのだろう。「ゆきひら」は「行平なべ」のことで、薄い土鍋である。その土鍋から粥(かゆ)が噴きこぼれている様子は、季節はもう秋なのだと思うと、暑苦しさよりも清々しささえ感じられる。もしかすると作者は病気なのかもしれないが、「秋」の到来に心なしか体調もよくなってきた感じ。とにかく、おいしそうな朝粥ではないか。朝粥というと、私はどうしても香港のそれが忘れられない。安いし、うまい。秘訣はわかっている。いっぺんに大量に炊くからだ。「ゆきひら」の情緒はないにしても、うまさでは世界一だと思っている。この句を読むうちに、そんなことを思いだした。(清水哲男)


January 0412000

 買初にかふや七色唐辛子

                           石川桂郎

初(かいぞめ)は「初買」とも言い、新年になって初めて物を買うことだ。といっても、スーパーで醤油や味噌などを買うのとは違う。新年を寿ぐために、いささか遊び心の入った買い物をすることを指している。だから、いろいろと買うなかで、本年は「買初となすしろがねの干鰈」(岡本差知子)と思い決めたりする。句として公表するとなれば、おのずから作者のセンスが問われるわけだ。作者は「七色唐辛子」を「買初」とした。なかなかに小粋な選択ではないか。買初コンテストがあるとしたら、必ずベスト・テンには入りそうである。「とうんとうんと唐辛子、ひりりと辛いは山椒の実、すはすは辛いは胡椒の粉、けしの粉、陳皮の粉、とうんとうんと唐辛子の粉」と、これは江戸の町を歩いた振り売りの七色唐辛子屋の売り声だそうな。陳皮(ちんぴ)は蜜柑や柚子の皮。これだと五色しかない計算になるが、実際に五色しかなかったのか、あるいは売り声の調子を出すために二色が省かれているのか。ちなみに「七色唐辛子」は江戸東京の呼び方で、関西では「七味(しちみ)」と言う。日頃の私は「一味」党だけれど、買初に「一味」では、「一」はよくても色気が足りなさ過ぎる。今年の買初は、何にしようかな。(清水哲男)


March 2032001

 口に出てわれから遠し卒業歌

                           石川桂郎

と、口をついて出た「卒業歌」だ。おそらく「仰げば尊し」だろう。しばらく小声で歌っているうちに、遠い日の卒業の頃が思い出された。懐かしい校舎や友人、教師の誰かれのこと……。甘酸っぱい記憶がよみがえる一方で、もう二度とこの歌を卒業式で歌うことのない自分の年齢に、あらためて感じ入っている。「われから遠し」は当たり前なのだが、やはり「われから遠し」と言ってみることで、遠さを客観化できたというわけだ。こういうことは私にもときどき起きて、つい最近の出来事のように思っていたことも、あらためて思い直してみると、長い年月が過ぎていたことにびっくりさせられたりする。卒業で言えば、「仰げば尊し」を歌って中学を出たのも、もう半世紀近くも昔のことになる。式が終わっても校舎を去りがたく、みんながなんとなく居残っているなかで、どういうわけか私は昇降口でハーモニカを吹いていた。しばらく吹いていると、教室にいた女子の一人が「そんな悲しい曲、吹かないでよ」と抗議しに出てきた。何の歌だったかは忘れたけれど、あわてて止めたことを、いまだに思い出すことがある。思い出しては、「われから遠し」の実感を深くする。あのときの女の子は、どうしているだろうか。私にハーモニカを止めさせたことを、覚えているかな。当時はいまと違って、高校に進学する生徒の数も少なかった。クラスの半分以下だった。だから、多くの級友にとっては、中学が最後の学校なのだった。去りがたい気持ちは、痛いほどによくわかる。書いているうちに、急にハーモニカを吹きたくなった。が、とっくになくしてしまった。『新日本大歳時記・春』(2000)所載。(清水哲男)


May 0552001

 粽結ふ母も柱もむかしかな

                           宮下白泉

まは「こどもの日」、昔は「端午(たんご)の節句」。この日の菓子は、「粽(ちまき)」か「柏餅」だ。関西では「粽」、関東では「柏餅」が一般的だと聞いたこともあるが、どうだろうか。掲句の背景には、有名な童謡「背くらべ」(海野厚作詞・中山晋平曲)が意識されている。「柱のきずは おととしの/五月五日の 背くらべ/ちまきたべたべ にいさんが/はかってくれた 背のたけ……」。この歌のせいで、全国の家庭の柱には、どれほどの傷がつけられたことだろう。ご多分に漏れず、我が家の柱も同一の運命にみまわれた。作者の前には粽があり、そんな「むかし」を懐かしんでいる。「粽結ふ母」も傷つけた「柱」も、いまや無し。思えば、あの頃の我が家がいちばんよかったなあ。「むかし」という柔らかな表記が、ほのぼのとした郷愁を誘う。石川桂郎に「一つづつ分けて粽のわれになし」があり、これもさりげない佳句だ。頂き物の粽を家族で分けてみたら、一つ足りなかった。「お父さんはいいよ、子供の頃にいっぱい食べたからね……」。「一つづつ」と強調されているから、粽などめったに手に入らなかった食料難の時代の句だろう。掲句の作者も、もしかしたら同じ状況にあったのかもしれない。俺は良い思い出だけで十分だよ、と。急に粽が食べたくなった。『新日本大歳時記・夏』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


December 28122002

 銭湯や煤湯といふを忘れをり

                           石川桂郎

日あたりは、大掃除のお宅が多いだろう。昔風に言うと「煤払(すすはらい)」ないしは「煤掃(すすはき)」である。十二月十三日に行うのが建前(宮中などでの年中行事)だったが、これではあまりに早すぎるので、だんだん大晦日近くに行うようになった。句の「煤湯(すすゆ)」は、煤払いでよごれた身体を洗うための入浴のこと。宮中事情は知らねども、昔は家の中で火を使うことが多かったので、煤の量たるや半端ではなかった。両親が手拭いで顔と頭をしっかりと覆ってから、掃除していた姿を思い出す。そんな大掃除を終えて、作者は「銭湯」に出かけてきた。広い浴槽で「やれやれ」と安堵感にひたっているうちに、ふと「ああ、これを『煤湯』と言うのだったな」と思い出している。銭湯だから、まわりの誰かが口にしたのだろう。「忘れをり」は、久しく忘れていたことを思い出したということだ。ただそれだけの句だけれど、思い出したことで、作者はちらりと風流を感じている。思い出さなければ、いつもの入浴でしかないのだが、思い出すことによって、今宵の入浴に味わいが出た。「煤湯」に限らず、こういうことはたまにある。何かの拍子に、久しく忘れていた言葉などが思い出され、平凡な日常にちょっとした味や色がついたりすることが……。それにしても、銭湯の数は激減しましたね。我が三鷹市では、人口一万二千人あたりに一軒の割合です。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


June 1962004

 黒々とひとは雨具を桜桃忌

                           石川桂郎

十九歳の太宰治が女性と玉川上水で死んだのは、1948年(昭和二十三年)六月。入水したのは13日で、19日は遺体が見つかった日である。戦後三年目のことだった。当時の玉川上水は、いまと違って深くて流れも早く、土地の人は人喰い川と呼んでいたという。事実、都心から遠足に来た小学生が転落して溺れ、助けようとした教師が死んだ事件もあった。その先生の慰霊碑は、いまでも上水畔に見ることができる。句は桜桃忌が梅雨の最中であることを踏まえ、かつ戦後の暗鬱な世相をダブらせて詠まれている。太宰文学の暗さに、思いを馳せているのはもちろんだ。「黒々と」が、まことに骨太くそれを告げていて、頭を垂れた人々が戦後という雨期を影のように歩いてゆく姿が浮かぶ。このとき私は十歳で、遠く山口県の新聞で知った。当時の村では新聞の宅配はなく、すべての新聞は村役場まで届く。それを購読者は役場まで取りにいったものだが、私は毎日学校の帰りに寄って家の分を持ち帰っていた。そんなわけで、新聞はその日の日付のものではない。二日遅れか、あるいは三日遅れだったかの「朝日新聞」だった。小学生だったので、私が読めたのは漫画とスポーツ欄くらいだったけれど、太宰の入水のようなビッグ・ニュースだと大きく報じられたから、紙面にはタダゴトではない雰囲気が漂っていて、それで覚えているのだろう。他に紙面でよく覚えているは、同じ年の一月に起きた帝銀事件と、1950年(昭和二十五年)九月の伊藤律会見記だ。後者は三日後に記者のでっちあげとわかり、世間が騒然となった偽スクープ記事だった。日本共産党の大物・伊藤律はレッドパージで地下潜航中であったが、見出しは「姿を現した伊藤律氏 本社記者宝塚山中で問答」「徳田(球一)氏は知らない 月光の下 やつれた顔」というもの。縮刷版のこの日の社会面の中央部分は、いまでも削除されたまま白紙になっている。『合本俳句歳時記・新版』(1974・角川書店)所載。(清水哲男)


June 0562009

 香水や腋も隠さぬをんなの世

                           石川桂郎

本家の馬場當さんが言った。「今井君えらい世の中になったよ」近所の夫婦の夫婦喧嘩の仲裁をしたときのことらしい。妻の浮気を疑っている夫を妻は鼻でせせら笑った。「まったくうるさいわねえ。浮気してたらどうだって言うのよ。減るもんじゃあるまいし」君ねえ、女の方が「減るもんじゃあるまいし」って言うんだ。世の中も変わったねえ。馬場さんが感慨ぶかげに言ったのが5年前。この前会ったときも女性論議。「今、女が運転しながら咥え煙草は当たり前だもんな。今井君もう少し経つと女が立小便するようになるよ」立小便はともかくも男女関係のどろどろの修羅場を得意とする馬場さんらしい慨嘆だとは思った。まあ、男はとかく女に自分の理想を押し付けたがる。そこの虚実にドラマも生まれる。腋を隠さぬくらいで男が驚いたのは昭和29年の作。ここから確かに虚実の実の方の範囲は拡大した。「らしさ」という虚の方もまた時代に沿って姿を変えている。「減るもんじゃなし」を桂郎さんに聞かせたらたまげるだろうな。『現代俳句大系第十一巻』(1972)所収。(今井 聖)


April 0142014

 炊飯器噴き鳴りやむも四月馬鹿

                           石川桂郎

じめちょろちょろ中ぱっぱ、が済んだあたりの炊飯器。激しく出していた蒸気が落ち着いた頃だろう。手順が口伝されるほど手がかかったご飯炊きに、自動炊飯器が登場したのは1956年。誰が世話するでもなく炊ける炊飯器に主婦はどれほど歓喜したことだろう。一方、世の男性諸氏は妻とは少し違う見方をしていたようだ。掲句の作者も炊飯器に対して働き者へのねぎらいよりも、いまいましさすら感じているかに思わせるのは、四月馬鹿の季語を斡旋したことでも表れている。妻の労働を軽減することが、すなわち家庭をおろそかにするのではないかという不安につながっているのは、なんともかわいらしくもある。さて、四月馬鹿の今日は、罪のない嘘で笑い合うことが許される不思議な風習。この日は毎年さまざまな企業がジョークのセンスを競っているが、昨年は讃岐うどんチェーン店「はなまる」のホームページ「新メニュー:ダイオウイカ天(要予約)87,000円」に思わず笑ってしまった。時事を上手に取り入れるところが腕の見せどころ。だますのは午前中、午後には種明かしということもお忘れなく。「現代俳句全集 3」(1959・みすず書房)所載。(土肥あき子)




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