テ礁子句

March 2831998

 出し穴を離れずにゐる地虫かな

                           粟津松彩子

阪から出ている「俳句文芸」というユニークな雑誌があって(残念ながら直接購読制なので、書店にはない)、ここに延々と連載されているのが「私の俳句人生」という、この句の作者への聞き書きだ(聞き手は、福本めぐみ)。それによると、揚句は作者が二十歳にしてはじめて「ホトトギス」の選句集に入った記念すべき作品である。句意は明瞭だから、解説の要はないだろう。二十歳の若者にしては、老成しすぎたような感覚にいささかの不満は残るけれど……。ところで、この連載の面白さは、松彩子の抜群の記憶力にある。その一端をお裾分けしておこう。「私は昭和五年から、ずっとホトトギス関係の句会には出席していたけど、その時分の句会費というと二十銭やった。うどん一杯、五銭の頃や、映画の一番高い大阪の松竹座が五十銭。僕は他には何にも使わないんやけど、月に何回かの句会と、たまの映画で、小遣はいつも使い果たしていたな。……」といった具合だ。松彩子は、今年で八十六歳。尊敬の念をこめて言うのだが、まさに「俳句極道」ここにありの感がある。颯爽たるものである。「俳句文芸」(1997年7月号)所載。(清水哲男)


September 0291998

 風の無き時もコスモスなりしかな

                           粟津松彩子

味ではあるが、これぞプロの句。「ホトトギス」の伝統ここにありとばかりに、凛としている。コスモスは群生するので、かたまって絶えず風に揺れている印象が強いが、風がなくなればもちろん動きははたと止まる。その様子をスケッチしたにすぎないのだけれど、これを言わでもがなの中身と受け取ると、俳句的表現の大半の所以がわからなくなる。この句に、意味などはない。あるのは、自然をあるがままの姿で写生しようとている作者の姿勢だ。無私の眼が、どれほど徹底しきれるものかというそれである。近代的自我などというフウチャカと揺れる目つきを峻拒したところに、子規以来の写生の精神が生きている。かといって「俳句道」だとか「俳句禅」だとかとシャカリキになるのではなく、ここで作者の肩の力は完全に抜けているのであって、そこが他の文芸には真似のできない「味」を産み出している。最近は人事句が大流行で、この種の上質な写生句はなかなか見られない。が、俳句表現の必然とは何かと考えるときに、今でもこの方法は無視できない重さを持ってくる。まあ、そんな理屈はさておいて、一読「上手いもんだなあ」と言うしかない句である。「俳句文芸」(1997年12月号)所載。(清水哲男)


April 2942002

 小説に赤と黒あり金魚にも

                           粟津松彩子

語は「金魚」で夏。金魚は一年中いるけれど、夏になると涼しげな気分をそそるからだろう。はっはっは、思わず愉快な気分になってしまった。『赤と黒』は、言わずと知れたスタンダールの「小説」だ。1830年代、混乱期のフランスの一地方とパリを舞台に、田舎出の青年ジュリアン・ソレルの恋と野望の遍歴を描いている。学生時代に読んだので、朦朧たる記憶しかないけれど、どこが名作なのか、よくわからなかったことだけははっきりと覚えている。映画化もされたが、見たような見なかったような……。そんなわけで、多分作者も若い頃に読むには読んだが、さして感心しなかったのだろうと思われた。「赤と黒」だなんて、「金魚」だってそうじゃないか。ふん。てな、ところかな。落語や漫才の世界に通じる軽い諧謔味があり、俳句でなければ出せない面白味がある。松彩子は京都の人で、虚子門。なにしろ十八歳(1930年)で「ホトトギス」に初入選して以来、卒寿(九十歳)を過ぎた今日まで、一度も投句を欠かさなかったというのだから、まさに俳句の鬼みたいな人物だ。長続きした背景には、このような軽い調子の句を受け入れ続けた「ホトトギス」の懐の深さがあったればこそのことではあるまいか。といって、句集の句がすべてこのような彩りなのではない。むしろ、掲句は傍系に属する。その内に、おいおい紹介していくことにしたい。なんだか今日は、とてもよい気分だ。『あめつち』(2002・天満書房)所収。(清水哲男)


October 10102002

 こぼさじと葉先と露と息合はす

                           粟津松彩子

者、八十三歳の句。どうにも解釈がつかなかったので、しばらく放っておいた。というのも「こぼさじと」の主格が「葉先」だけであれば問題はないのだが、明らかに「露」の主格でもあるからだ。はじめは、こう考えた。こぼすまいとする葉先と、こぼされまいとする露。必死の両者が息を詰めるようにして「息」を合わせているうちに、葉先と露とがお互いに溶けあい浸透して合体したかのような状態になった。つまり、完璧に息が合ったとき、もはや葉先は露なのであり、露も葉先なのであるという具合に……。これでよいのかもしれないけれど、なんとなく引っ掛かっていて、何日か折に触れては考えているうちに、閃いたような気がした。ああ、そういうことだったのか。すなわち「こぼさじと」の主格は葉先と露両者であるのは動かないのだが、だとすれば「こぼさじ」の目的語は何だろう。閃いたというのは、この句には目的語が置かれていないのではないかということだった。葉先と露との関係から、ついついこぼれるのは露だと決めつけたのがいけなかった。そうではなくて、葉先と露の両者が「こぼすまじ」としているのは、句には書かれていないものではないのか。たとえば、目には見えない高貴なもの、神々しいもの……。そう解釈すれば、句はすとんと腑に落ちる。で、ようやくここに紹介することができたという次第だ。理屈っぽくなりました。ごめんなさい。『あめつち』(2002)所収。(清水哲男)


December 12122002

 ラグビーのボール大地に立てて蹴る

                           粟津松彩子

語は「ラグビー」で冬。あらためて言われてみると、なるほど「ラグビーのボール」は「立てて蹴る」。ゴール・キックの情景だ。句の妙は、ラグビーのフィールドを一気に「大地」に拡大したところにあるだろう。読者がそう実感できるのは、やはり「立てて蹴る」からなのだ。キックの前には競技が止まり、キッカーは息を詰めるようにして慎重にボールを立てる。この行為を、誰も助けてはくれない。孤立無援の行為だ。このときの彼の意識には、だから束の間敵も味方も何もなく、ただあるのはボールとそれを立てるべき地表だけとなる。全神経の集中が、彼にまるで「大地」のなかにひとり放り出されたような感覚を呼び起こす。見ている観客にも、それが伝わってくる。そしてねらいを定め、高々と「蹴る」。蹴った瞬間から、徐々に彼のなかには現実が戻ってくる。敵味方が動き、観客としての作者にも競技が戻ってくる。このいわば白い緊張感が、「大地に」と言ったことで読者の眼前に鮮かとなった。昔からラグビーの句はけっこう数詠まれてきたが、試合中の具体的なシーンそのものを詠んだ句はあまり見かけない。その意味でも珍しいが、作者はよほどのラグビー好きなのだろうか。蛇足ながら、作者八十九歳の作句だ。『あめつち』(2002)所収。(清水哲男)


July 2872004

 水着の背白日よりも白き娘よ

                           粟津松彩子

ルコム・カウリー(アメリカの詩人、文芸評論家、編集者)著『八十路から眺めれば』(小笠原豊樹訳・草思社)は、老いを考えるうえでなかなかに興味深い本だ。文字通り八十歳を過ぎてから書かれていて、冒頭近くに「老いを告げる肉体からのメッセージ一覧」というリストが載っている。「骨に痛みを感じるとき」「昼下がりに眠気が襲ってきたとき」などに混じって、「美しい女性と街ですれちがっても振り返らなくなったとき」があげられている。つまり、異性への性的な関心が無くなってしまったことを、意識ではなく肉体が告げるときが来るということのようだ。カウリーに言わせれば、私のような六十代などはまだまだ「少年少女」の部類らしいから、こういうことはわからないままに過ごしていられる。「美しい女性」とは認めても、ちらとも肉体が反応しないのはショックなのだろうか、それともそのことにすら驚かなくなるのだろうか。掲句はまさに作者八十路での作句であるが、なんとなくカウリーと同じことを言っているような気がする。「白日よりも白き」背中の娘(こ)に、格別性的な関心を覚えてはいないようだからだ。ただ、水着姿の真っ白い背中がそこに見えた。一瞬目を奪われるが、それだけである。おそらく「白日よりも」という無表情な比喩が、この若い女性から色気を抜き去る方向に作用しているからだろう。『あめつち』(2002)所収。(清水哲男)


February 1222005

 梅林の咲きて景色の低くなる

                           粟津松彩子

語は「梅(林)」で春。暖かい地方では、そろそろ見頃を迎えたころだろうか。作者の居住する京都だと、御所あたりの梅はちらほらと咲きはじめているにちがいない。言われてみれば、なるほど。咲いていないときは、「まだ咲かないか」と私たちは梅の木の上のほうにばかり視線をやるけれど、咲いてしまえば当然低い枝にも咲くわけだから、全体的に「景色」が低くなったように感じられる理屈だ。当たり前と言えば当たり前であるが、こうしたことを面白がって言える文芸は、他にはない。さすがに句歴七十余年のベテランらしい目の所産であり、いわゆる玄人好みのする一句だと思う。俳句に長年コミットしつづけていれば、このように上手にいくかどうかは別にして、だんだんに俳句的な目というものが身についてくる。俳句を知らなかったら想像だにしないであろう物の見方が、ほとんど自然に備わってくる。構造的には人それぞれに身についた職業的な物の見方と似ているが、多くの人にとって句作は職業ではないので、純粋に物の見方の高まりや広がりとして発露することができる。ただ危険なのは、こうして身についた俳句的物の見方を後生大事にしすぎるあまりに、複雑な現実の諸相を見失うことだろう。掲句のように、俳句でしか言えないことはある。が、俳句では言えないこともたくさんあるということを、私たちは忘れてはなるまい。『あめつち』(2002)所収。(清水哲男)


September 2992010

 人棲まぬ隣家の柚子を仰ぎけり

                           横光利一

ういう事情でお隣は空家になったのかはわからない。けれども、敷地にある大きな柚子の木が香り高い実をたくさんつけているから、秋の気配が濃厚に感じられる。かつてそこに住んでいた人が丹精して育てあげた柚子の木なのだろう。柚子を見上げている作者は、今はいなくなった隣人へのさまざまな思いも、同時に抱いているにちがいない。今の時季だと散歩の途次、柚子の木が青々とした実をつけているのに出くわす機会が多い。しばし見とれてしまって、その家の住人への想いにまで浸ることがある。どうか通りがかりの心ない人に盗られたりしませんように、などと余計なことを願ってみたりもする。小ぶりなかたちとその独特な香気と酸味は誰にも好まれるだけでなく、重宝な果実として日本料理の薬味としても欠かせない。柚子味噌、柚子湯、柚子酢、柚子茶、柚子餅、ゆべし、柚子胡椒……さらに「柚子酒」という乙な酒もある。『本朝食鑑』には「皮を刮り、片を作し、酒に浮かぶときは、酒盃にすなはち芳気あひ和して、最も佳なり」とある。さっそく今夜あたり、ちょいと気取って試してみましょうぞ。柚子の句には「美しき指の力よ柚子しぼる」(粟津松彩子)「柚子の村少女と老婆ひかり合ふ」(多田裕計)などがある。利一はたくさんの俳句を残した作家である。「白菊や膝冷えて来る縁の先」。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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