@k句

April 0341998

 たそがれのなにか落しぬ鴉の巣

                           畑 耕一

までこそ、とくに都会では嫌われ者のカラスではあるが、かつては「七つの子」や「からすのあかちゃん」と歌にも歌われたように、人はカラスにむしろ親愛の情を抱いていた。頭がいいし、親子の情愛が深いところが好まれたのだろう。たそがれどき、高い樹の下を歩いていると、上の方からなにやら落ちてきた。ああ、きっとこの樹の上にはカラスの巣があるのだなと納得し、作者は暖かい気持ちになっている。カラスの巣は外側を枯れ枝で組み、内部には枯れ草や羽毛、獣毛などを敷く。この獣毛が動物園では問題で、井の頭自然文化園のヒツジの背中は、哀れにもすっかり禿げてしまっている。ここにはカラスが千羽ほどいるそうだが、かわりばんこにヒツジの背に飛来しては毛を失敬していくからである。上野の森のカラスは、なんとパンダの毛を巣づくりに使うという豪勢な話も聞いた。(清水哲男)


April 0642011

 電柱をめぐりかくれぬシャボン玉

                           畑 耕一

ャボン玉は、やはり「石鹸玉」とは書かずに「シャボン玉」か「しゃぼん玉」と書いて、ふんわりと春風にかるーく飛ばしてみたいものである。「シャボン玉」と表記すると、あのキラキラ感が伝わってくるし、「しゃぼん玉」と表記すると、ふんわりふわふわしたやわらかさが強調される。「石鹸玉」と表記すると、ゴワゴワした固い感じがしてなかなか割れそうにない。表記によって、たった一つの日本語の微妙な奥深さが感じられてくる。寒さの冬からようやく解放されて、飛ぶシャボン玉の存在は一気に春を広げてくれる。吹き飛ばされたシャボン玉が、電柱にまとわりつくように見え隠れしながら、空へのぼっていく様子が見えるようだ。「シャボン」はポルトガル語。現在は通常「シャボン」と呼ばれるよりは「セッケン」と呼ばれることが多いのに反して、「シャボン玉」という呼び方がしっかり残っているのはおもしろい。耕一は俳句をよくして、句集に『露坐』『蜘蛛うごく』があり、春の句に「鶯や額ヒにのこる船の酔」がある。成瀬桜桃子の「しやぼん玉独りが好きな子なりけり」も忘れがたい。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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