Jf句

April 2041998

 すかんぽのひる学校に行かぬ子は

                           長谷川素逝

原白秋に「すかんぽの咲く頃」という童謡があり、歌い出しは「土手のすかんぽジャワ更紗……」である。すかんぽ(酸葉)は、歌の通りに、昔は川の土手や野原などに密集して生えていた。歌は小学生たちの学校への行き帰りの情景を生き生きと描いたもので、句はこの童謡を踏まえていると思われる。詠まれている子は、今で言う登校拒否児とは違って、目覚めてからふとサボりたくなったのだろう。家にいると叱られるので、一応登校するふりをして近所の河原で所在なく時が過ぎるのを待っているのだ。こんなことなら、学校に行ったほうがよかったかな。そんな後悔の念もわいてくる。しかし、春の時間は遅々として進んでくれない……。そして作者にも、同様な思い出があるのかもしれなく、むしろ微笑してそんな子供を眺めている。なんだか、大人でも仕事をサボりたくなるような、春の真昼時だ。最近では「すかんぽ」と言っても、知らない人が増えてきたのには寂しい気がする。(清水哲男)


November 27112001

 なが性の炭うつくしくならべつぐ

                           長谷川素逝

事をするにつけても、人の「性(さが)」は表われる。手際の良し悪し、上手か下手かも表われる。「炭」をつぐ行為などは、その最たるものの一つだった。でも、機器にスイッチを入れるだけの現代の暮らしの中にだって、その気になって観察すれば「性」の表われは認められる。ただ昔の生活では「炭」つぎのように、本来の目的に至るまでのプロセスが露(あらわ)にならざるを得なかったときには、そこに美学の発生しやすい環境があった。「なが」は「汝が」であり、女性を指している。妻だろう。連れ添ってこのかた、いつも冬になると、炭を「うつくしくならべつぐ」妻に感心している。しかし、どうかすると、あまりにも「うつくしくならべ」すぎるのではないのかと、彼女の神経質なところが気にもなっている。むしろ無造作を好む私には、そんな作者の微妙な心の揺れ、複雑なニュアンスが感じられる。讃めているだけではないような気がする。だからことさらに「性」と言い、きちょうめんな妻の性質や気質を強調しているのではあるまいか。私は、乱雑に炭がつがれていく状態のほうが好きだ。見た目にも暖かさが感じられるし、実際にもそのほうが炭と炭との間に空気が入り込むからよく熾(おこ)るので、暖かい理屈だ。もっとも、家計を考えれば熾りすぎるので不経済きわまりない。寒くなりはじめると、途端に炭の値段が上がった。そこで、良妻としては「うつくしくならべつぐ」ことにより、節約をしているのかもしれない。ま、これはあながち冗談とも言えない話なのだが、掲句の女性の場合には、そこまで考えての行為ではないと素直に受け取っておこう。そうでないと、せっかくの句が壊れてしまう。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


February 0122006

 二月はやはだかの木々に日をそそぐ

                           長谷川素逝

語は「二月」で春。立春の月(今年は二月四日)ではあるが、まだ寒さの厳しい日が多い。掲句の「二月はや」の「はや」は「はやくも二月」のそれであると同時に、「日をそそぐ」の「そそぐ」にかけられている。ついさきごろ年が明けたような気がしているが、もう二月になってしまった。早いものだ。そういえば、木々に射す日の光も真冬のころとは違い、光量が増してきて「(降り)そそぐ」という感じである。本格的な春の先触れとして、たしかにこの時期くらいから、徐々に日の光の加減に勢いがついてくる。枯れ木を「はだかの木々」と表現したことで、いささかなまめかしい春の気分もうっすらと漂っているようだ。いかにも俳句らしい俳句である。作者の主観は極端に押さえられ、シンプルな情景のみで二月のはじまった雰囲気が描き出されている。いわゆる有季定型句のお手本のような句にして、玄人受けのする句だ。こういう句の面白さがわからない人は、あまり俳句にむいていないのかもしれない。かくいう私も、この句の良さがちゃんとわかったとは言い難く、どこかで手をこまねいている気分だ。ましてや、こうした視点からの作句などは、逆立ちしたってできっこないだろう。いや、そもそも逆立ちなんぞという比喩の軽薄さを、掲句の世界は最初から拒否しているのである。『俳諧歳時記・春』(1968・新潮文庫)所載。(清水哲男)


February 0322007

 入学試験子ら消ゴムをあらくつかふ

                           長谷川素逝

日二月三日は節分、暦の上では今日まで冬。一方、この句の季題、入学試験は春季、虚子編歳時記では、入学の傍題で四月のページにある。しかし、私が勤務する学校も含め、現在東京の私立中学の入学試験の日程は、二月一日から三日に集中している。それゆえ、たいてい採点が終わってヘトヘトになって豆を撒く羽目になるのだ。私の担当教科は数学なので、入試では算数を採点するが、消しゴム使用率が高い教科のひとつではないかと思う。日常の定期試験でも、点数をつけながらめくっていくと、必ず消しゴムのかすが挟まった答案が何枚かある。たいてい、途中で行き詰まって焦っているわけで、白紙部分が多い。それでも一生懸命考えている顔を思い浮かべ、複雑な気持ちでそのかすをぱらぱらと払い、時には勢い余って破れた答案に裏からテープを貼る。ましてや入学試験の場合、相手は小学六年生、たいてい十歳前後から塾に通っている。消しゴムのかすが挟まった、白紙部分の多い答案の見知らぬその子は、中学受験算数とはどうにもそりが合わなかったのだ、気の毒である。長谷川素逝(そせい)は、旧制甲南中学、高等学校に勤務していたので、入学試験監督をしていての一句と思われる。大試験、受験子、などと言わずに、入学試験(の)子ら、と日常語で表現したことで臨場感が増すと共に、消ゴム、という具体物に焦点を当てたことにより、彼等の表情をも見せている。『ホトトギス虚子と100人の名句集』(2004・三省堂)所載。(今井肖子)


November 29112007

 ふりむけば障子の桟に夜の深さ

                           長谷川素逝

面台で顔を洗っているとき、暗い夜道を歩くとき。背後はいつだって無防備だ。掲句には一人夜更かしをしていて、ふっとわれに返り振り返った瞬間、薄闇に沈んだ障子の桟が黒々と感じられた様子が捉えられている。昔はひとり起きているのに今のように煌々と電気をつけることはなかった。せいぜい六畳間の端に寄せた机に笠をかぶせたスタンドで手元を明るくするぐらいだった。私が住んでいた古い家は夜になると日中暖められた木が冷えて軋むのか、廊下で、天井でときおり妙な音がした。夜の家は物の怪が練り歩いているようで不気味だった。作者も何か気配を感じて振り向いたのだろう。自分が感じた濃密な雰囲気を表現するのに視線の先をどこに着地させるか。障子全体ではなく障子の桟に限定したことで、ひとりでいる夜の空気を読み手に生々しく感じさせる。夜を煌々と照らし、身辺に何かしら音があることに慣れた現代人の失った暗黒と静寂がこの句から感じられる。それは人がひとりに帰り、自分と向き合う大切な時間だったのかもしれない。「素逝の俳句を読むと、表現ということと見るということの二つを特に感じる。」と野見山朱鳥が述べているが、この句にも素逝の感性の鋭さが視線となって、障子の桟に突き刺さり、そこによどんでいる不安を「夜の深さ」として表しているように思う。『定本素逝句集』(1947)所収。(三宅やよい)


July 3072011

 われに鳴く四方の蝉なりしづかなり

                           長谷川素逝

けば鳴いたでやかましい蝉だが、今年のようになかなか鳴かないとなんとなく物足りない。家居の初蝉は今週火曜日、かすかな朝のミンミン蝉だったが、その前に出かけた古寺の境内で聞いたのが今年の初蝉。山裾にあるその寺の蝉の声は、蝉時雨、というほどではなく、空から降りそそいで寺全体を包んでいた。じっとその声を見上げていると、あらためて山寺の境内の広さと涼しさが感じられ、しばらくそこに佇んでいたが、掲出句はその時聞いた遠い蝉声を思い出させる。蝉の存在を親しく感じることで自分の心も自然にとけこんで穏やかになる、そんな印象の一句である。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)




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