ノ 句

May 0451998

 追憶のぜひもなきわれ春の鳥

                           太宰 治

るい鳥の囀りが聞こえるなかで、過去をふりかえっているのは『人間失格』などの作家・太宰治だ。しかし、よい思い出などひとつもなく、その虚しさに嘆息している。自嘲している。明暗のこのような対比が、太宰文学のひとつの特長だ。太宰の俳句は珍しいが、当人に言わせると「そのとしの夏に移転した。神田・同朋町。さらに晩秋には、神田・和泉町。その翌年の早春に、淀橋・柏木。なんの語るべき事も無い。朱麟堂と号して俳句に凝つたりしてゐた。老人である」(『東京八景』1941)ということで、大いに俳句に力を注いでいた時代があったようだ。小説家として有名になってからは、トリマキと一緒にしばしば句会を開いていたという記録もある。それにしては残されている句が少ないのは、俳人としての力量が一流に及ばないことを自覚して、みずから句稿を破棄してしまったからであろう。この句も、太宰の名前がなければ、さしたる価値はない。今年は、太宰歿して五十年。著作権が切れることもあり、太宰本があちこちから出る模様。『太宰治全集』(筑摩書房)他に所収。(清水哲男)


January 2612003

 外はみぞれ、何を笑ふやレニン像

                           太宰 治

レニン
宰初期の代表作『葉』(1934)に挿入されている。「レニン(レーニン)」は、言わずと知れたロシア革命の主導者だ。戸外では冷たい「みぞれ」が降りしきり、室内には微笑をたたえたレニンの像がある。写真だろうか。よく知られていることだが、大宰はアジト提供などで非合法活動にかかわっていたことがあり、『葉』発表の二年前に、兄の勧めで青森警察署に自首、左翼との関係を絶っている。そうした事情を頭に置いて読むと、外の霙(みぞれ)同様に、レニンの笑みも大宰にはやりきれない寒々しさとして映じたにちがいない。俺は無産階級を裏切った男だと、自責の念が滲み出ている。推測でしかないけれど、このレニンは少しも笑ってなどいなかったと思う。生真面目な顔つきで、大宰を見つめている。その表情の奥に、大宰は笑いを感じた。薄ら笑いだ。憐愍とも指弾ともとれるレニンの謎めいた薄ら笑いに、「何を笑ふや」とおののいている。「何を笑ふや」の答えは、実はおのれ自身がいちばんよく知っているのだ。ご存知のように、『葉』はさまざまな断章(フラグメント)からなっており、格別の筋立てはない。連句の様式から着想したのかもしれないという説があって、そういえば掲句の前々段の文章には、地主の息子の青井が階級的な悩みから死にたいともらしたのに応え、大宰はこう言っている。「それは成る程、君も僕もぜんぜん生産にあずかっていない人間だ。それだからとて、決してマイナスの生活はしていないと思うのだ。君はいったい、無産階級の解放を望んでいるのか。無産階級の大勝利を信じているのか。程度の差はあるけれども、僕たちはブルジョアジイに寄生している。それは確かだ。だがそれはブルジョアジイを支持しているのとはぜんぜん意味が違うのだ」。掲句がこのあたりを受けているとすれば、余計に切ない。なんだかだとおのれの暮しぶりを正当化してみても、客観的には「ブルジョアジイに寄生している」にすぎなく、レニンの前では物も言えない自分。それを、このように書きつけておかなければ、どうしても気がすまなかった純粋な懊悩。なお『葉』は、ここ「青空文庫」で全文を読むことができます。図版は、ロシア革命60年(1977)記念に発行された切手。手前はブレジネフだが、珍しく(!!)レニンの笑顔が見られるので。(清水哲男)


February 2522009

 幇間の道化窶れやみづっぱな

                           太宰 治

の場合、幇間は「ほうかん」と読む。通常はやはり「たいこもち」のほうがふさわしいように思われる。現役の幇間は、今やもう四人ほどしかいない。(故悠玄亭玉介師からは、いろいろおもしろい話を伺った。)言うまでもなく、宴席をにぎやかに盛りあげる芸人“男芸者”である。いくら仕事だとはいえ、座持ちにくたびれて窶(やつ)れ、風邪気味なのか水洟さえすすりあげている様子は、いかにも哀れを催す。幇間は落語ではお馴染みのキャラクターである。「鰻の幇間(たいこ)」「愛宕山」「富久」「幇間腹(たいこばら)」等々。どうも調子がいいだけで旦那にはからかわれ、もちろん立派な幇間など登場しない。こういう句を太宰治が詠んだところに、いかにも道化じみた哀れさとおかしさがいっそう感じられてならない。考えてみれば、太宰の作品にも生き方にも、道化た幇間みたいな影がちらつく。お座敷で「みづっぱな」の幇間を目にして詠んだというよりも、自画像ではないかとも思われる。「みづっぱな」と言えば、芥川龍之介の「水洟や鼻の先だけ暮れ残る」がよく知られているし、俳句としてもこちらのほうがずっと秀逸である。二つの「水洟」は両者を反映して、だいぶ違うものとして読める。太宰治の俳句は数少ないし、お世辞にもうまいとは言えないけれど、珍しいのでここに敢えてとりあげてみた。ほかに「春服の色 教えてよ 揚雲雀」という句がある。今年は生誕百年。彼の小説が近年かなり読まれているという。何十年ぶり、読みなおしてみようか。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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