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May 0751998

 初夏だ初夏だ郵便夫にビールのませた

                           北原白秋

正十五年発表の白秋の俳句。この頃、白秋は荻原井泉水と論戦あり、そのせいもあってか、しきりと自由律俳句を作っている。それが変な俳人の句よりも面白い。また、白秋にはビールの句が多く(ビール好きだったのか)、これも珍しい。ビールの句を二句。「ビールだコップに透く君の大きい影」「桜は白いビールの空函がたくさん来た」。これで見ると、ビールを函入りでとっているのがわかる。いま、キリン・ビールの明治・大正・昭和三代の復刻ビールというのが大ヒットしているそうだが、この白秋のビールはもちろん大正のそれである。(井川博年)


May 2552006

 光りかけた時計の表梅若葉いま

                           北原白秋

語は「若葉」で夏。ちなみに「柿若葉」「椎若葉」「樫若葉」という季語はあっても、「梅若葉」の季語はない。やはり、何と言っても梅は花が第一だからだろう。しかし、それを承知で「梅若葉」とやったところに、白秋の少しく意表を突き新味を出そうとするセンスが感じられる。「時計」は柱時計で、窓際近くに掛けられている。そこに折りからの初夏の日差しがとどいて文字盤が「光りかけ」、窓から見える梅は若葉の盛りだ。柿若葉のように葉に艶はないけれど、いかにも生命力の強そうな感じの葉群が見えている。状況からして午前中も早い時間の光景であり、活力のある一日のはじまりが告げられている。白秋らしい明るい句だ。大正末期の作と推定され、白秋はこの時期に集中して自由律俳句を書いたが、以降は短歌に転身してしまう。体質的に、情を抒べられる短歌のほうが似合ったのだろう。このあたりのことを考えあわせると、五七五の定型句ではなく自由律を好んだ理由もわかるような気がする。「梅若葉」で、もう一句。「飯の白さ梅の若葉の朝」。朝の食卓に、梅若葉の清々しくも青い影が反射している様子だ。ただ、私には「飯の白さ」が気にかかる。米騒動が起きたほどの米価高騰時代の作としては、白秋は単なる彩りに詠んだつもりかもしれないが、当時の読者のなかにはむかっと来た者も少なくはなかったはずだからだ。『竹林清興』(1947)所収。(清水哲男)


November 13112006

 焚火のそばへ射つてきた鴨

                           北原白秋

の農繁期を過ぎると、どこからともなく猟銃を射つ音が聞こえはじめる。少年期を過ごした村では、犬を連れた男たちが野ウサギなどを射つために、山に入っていく姿が日常的に見られた。だから、村では猟銃の発射音が聞こえてきても、誰もほとんど気になどはとめない。音のした方角を、ちらっと一瞥するくらいだった。獲物を提げた男が山をおりてきても、同様に誰も何も言わない。やはり、一瞥をくれるのみなのであった。揚句を読んで、そんなことが思い出された。鴨猟の仔細は知らないが、情景としては早朝の大きな川のほとりで、鴨射ちに来た人たちが暖を取るために焚火を囲んでいるのだろう。その焚火の輪の外から、影のように近づいてきた男が、獲物をどさりと置いた図だ。しかし、そのおそらくは見事な獲物にも、一瞥するだけで誰が何を言うでもなく、みな寡黙に手をあぶったりしているのだ。無愛想というのではなく、それは猟仲間の一種の仁義から来ているように思える。いちはやく大物を射止めた者は喜びを殺し、それに羨望する者もおのれのはやる心を殺すのだ。そうすることで両者の矜持は平等に保たれるわけで、見方によっては鮮烈なこの情景も、仁義の支えのためにごく日常的なさりげない空間と化していく。この句の字足らずは、そのような仁義の世界をとらえるための技法だと読んだ。作者がちらりと獲物の鴨を一瞥したところで、湧いてくる情念を抑えるように目をそらした感じがよく出ている。白秋にあまり優れた句は認められないが、この句はその意味で、作者にも快心の作だったのではあるまいか。『竹林清興』(1947)所収。(清水哲男)


March 2132007

 つくしが出たなと摘んでゐれば子も摘んで

                           北原白秋

会では、こんな句に点は入らないだろう。八・六・五という破調のリズムはあまりしっくりとこない。春になった! やあ、つくしが出た。摘もう、摘もう!――そんなふうに弾むこころをおさえきれずに野に出て、子どもたちと一緒になってつくしを摘む。つくしが出た、それを摘む人もたくさん出た。春がきた。そんなワクワクした情景を技巧をこらすことなく、構えることなく素直に詠んでいる。「うまい俳句を作ろう」などという意識は、このときの白秋には皆無だったにちがいない。いや、わざと「俳句」のスタイルにはとらわれまい、と留意したとさえ思われる。童謡を作るときのこころにかえっているようだ。白秋はもちろん定形句も作っているが、自由律口語の句も多い。「土筆が伸び過ぎた竹の影うごいてる」「初夏だ初夏だ郵便夫にビールのませた」「蝶々蝶々カンヂンスキーの画集が着いた」等々。俳人諸氏は「やっぱり詩人の句だ」と顔をしかめるかもしれないけれど、この自在さは愉快ではないか。われも子も弾んでいる。スタイルよりも詠みたい中身を優先させている。白秋は室生犀星を相手に、次のように語っている。「発句は形が短いだけに中身も児童の純真が欠かせない。発句にはそれと同時に音律の厳しさがある。七五律はちょっと甘い。五七律をこころみてみたい」。白秋の口語自由律俳句には、気どらない「児童の純真」が裏付けされている。ところで、白秋のよく知られた詩「片恋」全六行は、それぞれ五・七・五となっている。「あかしやの金と赤とがちるぞえな。/かはたれの秋の光にちるぞえな。/片恋の薄着のねるのわがうれひ。/(後略)」『白秋全集38』(1988)所収。(八木忠栄)


June 1062009

 紫陽花に馬が顔出す馬屋の口

                           北原白秋

陽花が咲きはじめている。紫陽花はカンカン照りよりはむしろ雨が似合う花である。七変化、八仙花―――次々と花の色が変化して、観る者をいつまでも楽しませてくれる。花はてんまりによく似ているし、また髑髏にも似た陰気をあたりに漂わせてくれる。“陽”というよりは“陰”の花。それにしても、馬屋(まや)の入口にびっしり咲いている紫陽花と、長い馬の顔との取り合わせは、虚をついていて妙味がある。今をさかりと咲いている紫陽花の間から、のっそりと不意に出てくる馬の顔も、白秋にかかるとどこかしら童謡のような味わいが感じられるではないか。そういえば白秋のよく知られた童謡のなかでは、野良へ「兎がとんで出」たり、蟹の床屋へ「兎の客」がやってきたりする。この句はそんなことまで想起させてくれる。紫陽花の句では、安住敦の「あぢさゐの藍をつくして了りけり」が秀逸であると私は思う。白秋の作句は大正十年(小田原時代)からはじまっており、殊に関東大震災を詠んだ「震後」三十八句は秀抜とされている。その一句は「日は閑に震後の芙蓉なほ紅し」。ほかに「白雨(ゆふだち)に蝶々みだれ紫蘇畑」「打水に濡れた小蟹か薔薇色に」などに白秋らしい色彩が感じられる。句集に『竹林清興』(1947)がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


October 26102011

 灯を消して雨月の黄菊我も嗅がむ

                           北原白秋

書に「秋成よ」とある。言うまでもなく、上田秋成の「雨月物語」を指している。「雨月」とは名月の夜のはずなのに、雨が降ったりして月を見ることができないこと。「雨名月」「雨の月」などの傍題がある。「雨」と「月」の取り合わせが、きれいに決まりすぎているような季語。句意はそのままでむずかしくはない、単純な情景である。ただ、視覚を捨て去って嗅覚だけを研ぎすましているところがミソ。今夜は雨月を眺めようがないから、あかりを消し嗅覚におのれを集中して、黄菊の香を楽しもうというわけ。「我(あ)も」とあるところから、菊の香を嗅いでいるのは、どうやら自分ひとりだけではなさそうだ。酒の香もほんのりまじっているのかもしれない。薄暗い闇のなかにありながら気品のある華やかさが漂っていて、いかにも白秋らしい世界ではないか。昼となく夜となくそこかしこ過剰な光があふれ、かまびすしい音声が蔓延している私たちの日常にあって、しばしの時間を嗅覚のみで過ごす風情は好ましい。石川淳の句に「あまつさへ湖の香さそふ雨月かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 0452016

 童子々々からたちの花が咲いたよ

                           北原白秋

謡「からたちの花」の作者白秋ならではの俳句と言っていい。「♪からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ」ということを、童子たちに呼びかけて念を押しているばかりでなく、その歌をうたっている童子たちには、歌の作者が誰かを知らない子もいるだろうから、さりげなく「その歌の作者は私だよ」とも言っているようでもある。「からたち」の名前は知っていても、五弁の白い花が咲く実物までは、案外知らない大人も童子も少なくない。この句がもつ軽さには無理が感じられなくていい。白秋らしくうたっている。からたちの花の香りも匂ってくるようだ。芭蕉が「俳諧は三尺の童にさせよ」と言った言葉をふと思い出す。そういえば、三尺の童たちが近年あちこちで俳句をがんばっているではないか。白秋には俳句が多いけれど、からたちの花ばかりでなく「蓮咲くや月に在所の朝けぶり」がある。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)




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