S句

August 0481998

 昼顔にレールを磨く男かな

                           村上鬼城

城は、大正期の「ホトトギス」を代表する俳人。鳥取藩江戸屋敷生まれ(1865)というから、れっきとした武家の出である。司法官を志すも、耳疾のために断念。やむなく、群馬県の高崎で代書業に従事した(余談だが、侍の末裔に提灯屋や傘屋などが多いのは、鬼城ほどではないにしても、みな一応は文字が書けたからである)。ところで、このレールは蒸気機関車の走る鉄道のそれだろう。いまでは想像もおぼつかないが、錆びつかないようにレールを磨く(保守する)仕事があったというわけだ。黙々とレールを磨く男と、線路の木柵にからみついて咲いている数輪の昼顔の花。炎天下、いずれもが消え入りそうな様子である。けれども同情はあるにしても哀れというのではなく、むしろ猛暑のなかに溶け入るかのように共存していると見える、男と花の恍惚状態をとらえていると読んだ。耳の聞こえなかった作者ならではの着眼と言えるだろう。が、考えてみれば、誰にとっても真夏の真昼という時間帯は、限りなく無音の世界に近いのではあるまいか。(清水哲男)


January 1111999

 三寸のお鏡開く膝構ふ

                           殿村菟絲子

方差もあるが、全国的には一月十一日に鏡開を行うところが多い。最近では住宅事情もあり、あまり大きな鏡餅を飾る家は少なくなってきた。テレビの上に乗るほどの小さなものが好まれている。句の鏡餅も直径「三寸」だから、そんなに大きくはない。だが、すでに餅はカチンカチンに固くなっているから、相当に手強い相手だ。鏡開は「鏡割」ともいうように、餅を刃物で切ることを忌み、槌などを用いて割る。力と気合いが必要だ。句の場合は、ましてや非力の女性が割るのだから、どうしても「膝構ふ」という姿勢になってしまう。鏡開の直前のスナップ・ショットとして、秀逸な一句だ。軽い滑稽味も出ている。一方、村上鬼城には「相撲取の金剛力や鏡割」があって、こちらはまことに豪快で頼もしい。素手で割っているのだ。作者は、その見事さに賛嘆し感嘆し、呆れている。今年の我が家は鏡餅を飾らなかった。というか、うかうかしているうちに飾りそこねた。したがって、当然の報いとして、今夜のお汁粉はなしである。SIGH !(清水哲男)


May 0652000

 竹陰の筍掘りはいつ消えし

                           飴山 實

いさきほどまで黙々と筍を掘っている人を見かけたが、いつの間にか、その人の姿はかき消されたように見えなくなっている。作者もまた、同じ竹林のなかで掘っているのだろう。暗く湿った竹の陰での、ほとんどこれは幻想に近い光景だ。単なる実景写生を越えて、句は濃密な歴史的とも言える時間性を帯びている。読んだ途端に、私は村上鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」を思い出した。鬼城は遠望しているが、作者はより対象に迫った場所から詠んでいる。昔から人はあのように竹林に現れては筍を掘り、またこのようにふっと姿を消していく。その繰り返しに思われる人間存在のはかなさは、もとより作者自身のそれなのでもある。しかし、作者は侘びしいなどと言っているのではない。筍堀りに込められた充実した時間性が、ふっふっと繰り返し消えていく。消えたと思ったら、また繰り返し現れる。その繰り返しのなかで、人は人らしくあるしかないのだ。いわば達観に近い鬱勃たる心情が、句の根っこに息づいている。『花浴び』(1995)所収。(清水哲男)


November 12112000

 秋の暮水のやうなる酒二合

                           村上鬼城

酌。「二合」が、実によく利いている。「一合」では物足らないし「三合」では多すぎる。では「二合」が適量なのかと言われても、そう単純に割り切れることでもないのであり、なんとなく間(あいだ)を取って「二合」とするのが、酒飲みの諸般の事情との折り合いの付け方だろう。そのささやかな楽しみの「二合」が、今日はおいしくない。「水のやう」である。鬼城は裁判所(群馬・高崎)の代書人として働いていたから、何か職場で面白くないことでもあったのだろうか。気分が悪いと、酒もまずくなる。静かな秋の夕暮れに、不機嫌なままに酒を舐めている男の姿には、侘びしさが募る。ところが先日、図書館で借りてきた結城昌治の『俳句は下手でかまわない』(1989・朝日新聞社)を読んでいたら、こう書いてあった。「体に悪いから家族の方がお酒を水で薄めちゃったんじゃないかと思います。本人はそれに気がついている」。そうだろうか。だとしたら、まずいのは当たり前だ。ますますもって、侘びしすぎる。句の読み方にはいろいろあってしかるべきだけれど、ちょっと結城さんの読みには無理があるような気がした。「水のやうなる」とは、普段と同じ酒であるのに、今日だけは例外的にそのように感じられることを強調した表現だろう。当然「水のやうなる酒」にコクはないが、掲句には人生の苦さに照応した味わい深いコクがある。『鬼城句集』(1942)所収。(清水哲男)


May 0752002

 榛名山大霞して真昼かな

                           村上鬼城

榛名山
週の土曜日、群馬の現代詩資料館「榛名まほろば」に少し話をしに行った。会場の窓からは、赤城・妙義と並ぶ上毛三山の一つである榛名山が正面に望見された。土地の人に聞くと、春から初夏にかけてのこれらの山は靄っていることが多く、なかなかくっきりとは見えないそうだ。この日もぼおっと霞んでいた。そこでこの句を思い出し、真昼のしんとした風土の特長を正確かつおおらかに捉えていると納得がいった。鬼城は榛名にほど近い高崎の人だったから、常にこの山を眺めていただろう。旅行者には詠めない深い味わいがある。ところで「榛名まほろば」は、詩人の富沢智君が私財を投じて作った施設だ。設立趣旨に曰く。「現代詩にかかわる人なら誰もが一度は夢見るお店として、開店に向けて動き始めました。喫茶室とイベントスペースを設けた、閲覧自由の現代詩資料館としてオープンする予定です。すでに、各地には立派な文学館が建設されていますが、多くは潤沢な資金と立地とにめぐまれているにもかかわらず、あるいはそれ故に、運営面での柔軟さに欠けるきらいがあるのではないでしょうか。……」。場所は北群馬郡榛東村広馬場で、有名な伊香保温泉から車で15分ほど。高崎からのバスの便もある。全国から寄贈された詩書がぎっしりと並んでいて、背表紙を眺めているだけで現代詩の厚みが感じられた。そして確かに、公共施設にはない自由で伸びやかな雰囲気も。平井照敏編『俳枕・東日本』(1991・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 2182002

 ほの赤く掘起しけり薩摩芋

                           村上鬼城

語は「薩摩芋(甘藷)」で秋。収穫期は霜が降りるころ、秋も深まってからだ(もっとも、いまでは晩夏から収穫できる品種もあるようだ)が、句の姿からして、この場合は早掘りだろう。もうそろそろ食べられるかなと試しに掘ってみると、まだ細いけれど「ほの赤」い芋が現れた。可憐な感じさえするその芋の姿に、作者は感じ入っている。収穫期の労働の果ての芋を、こんなふうにしみじみと見つめて、愛情を注ぐわけにはいかない。いわゆる初物ならではの感慨が、じわりと伝わってくる。ところで薩摩芋といえば、敗戦後の食糧危機を救った二大野菜の一つだった。もう一つは、南瓜。二つとも元来が強じんな性質だから、どこにでも植えられ、それなりによく育った。灰汁抜きが大変だったけれど、薩摩芋は蔓まで食べたものだ。しかし、夏は南瓜を主食とし、秋には薩摩芋を食べつづけた反動が、やがてやって来ることになる。私以上の世代で、薩摩芋と南瓜には見向きもしない人が多いのは、そのせいだ。青木昆陽の尽力で薩摩芋が18世紀に普及したときにも、貧しい人々の食料として広がっていった。そして、たとえば里芋は名月の供物とされるなど民俗行事に関わることが多いが、薩摩芋は大普及したにも関わらず、驚くほどに民俗とは関係が薄い。人は、飢えを祭ることはしないからである。ちなみに、俳句で単に「芋」といえば里芋を指す。『合本俳句歳時記』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


June 0162007

 蚊柱や吹きおろされてまたあがる

                           村上鬼城

の「や」の用法がめっきりみられなくなったのは現代の特徴的傾向。一句一章の主格の「や」。「は」や「が」と同じ意味だが、現代俳人のほとんどは、ここに「の」を置くだろう。「蚊柱の吹きおろされてまたあがる」。どちらがいいか。切れ字をおくと俳句の格調が出るが、この古格のような渋さを俳句情趣臭として敬遠するのだろう。後者はすんなり読めるが説明的な感じが否めない。説明的即散文的と言ってもいい。困るのは「や」に過剰な切れを想定する読み方で、蚊柱を背景として、ふきおろされてまたあがるものは蚊柱ではないとする鑑賞もありそうである。省略されているのは「我れ」だとしたりする。切れ字や「切れ」に大きな断絶を負わせる傾向の氾濫は、二物衝撃(二句一章)の技法が俳句の典型的な用法として定着したことと、「写生」の意味が次第に拡大解釈を許す方向に向っていることが影響している。結果、緩慢な切れの用法などは怖くて使えず、「の」に頼ることとなる。句の意味は明瞭。不定形の塊としての蚊柱の動きがよく出ている。一句一章主格の「や」もお忘れなくというところ。僕も是非使ってみたい。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


August 3182007

 その母もかく打たれけり天瓜粉

                           仲 寒蝉

ん坊が素裸で天瓜粉を全身に打たれている。泣いているか、笑っているか。いい風景だ。赤ん坊よ、お前に粉を打っている母もお前のような頃があって、そうやって裸の手足を震わせたのだ。時間の長さの中を、現実と過去とが交錯する。一人の赤ん坊の姿に多重刷りのように時間を超えて何人もの「赤ん坊」が重なる。たったひとりの笑顔に無数の「母」の顔が浮かびあがる。村上鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」。齊藤美規の「百年後の見知らぬ男わが田打つ」も同様。鬼城は百姓という存在の無名性を詠い、美規は「血」というものの不思議から「自分」の不思議へと思いを深める。三句とも「永遠」がテーマである。ところで、或る句会で、「汗しらず」と下五に置かれた俳句があった。汗を知らないという意味にとったら、これはひとつの名詞。天瓜粉のことであった。歳時記にも出ているので、俳人なら知っておくべきだったと反省したが、「天瓜粉」でさえ、僕らの世代でも死語に近いのに、「汗しらず」なんて使うのはどんなもんだろう。まあ、そんなことを言えば、「浮いて来い」だの「水からくり」なんかどうだ。「現在ただ今」の自分や状況を詠もうとする俳人にはとても使えない趣味的な季題である。『海市郵便』(2004)所収。(今井 聖)


January 2812009

 座布団を猫に取らるゝ日向哉

                           谷崎潤一郎

の日当りのいい縁側あたりで、日向ぼこをしている。その折のちょっとしたスケッチ。手洗いにでも立ったのかもしれない。戻ってみると、ご主人さまがすわっていた座布団の上に、猫がやってきて心地良さそうにまあるくなっている、という図である。猫は上目づかいでのうのうとして、尻尾をぱたりぱたりさせているばかり。人の気も知らぬげに、図々しくも動く気配は微塵もない。お日さまとご主人さまとが温めてくれた座布団は、寒い日に猫にとっても心地よいことこの上もあるまい。猫を無碍に追いたてるわけにもいかず、読みさしの新聞か雑誌を持って、ご主人さましばし困惑す――といった光景がじつにほほえましい。文豪谷崎も飼い猫の前では形無しである。ご主人さまを夏目漱石で想定してみても愉快である。心やさしい文豪たち。「日向ぼこ」は「日向ぼこり」の略とされる。「日向ぼっこ」とも言う。古くは「日向ぶくり」「日向ぼこう」とも言われたという。「ぼこ」や「ぼこり」どころか、あくせく働かなければならない人にとっては、のんびりとした日向での時間など思いもよらない。日向ぼこの句にはやはり幸せそうな姿のものが多い。「うとうとと生死の外や日向ぼこ」(鬼城)「日に酔ひて死にたる如し日向ぼこ」(虚子)。「死」という言葉が詠みこまれていても、日向ゆえ少しも暗くはない。潤一郎の俳句は少ないが、他に「提燈にさはりて消ゆる春の雪」という繊細な句もある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


March 0632010

 蟻出るやごうごうと鳴る穴の中

                           村上鬼城

日は啓蟄。ということで、啓蟄の句をあれこれ見ていたところ、手元の歳時記にこの句が。蟻穴を出づ、の句ということだろう。蛙などが実際冬眠しているところを見たことはないが、そうそう集団でいることはない気がする。しかし蟻は、もともと集団生活をしているわけだから、あのくねくねと緻密に作られた巣のそこここで、かたまって休んでいるだろうと思われる。暖かくなり、まず誰かが目覚める。蟻にも個人差があって、ナマケモノが三分の一はいるというが、生来は働き者。あ、起きなくちゃ、みんな起きろ〜働くぞ〜、といった気配が、あっという間に巣全体に、かなりの勢いで伝播するに違いない。さっきまでの静かな巣が、猛然と騒がしくなる様が、ごうごう、なのか。一読した時は、土中の穴を揺り動かす得も言われぬ地球の音のようなものをイメージしたが、具体的な蟻の様子を想像してもおもしろいかなと。いずれにせよ、決して目の当たりにすることのできない土中のあれこれを思うと不思議で楽しい。原句の「ごうごう」は、くり返し記号。「虚子編 新歳時記 増訂版」(1995・三省堂)所載。(今井肖子)


June 0262011

 あめんぼう吹いて五センチほど流す

                           関根誠子

の沼や水たまりの表面にふわふわと浮くように小さなあめんぼうがいる。よく見ればしっかりと足をふんばった水面にちいさな窪みなどできている。けなげな姿ではあるが、愛嬌があるので、ちょっとかまってみたくなる。ふうっと息をふきかけるとそのままの体勢でつつつつつ、と水面を後ずさりしてゆく。あめんぼうもさぞ面喰ったことだろう。「水馬水に跳ねて水鉄の如し」村上鬼城の句などは水に鋼の固さを感じさせることであめんぼうのかそけき動きを力強く描き出しているが、この句ではあめんぼうへ息を吹きかける子供っぽい仕草とあめんぼうの愛嬌ある反応が句の面白さを引き出している。今度あめんぼうを見かけたらふっと吹いてみよう。何センチ流れるかな。『浮力』(2011)所収。(三宅やよい)


April 2242013

 丹念の畔塗死者の道なりし

                           古山のぼる

した田んぼに水を引いて、いわゆる代掻きを行うが、その水が抜けないように泥で畔を塗り固めてゆく。毎春決まり切った仕事なのだが、今年の春は気持ちがちがう。寒い間に不祝儀があって、この畔をしめやかに柩が運ばれて行ったからである。故人を思い出しながらの作業には、おのずからぞんざいにはできぬという心持ちがわいてくる。ていねいに、丹念にと、鍬先へ心が向けられる。村上鬼城の「生きかはり死にかはりして打つ田かな」が実感として迫ってくる。余談めくが、畔塗りの終わった田んぼをあちこち眺めてみると、塗る技術にはやはり歴然とした巧拙の差があって、なんだか痛ましく見えてしまう畔もあったりする。子供の時にそんな畔を見かけては、手仕事の不器用な私は、大人になって畔塗りをしなければならなくなったら、どうしようかと内心でひどく気になったものだった。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


July 2572015

 見てをれば星見えてゐる大暑かな

                           対中いずみ

年、二十四節気の大暑は二十三日の木曜日だった。村上鬼城に〈念力のゆるめば死ぬる大暑かな〉の句があるが、しばらくは続くであろう極暑の日々を思うとまさに実感、という気がしてくる。鬼城句に対して掲出句は、もう少しゆるりとした大暑の実感だ。夕暮れ時となればさすがに暑さもややおさまって、窓を開けて空を仰ごうという気も起きる。そんな時、初めは何も見えないけれどそのうちに目が慣れてぽつりぽつりと星が見えてくる、という経験は誰にもあるはずだが、見えてゐる、によってまさに、いつのまにか、という感覚が巧みに表現されている。そして、ああ本当に今日も暑かった、とさらにぼんやりと空を見続けてしまうのだろう。『巣箱』(2012)所収。(今井肖子)


August 3082015

 遠浅や月にちらばる涼舟

                           村上鬼城

浅の海が、一枚の扇のように広がっています。その中心には月が光り、幾艘かの納涼舟がちらばっています。納涼の舟遊びの客たちは、お月見を先取りしているのでしょうか。それとも、花火とは違った夏の夜空を楽しんでいるのでしょうか。おだやかな波に揺られ舟べりに当たる波音を聞きながら、涼風を受けています。しかし、そんな風情を想像しながら眺める作者の視点は、海岸から見た情景です。満月なら、遠浅の海は凪のさざ波に月光が広がっていて、月の光の波の上に幾艘かの納涼舟がちらばっているだけです。天空の月と、海面上の月光に点在する涼舟。一枚の扇の絵のようです。なお、季語は「涼舟(すずみぶね) 」で夏ですが、「月」に秋を予感します。『定本鬼城句集』(1940)所収。(小笠原高志)




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