KcI句

August 1381998

 豪傑も茄子の御馬歟たままつり

                           幸田露伴

田露伴は、言うまでもなく『露団々』『五重塔』などで知られる明治の文豪だ。『評釈俳諧芭蕉七部集』という膨大な著作があり、俳句についても素人ではない。「歟」とは難しい漢字だが、ちゃんとワープロに入っている(いまどき誰が何のために使うのだろうか)。読み方は「か」ないしは「や」。文末につけて疑問・反語を示す(『現代漢語例解辞典』小学館)。ただし、ここでは一般的な切れ字として使われている。かつては荒馬にうちまたがって戦場を疾駆していた豪傑も、この世の人でなくなって、なんとも可愛らしい茄子のお馬さんに乗って帰ってきたよ…。と、いうところか。言われてみればコロンブスの卵だけれど、盂蘭盆会(魂祭)の句としては意表を突いている。稚気愛すべし。楽しい句だ。ところで、私が子供だったころまでは、茄子の馬などの供え物は、お盆が終わると小さな舟に乗せて川に流していた。いまではナマゴミとして捨てるのだろうが、なんだかとてもイタましい気がする。さすがの豪傑も、そんな光景には泣きそうになるのではあるまいか。『蝸牛庵句集』(1949)所収。(清水哲男)


December 01121998

 師走何ぢや我酒飲まむ君琴弾け

                           幸田露伴

治40年(1907)12月の作。尾崎紅葉はすでに亡くなっていたが、紅葉ばりの談林体を思わせる句だ。日頃は落ち着いている僧侶(師)すらもが、町を走るというあわただしい季節。俗人は金勘定に追われ、やたらに忙しがっている。そんなものが「何ぢゃ」らほいと、作者はいささか突っ張った感じで、風狂の気のおもむくままに遊んでしまおうとしている。世間に背を向ける無理は承知で、無理を通そうというのだ。こうなると、風狂の道もラクじゃないのである。決して上手な句ではないし、はっきり言えば下手糞に近いけれど、当時の文人趣味をうかがうには貴重な資料だと思う。とにかく、現代の小説家などとはエラい違いだ。「清貧」だの「超俗」だのという精神が具体的現実的に生きていたことが、この句によって証明されている。同じような発想は漢詩にもありそうだが、露伴にしてみれば類想なんぞもヘのカッパで、実際に酒を飲む前から、かなりの上機嫌で俳諧に遊んでしまっている。すなわち「超俗」。実に、私などには羨ましい心持ちがする。「あゝ降つたる雪哉詩かな酒もがな」と、これまた当時の露伴の俳諧趣味を代表すると見てよい句であろう。(清水哲男)


April 1342001

 蛇穴を出れば飛行機日和也

                           幸田露伴

語は「蛇穴を出づ」で、春。冬眠からさめた蛇が地中から出てみると、ぽかぽかとした上天気。空を見上げて、思わずも「ああ、飛行機日和だ」とつぶやいている。まさか蛇がつぶやくわけもないが、ようやく長い冬のトンネルを抜け出た作者が、上機嫌で蛇につぶやかせたくなったのだ。真っ暗な地中から出てきたら、真っ先に目に入るのは周辺の景色ではなく、やはり明るい上空だろう。「蛇」と「飛行機」。この取り合わせには、意表を突かれる。それにしても、「飛行機日和」なんて楽しい言葉があったとは……。現代の「フライト日和」は飛行機に乗る人の側からの発想だが、「飛行機日和」は飛んでいる飛行機を下から見上げる人のそれだろう。昔の飛行機は低空で飛んだので、機影がよく見えた。パイロットの顔も見えた。爆音が近づいてくると、大人も子供も外に出て「凄いなあ」と眺めたのである。私の子供の頃は、飛行機はもちろんだが、自動車が通りかかっても後を追いかけて走ったものだ。排気ガスの匂いが、なんとも言えぬほどに心地よかった。まさに芳香。みんなで、胸いっぱいに吸い込んでいた。爾来半世紀を閲して、飛行機はよく見えなくなり、排気ガスは悪臭と化す。さて、今日の天気を「何日和」と言うべきなのか。『俳句の本』(2000・朝日出版社)所載。(清水哲男)


August 0182007

 飲馴れし井水の恋し夏の旅

                           幸田露伴

にも当然のようにうなずける句意である。「着馴れし」もの、「食馴れし」もの、「住馴れし」もの――それらは、私たちによく馴染んでいて恋しいものである。いや、時として馴れた衣・食・住に飽きてしまったり嫌悪を覚えたりすることはあろう。しかし、それも一時のことである。まして、それが生きるうえで最も不可欠な水となれば、「飲馴れ」た水にまさるものはない。どこにもある水道水やペットボトルの水の類ではない。固有の井水(井戸水)である。かつては、家それぞれが代々飲みつづけてきた井戸水をもっていた。井戸水とは、それを飲みつづける者の血でもあった。必ずしも上等の水である必要はない。鉄気(かなけ)の多い水、塩分の多い水などであっても、それが「飲馴れし井水」であった。自分が飲んで育った水である。暑い夏の旅先で馴れない水を何日も飲みつづけている身には、わが家の井戸水が恋しくなるのは当然のこと。夏なお冷たい井戸水である。この場合の「井水」は「水」だけでなく、生まれ育った「土地」や「家族」のことをも意味していると思われる。旅先で、井戸水や家族や土地がそろそろ恋しくなっているのだ。うまい/まずいは別として、私たちにとって「恋しい水」って何だろう? 百名水なんかじゃなくてもよい。あのフーテンの寅さんも「とらや」という井水=家族=土地への恋しさがたまって、柴又へふらりと帰ってきたのではなかったか。『露伴全集32巻』(1957)所収。(八木忠栄)


January 0112008

 妻よ天井を隣の方へ荒れくるうてゆくあれがうちの鼠か

                           橋本夢道

けましておめでとうございます。末永くよろしくの思いとともに、自由律の長〜い一句を掲句とした。子年にちなんで、ねずみが登場する句を選出してみたら、あるわあるわ150以上のねずみ句が見つかった。以前猫の句を探したときにもその数に驚いたが、その需要の元となるねずみはもっと多いのが道理なのだと納得はしたものの、現代の生活ではなかなか想像できない。しかし、〈長き夜や鼠も憎きのみならず 幸田露伴〉、〈新藁やこの頃出来し鼠の巣 正岡子規〉、〈鼠にジヤガ芋をたべられて寝て居た 尾崎放哉〉、〈しぐるるや鼠のわたる琴の上 与謝蕪村〉、〈寒天煮るとろとろ細火鼠の眼 橋本多佳子〉などなど、それはもう書斎にも寝室にも台所にも、家でも外でもそこらじゅうに顔を出す。どこにいても決してありがたくない存在ではあるが、あまりに日常的なため、迷惑というよりも「まいったなあ」という感じだ。掲句の屋根の上を走るねずみの足音にもにくしみの思いは感じられない。荒々しく移動していくねずみに一体なにごとが起きたのか、天井を眺めて苦笑している姿が浮かぶ。おそらく呼びかけられた妻も、また天井裏続きのお隣さんもおんなじ顔をして天井を見上げているのだろう。『橋本夢道全句集』(1977)所収。(土肥あき子)


December 17122008

 師走何ぢゃ我酒飲まむ君琴弾け

                           幸田露伴

走という言葉を聞いただけで、何やら落着かないあわただしさを感じるというのが世の常だろう。ところが、師走をたちどころに「何ぢゃ」と突き放しておいて、あえて自分は酒を飲もうというのだから豪儀なものだ。しかも、傍らのきれいどころか誰かに向かって、有無を言わさず琴を所望しているのだから、恐れ入るばかりである。時代も男性も軟弱でなかったということか。せわしなく走りまわっている世間を尻目に、我はあえて泰然自若として酒盃を傾けようというのである。「君」はお酌をしたその手で琴を弾くのだろうか。「ほんまに、しょうもないお人どすなあ」と苦笑して見せたかどうか、てきぱきと琴を準備する、そんなお座敷が想像される。擬古典派として、史伝などの堅い仕事のイメージが強い作家・露伴であったればこそ、このような句を書き、あるいは実際に琴を弾かせ、鳴物を奏でさせたと想像することもできる。押しつまった師走という時季だからこそ、おもしろさが増して感じられるし、共鳴も得られるのかもしれない。約二十五年を要して成した露伴の『評釈芭蕉七部集』は労作であり、芭蕉評釈として今も貴重である。別号を蝸牛庵と称し、『蝸牛庵句集』がある。ほかに「吹風(ふくかぜ)の一筋見ゆる枯野かな」「書を売つて書斎のすきし寒(さむさ)哉」といった冬の句もある。『蝸牛庵句集』(1949)所収。(八木忠栄)


February 0622013

 書を売つて書斎のすきし寒(さむさ)哉

                           幸田露伴

寒を過ぎたとはいえ、まだまだ寒さは厳しい。広い書斎にも蔵書があふれてしまい、仕方なく整理して売った。ようやくできた隙間にホッとするいっぽうで、寒い季節にあって、その隙間がいやに寒々しく感じられ、妙に落着かないのであろう。昨日までそこに長い期間納まっていて、今は売られてしまった蔵書のことが思い起こされる。その感慨はよくわかる。書棚に納められているどの一冊も、自分と繋がりをもっていたわけだもの。蔵書は経済的理由からではなく、物理的理由から売られたのであろう。理由はいずれにしろ、そこにぽっかりとできた隙間、その喪失感は寒々しいものだ。身を切られるような心境であろうし、同じようなことは多くの人が大なり小なり経験していることでもある。誰にとっても蔵書が増えるのは仕方がないけれど、じつに厄介だ。露伴は若くして俳句に親しみ多くの句を残しただけでなく、俳諧七部集の評釈でもよく知られている。他に「人ひとりふえてぬくとし榾の宿」がある。『蝸牛庵句集』(1949)所収。(八木忠栄)


July 2972013

 横にして富士を手に持つ扇かな

                           幸田露伴

士山が世界文化遺産に登録されたことを記念して、「俳句」(2013年8月号)が「富士山の名句・百人百句」(選・解説=長谷川櫂)を載せている。掲句は、そのなかの一句だ。ゆっくり読み下していくと、富士山を横抱きにするなどは、どんな力持ちかと思えば、なあんだ扇に描かれた富士山だったのかという馬鹿馬鹿しいオチになっている。作り方としては都々逸と同じだ。長谷川櫂はこの句を「江戸文化にあこがれた文人の句」として紹介し、江戸時代の人々は富士に仲間のような親しさを覚えていたと書く。それが明治期になると富士は大日本帝国の象徴となってしまい、この句のような通俗性とは無縁の存在として「君臨」するようになった。そうした風潮へのいわば反発としてこの句をとらえると、馬鹿馬鹿しさの向うに、露伴の切歯扼腕的な息遣いが漏れてくるようで、面白い。世界遺産登録に大喜びしているいまどきの風潮のなかにこの句を放り込んでみると、そこにはまた別の皮肉っぽいまなざしが浮んでくる気がする。「富士山に二度登る馬鹿」と言ったのは、いつごろの時代の人だったのか。私は二度登った。(清水哲男)




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