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November 25111998

 手袋を脱いで握りし別れかな

                           川口松太郎

同士の別れだ。いろいろな場面が思い浮かぶが、たとえば遠くに赴任地が決まり旅立っていく親友との駅頭の別れなどである。日頃は「手袋の手を振る軽き別れあり」(池内友次郎)程度の挨拶であったのが、もうこれからは気軽に会うこともできないとなると、お互いがごく自然に手袋を脱いで固い握手をかわすことになる。力をこめて相手の手を握り、そのことで変わらぬ友情を誓いあい、伝えあう。このような場合に手袋を脱ぐのはごく自然なふるまいだし、礼節の初歩みたいなものだけれど、脱ぐべきか脱がざるべきか、判断に迷うことが日常には多い。とくに、女性の場合は迷うのではなかろうか。映画で見る貴婦人などは、まず手袋を脱がない。それは貴婦人だからであって、貴婦人でない現代女性は、いったい着脱の基準をどのあたりに定めているのだろう。山口波津女に「花を買ふ手袋のままそれを指し」という句がある。こんな場面を句にしたということは、この行為が自分の価値基準に照らしてノーマルではないからである。本来ならば、手袋を脱いで店の人に指示すべきであったのだ。おタカくとまっているように思われたかもしれないという危惧の念と、急いで花を求めなければならなかった事情との間で、作者の心はいつまでも揺れ動いている。(清水哲男)


September 2091999

 実ざくろや妻とはべつの昔あり

                           池内友次郎

榴(ざくろ)の表記は「柘榴」とも。夫婦して、さて季節物の何かを食べようというときに、必ずと言ってよいほど話題になる食物があるはずだ。「子供のときは家族そろって大好物だった」とか、逆に「こんなもの、食べられるとは思ってなかった」とか。そういうときに、私も作者のような感慨を覚える(ことがある)。石榴の場合は、おそらくは味をめぐっての思い出話だろう。一方が「酸っぱくて……」と言えば、片方が「はじめのうちだけ、あとは甘いんだよ」と言う。石榴を前にすると、いつも同じ話になるというわけだ。ま、それが夫婦という間柄の宿命(?)だろうか。私は「酸っぱくて……」派だけれど、子供のころに野生に近い石榴しか知らなかったせいだと思う。この季節の梨にしても、小さくて固くて、ほとんどカリンのようなものしか食べたことがなかった。たしかに「妻とはべつの昔」に生きていたのだ。石榴といえば、とても恐い句があるのをご存じだろうか。「我が味の柘榴に這はす虱かな」という一茶の句。虱は「しらみ」。江戸時代、柘榴は人肉の味に似ていると言われていたそうだ。(清水哲男)


September 0292001

 帽置いて田舎駅長夜食かな

                           池内友次郎

食の後の夜長にとる軽い食事が「夜食」。秋の季語。作者は旅の途次で、遅い時間に次に来る列車を待っているのだろう。田舎の路線のことだから、夜になると一時間に一本来るか来ないか、そんな間隔でしか列車はやってこない。最終列車かもしれない。待っている客もまばらで、駅舎の周辺では虫の音がしきりというシチュエーションである。これが思い出としての旅の良き味わいでもあるのだが、実際に現場でくたびれて待つ身には辛いところだ。ふと、待合所から事務所のなかを見やると、駅長が「夜食」をとっている姿が見えた。ポイントは「帽を置き」であり、そこには束の間、帽子を脱いで職務を離れた駅長のリラックスした姿があるのと同時に、いかに軽食とはいえ食事を「いただく」姿勢が礼節にかなってきちんとしているところに、作者は好感を寄せている。いかにも昔気質の「田舎駅長」の顔までもが、浮かんでくるような句だ。まだSLが全盛で走っていたころの情景だろう。やがて、汽笛を鳴らして列車が近づいてくる。脱いだ帽子を目深にかぶり直し、いつものように「田舎駅長」は淡々とした姿で、砂利の敷き詰められたホームに出ていくのである。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 2482006

 爽かや寝顔に笑顔別に在り

                           池内友次郎

書きに「八月二十八日。偶成。」とある。興が湧いて俳句が自然にできたという意味だろう。「爽か(爽やか)」はすがすがしく快い様子。さっぱりした気分が秋の空気の透明感に似つかわしいので秋の季語になっている。むかし乳母車を押して街に出ると、すれちがう人たちが、実に優しげな顔で赤子に微笑みかけるのを不思議に思っていた。幼子の笑顔は親だけではなく、味気ない日常に黙しがちな大人の清涼剤であるらしい。邪気のない笑顔とはまた別に、無防備に体を広げて熟睡する寝顔も可愛らしいもの。昼の暑さとはうって変わって心地よい初秋の夜、父親が子供の寝顔を見ているうちふっと句が出来たのだろう。昼間の笑顔を見ることは出来なかったけど、寝顔だけでも充分。深夜の帰宅に玄関から子供部屋に入り寝顔を確かめてから着替えだす父親も多いだろう。幼子の笑顔と寝顔にどれだけの力を与えられているか子育ての渦中にいるとなかなかわからない。日常から気持ちをすっと離して子供を見つめる視線にもさわやかさを感じる。虚子の次男、音楽家である友次郎は柔らかな感性で明るくモダンな俳句を残した。『調布まで』(1947)所収。(三宅やよい)


February 1022007

 鶯や白黒の鍵楽を秘む

                           池内友次郎

楽をするのだから俳句を作ってみたらどうか、と虚子に言われ何となく作り始めた、と次男友次郎は述懐している。渡仏をひかえた二十歳頃のことだ。調べ、リズムが俳句の大切な要素の一つであるのもさることながら、友次郎のユニークな感覚が生む句を見たかったのだろう。この句は、友次郎三十一歳、パリ留学から帰ったばかりの頃の作。音楽の仕事の合間に自然に生まれてきた句ということなので、白黒(びゃっこく)の鍵はピアノの鍵盤。溢れ出るイメージが指を動かし、鍵盤にふれることでそれが音になり耳からまた体内へ。そんな風に彼の音楽が生まれている時、ふと鶯が鳴いたのだ。誰が作ったわけでもない自然の、春を告げる澄んだ音色。手を休めて、しばらく鶯の声を聴いていたのではないか。そして目の前のピアノをぼんやり見つめるうちに、まるで鶯の声に誘われるように、彼の中でまた音楽が生まれ始めたことだろう。「楽」を秘めているのは友次郎自身であり、ピアノを詠んでいながら、聞こえるのは鮮やかな鶯の声である。音楽家らしい一句だが、戦後本業が忙しくなったこともあり、俳句から遠ざかっていく。そんな友次郎に虚子が、「おまえはかなりな句を作っていたのに何故このごろ作らなくなったのか」と言い、「あなたのような人を父としたから句を作る気にならなくなった」と答えると、「悪かったですね」と笑った、との述懐もある句集『米壽光来』(1987)所収。(今井肖子)


June 1462008

 もの言はず香水賣子手を棚に

                           池内友次郎

田男に、〈香水の香ぞ鉄壁をなせりける〉の句がある。ドレスアップして汗ひとつかいていない美人。まとった香水の強い香りが、彼女をさらに近寄りがたい存在にしているのだろうか。昨今は、汗の匂いの気になる夏でも、そこまで強い香水の香りに遭遇することはほとんどないが、すれ違いざまに惹かれた香りの記憶がずっと残っていたりすることはある。この句は昭和十二年作、「銀座高島屋の中を歩き回った」時詠んだと自注がある。その頃の売り子、デパートガールは、今にも増して女性の人気職業だったというから、まだ二十代の友次郎、商品よりもデパートガールについ目が行きがちであったことだろう。客が香水の名前を告げると、黙って棚のその商品に手を伸ばす彼女。どこに何が置いてあるか熟知しており、迷う様子はない。友次郎は、彼女のきりっとした横顔に見惚れていたのかもしれない。そして、後ろにある棚に伸ばした二の腕の白さに、振り向きざまに見えた少しつんとした表情に、冷房とはまた違った涼しさを感じたのだろう。香水そのものを詠んでいるわけではないけれど、棚に手を伸ばすのは、やはり香水売り子がぴたっとくる。『米壽光来』(1987)所収。(今井肖子)




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