Vq句

January 1511999

 女正月一升あけて泣きにけり

                           高村遊子

日からの大正月を男正月とするのに対し、十五日を中心とする小正月を女正月という。二十日とする地方もあるようだ。いずれにしても、正月の接客や家事の多忙から解放された女たちをねぎらう意味で、男どもが発案したもう一つの正月である。女だけで集まり昼夜を通して酒盛りをする地方もあると、モノの本に出ていた。この句は、そんな酒宴の果てを詠んだものだろう。ほろ酔い気分で笑いさざめくうちに、だんだんと座は愚痴の連発大会と化し、ついには大泣きする女が出たところでお開きとなる。毎年のことだと作者は苦笑しつつも、片頬には微笑も浮かんでいる。男にしろ女にしろ、特別な日の酒の上での失敗は、このように許されてきた。今日、成人式の後での飲み会でひっくり返るお嬢さん方も、後を絶たない。ま、ほどほどに願いましょう。ところで、こんな具合に「女正月」を祝う風習は、もうとっくのとうに廃れてしまったと思っていたが、最近四国在住の女性の読者から「女正月が楽しみ」というメールをいただいた。となれば、廃れてしまったのは東京など一部の地域であって、全国的にはまだ健在ということなのだろうか。女正月の解説などは不要であったかもしれない。(清水哲男)


January 1512005

 日の中に娘の町や初電車

                           佐分靖子

語は「初電車」で新年、「乗初(のりぞめ)」に分類。昔は新年に初めて馬やかごに乗ることで、交通機関が発達していなかったころには、いかにも「初」という新鮮な感じが持てたのだろう。現代人はいつ乗ったのが「初」だったかしらんと、それほどに電車などは日常の生活に溶け込んでしまっている。が、私もそうだけれど、作者も普段はあまり電車に乗らない人なのではないだろうか。だから、くっきりと「初」の意識が持てたのだと思う。目的の駅までの途中で「娘の(暮らす)町」を通りかかり、その「町」に燦々と「日」が注いでいるのを見て、なんとなく我が娘の元気で幸福な姿が想われたという親心。いかにも「初電車」にふさわしい明るい句だ。作者のこれから訪ねて行く先にも、何か楽しいことが待っているのだろう。そういえば、今日15日は「女正月」だ。その昔、正月に忙しかった女性がこの日は家事から解放され、ゆっくりと骨休めができる日だった。映画や芝居見物に出かけたり、年始の挨拶に回ったり、地方によっては女だけで酒盛りをする風習があったと聞く。掲句は現代の作だから、もはや女正月でもなかろうが、俳句の文脈のなかで読んでいると、ふっと今日という日にぴったりの気もしてくる。では、女だけの酒盛りの果ての一句を。「女正月一升あけて泣きにけり」(高村遊子)。いやはや、お賑やかなことで……。『若狭ぐじ』(2004)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます