R句

June 1061999

 吊皮にごとりとうごく梅雨の街

                           横山白虹

なずけますね。「ごとりとうごく」のは、物理的にはむろん電車のほうだが、梅雨空の下の街は灰白色でひとまとめになっているように見えるので、街のほうが傾いで動いたように思える。雪景色の場合はもっと鮮明に、そのように感じられる。これが逆に晴天だと、街の無数の色彩がそれぞれに定着した個を主張してくるので、街ぜんたいが揺れるようには写らない。「だから、どうなんだ」と言われても困るけれど、俳句表現とは面白いもので、この「だから、どうなんだ」という反問を、実は句の支えにして成立しているようなところがある。ここで俳句の歴史を詳述する余裕はないが、乱暴に言っておけば、俳句は常に一つの「質問」の構造を先験的に持つ文学だ。これは言うまでもなく「連句」の流れから来ている。発句を一行の詩として屹立させようとした正岡子規らの奮闘努力の甲斐もなく(!?)、無意識的にもせよ、反問をあらかじめ予知した上での俳句作りは後を絶たない。「反問」と言うから穏やかではないのであって、一句の後に読者が勝手に七七を付けてくださいよ(読者の印象を個人的にふくらませてくださいよ)と、いまだに多くの俳句は呼びかけを発しつづけている。こんなに独特な表現様式を持つ文学は、他にないだろう。(清水哲男)


October 12102007

 草の絮ただよふ昼の寝台車

                           横山白虹

京から米子に帰省するときは必ずといっていいほど寝台特急「出雲」に乗った。寝台車(二等車)は上中下の三段になっていて、上に行くほど料金が安くなる。位置が高いから揺れがひどく、幅の狭い梯子を使っての寝台への上り下りは上段になるほど注意を要した。日暮れに東京駅を出た列車は深夜に京都に着く。「キョートー、キョートー」のアナウンスに僕は窓のカーテンを少し開けて人通りの無い京都駅のホームを覗く。京都で二年間浪人生活を送った僕はついに志を果たせなかった。懐かしさと悔しさが入り混じった複雑な気持ちで夜のホームの「キョートー」を聞いた。夜が明けるころ列車は山陰線を走る。目覚めて最初に見る風景が海だ。山陰線はずっと海と平行して走る。やがて寝台は車掌によって解体され、下段のみが三人分の座席として残される。寝台車と海が山陰線を思い出す僕のキーワード。すでに下段のみとなった昼の寝台車にどこからか入り込んだ草の絮がふわふわと漂っている。講談社版『日本大歳時記』(1981)所載。(今井 聖)


February 2722010

 草萌えて黒き鳥見ることもなく

                           横山白虹

萌には草の青、下萌には土の黒をより強く感じる、と言われたことがある。下萌というと、星野立子の〈下萌えて土中に楽のおこりたる〉〈下萌えぬ人間それに従ひぬ〉を思うが、そこには今まさに草萌えんとする大地の力がある。草萌は、二つ並んだ草冠がかすかにそよいで、文字通り明るい。掲出句の黒き鳥の代表は、カラスだろう。枯木に鴉、というと冬の象徴だが、音の少ない冬の公園などでは、確かにカラスのばさばさという羽音がいっそう大きく聞こえ、見上げると冬空より黒いその姿が寒々しい。やがて、水鳥が光をまき散らしながら準備体操を始め、尖った公園の風景も少しずつゆるんでくると、カラスもまた春の鴉となってお互いを呼び合うようになる。黒き鳥、が象徴する閉塞感が、外から、また身の内からゆっくりとほどけてゆく早春である。『横山白虹全句集』(1985)所収。(今井肖子)


December 16122012

 ラガー等のそのかちうたのみじかけれ

                           横山白虹

ーサイドのあと、勝者の歌は短い。なぜなら、ノーサイドの瞬間に、敵も味方もなくなるからである。ノーサイドのあとに残るのは、互いに火照った肉体、うずき始める筋肉の、骨の痛み、試合中は気にならなかった血が流れ、熱く流れ出た汗は、じきに冷えていく。ラガー等にとって、勝つことはボールを奪うことであり、タックルで止めることであり、有効にボールを蹴ること、回すこと、その瞬間を待ち、その瞬間を作り続けること以外にはない。勝つことは、試合中の80分間のみに集中されているゆえに、ノーサイドの笛のあとの勝ち歌は、短い儀式に過ぎない。かつ、相手を思いやる気持ちでもある。走り、蹴り、パスして、組み、押し、つかみ、離さず、奪い取る。全身の筋肉を使い果たしたラガー等は、一度、ラグビー場で命を燃焼し尽くしたがゆえに、あと歌はおのずと短い。『日本大歳時記・冬』(1981・講談社)所載。(小笠原高志)


August 0982014

 原爆忌乾けば棘を持つタオル

                           横山房子

日の猛暑に冬籠りならぬ夏籠りのような日々を送っているうち暦の上では秋が立ち、そしてこの日が巡って来る。一度だけでもありえないのになぜ二度も、という思いと共に迎える八月九日。八月六日を疎開先の松山で目撃した母は、その時咲いていた夾竹桃の花が今でも嫌いだと言うが、八月の暑さと共にその記憶が体にしみついているのだろう。この句の作者は小倉在住であったという。炎天下に干して乾ききったタオルを取り入れようとつかんだ時、ごわっと鈍い痛みにも似た感触を覚える。本来はやわらかいタオルに、棘、を感じた時その感触は、心の奥底のやりきれない悲しみや怒りを呼び起こす。夫の横山白虹には<原爆の地に直立のアマリリス >がある。『新日本大歳時記 夏』(2000・講談社)所載。(今井肖子)




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