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June 2561999

 古日傘われからひとを捨てしかな

                           稲垣きくの

立てに、いつの間にか使わなくなった日傘が立ててある。気に入っていたので、処分する気にならぬままでいたのだが、もう相当に古びてしまった。普段はさして気にもならないのだけれど、日傘の季節になると、かつての恋愛劇を思い出してしまう。あのときは、きっぱりと私の方から別れたのだ。捨てたのだと……。その人のことを懐しむというのではなく、若き日の自分の気性の激しさに、あらためて感じ入っているというところだ。たしかに我がことには違いないが、どこか他人事のような気もしてくる。「捨てしかな」という感慨に、帰らぬ青春を想う気持ちも込められている。松浦為王に「日傘開く音はつきりと別れ哉」があり、こちらは未練を残しつつも捨てられた側の句だ。あのときの「パチン」という音が、いまだに耳に残っている。二人の作者はもとより無関係だが、並べてみると、なかなかに切ない。日傘一本にも、ドラマは染みつく。女性の身の回りには小物も多いので、この種のドラマを秘めた「物」の一つや二つは、処分できないままに、さりげなくその辺に置いてあるのだろう。下衆(げす)のかんぐりである。(清水哲男)




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