阪神の功労者も監督なら、ロッテの功労者も山本功児監督。監督で野球を見る時代に。




1999N710句(前日までの二句を含む)

July 1071999

 あなただあれなどと母いふ暑さかな

                           竹内 立

にかく暑い。そこへもってきて、母親が何度も「あなただあれ」などと問いかける。ますます暑苦しい。しかし、この暑さも母親のボケも、どうなるものでもない。じっと耐えるしかない。脂汗までが浮いてくるようだ。作者は七十一歳。第4回「俳句αあるふぁ」年間賞受賞作(塩田丸男選)。しっかり者だった私の祖母も、晩年はボケた。遠く離れていたこともあり、ボケてからは会うこともなかったが、やはり「あなただあれ」を連発していたという。知人の話などを総合してみても、たいていボケた人は「あなただあれ」と言うようだ。そんな話を聞くたびに、この質問の意味は何なのかと思う。文字通りに、相手の名前や正体を質しているのだろうか。それとも幼児が「これなあに」を連発するように、正確な解答を求めるというよりも、コミュニケーションそれ自体を欲する問いにしかすぎないのか。どうも後者に近いような気がするが、このとき、質問を発する人の心持ちはどうなのだろう。気軽なのか、逆に苦しいのか。そこまでは、専門家にもわかるまい。「俳句αあるふぁ」(1999年6-7月号)所載。(清水哲男)


July 0971999

 キャベツ買へり団地の妊婦三人来て

                           草間時彦

腹の丸い女性三人が、丸いキャベツを買って抱えている。微笑を誘われる光景だ。句集の成立年代から推察して、1960年代前半か、あるいはもう少し以前の句だろう。しきりに「団地族」などという言葉が言われはじめたころ(1958)があって、各地に建設された2DKの団地には大勢の新婚夫婦が入居し、新しいライフスタイルの登場として、世間の耳目を集めた。その後「団地妻」という言い方も現われたが、これは日活ロマンポルノのタイトル上だけ。とにかく、当時の団地住まいは若いサラリーマンの憧れだった。そんなわけで、団地族の出産期はみな同じ。一挙に妊婦が目立つようになり、しばらくすると、今度は赤ん坊連れの奥さんが目立つようになった。そして現在はといえば、東京の多摩ニュータウンあたりで問題になっている、住民の高齢化が進んでいる。句の時期に生まれた赤ちゃんは、もうとっくに成人して団地から去ってしまったからだ。もとより当時の作者は、団地の未来像など気にもかけていなかったろうが、いま読み返すと、セピア色の写真を見るような、一抹の寂しさを含んだ句にも写る。誰でも、歳を取る。『中年』(1965)所収。(清水哲男)


July 0871999

 ゆやけ見る見えざるものと肩を組み

                           市川勇人

事な夕焼けは、今の都会でもしばしば見る機会がある。虹を見たときと同じように、そのことを急いで誰かに告げたくなる。でも、大人になってからのそんな時間には、たいていが独りぼっちの帰宅途中だったりするから、咄嗟に告げる相手がいない場合のほうが多い。作者も、やはり一人で真っ赤な夕焼けを見たのだ。独り占めにするにはもったいないほどの夕焼けだったので、その思いが高じた末に、「見えざるもの」と肩を組んでいる心持ちになった。このとき「見えざるもの」とは、子供の頃の友人の面影かもしれないし、ゲゲゲの鬼太郎のような親しみのある妖怪であったかもしれない。とにかく、独りで見たのではないと言い張ることによって、夕焼けの見事さが浮かび上がってくる。どこか、ノスタルジックな味も出ている。誰かと肩を組むことを、いつしか我々はしなくなってしまった。代わりに半世紀前まではめったにしなかった握手が日常的なふるまいとなった。肩組みと握手とでは親愛の情の表現の深浅が違うが、我々は情の深さを嫌うようになったらしい。この「我々」という言葉すら、いまや死語に近づいてきた。句はそうした「我々」の幻をも描いている。そこに、ノスタルジーの源泉があるというわけだ。「俳句界」(1999年7月号)所載。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます