@n句

July 1871999

 焼酎を野越え山越え酌み交はす

                           菅 裸馬

の途中。「野越え山越え」というのだから、列車の中だろう。気の置けない仲間と列車の一隅を占拠して、良い心持ちになっている。つまり、ほとんど出来上がっている(笑)。酔眼に流れる窓外の景色は、まさに「野越え山越え」の常套句さながらと思われて、ますます気宇壮大の気分に拍車がかかる。そして、この「野越え山越え」には、もう一つの抽象的な淡い意味がこめられていると思われる。これまた常套句を使っておけば、「はるばると来つるものかな」という人生上の情緒的哀歓だ。楽しく酔っている場面だから、そんな哀歓はちらりと淡く胸をかすめただけだろう。が、そこを見落とすと、句の味わいは薄っぺらなものにる。まったく酒を飲まない人にはわからない句境だろうが、飲酒の最中にさしたる理由もなく、ふっと訪れる哀歓もまた、酒の良さなのだ。「野越え山越え」と楽しそうな酔っ払いたちにも、それぞれの人生があるということ。今日も日本のどこかでは、こんな酔っ払いたちが「野越え山越え」と酌み交わしていることだろう。「焼酎」は夏の季語。(清水哲男)


January 2212003

 一人づつ減る夕寒を根木打

                           菅 裸馬

語は「根木打(ねっきうち)」で冬。「むさしのエフエム」のスタジオには、俳句歳時記が置いてある。音楽をかけている間に、時々パラパラとめくって、任意のページを読む。今日もそんなふうにして読んでいて、「あつ」と声をあげそうになった。子供のころによくやった遊びに、地面に五寸釘を立てて倒しあうものがあった。大人になってから時々思い出し、友人にそんな遊びがあったかと聞くと、みな知らないと言う。知らないということは、やっぱり山陰もごくごく田舎ローカルの遊びだったのかと、いつしか誰にも尋ねなくなっていた。それが、偶然に開いたページに麗々しく載っているではありませんか。ローカルなんてものじゃない。季語になっているくらいだもの、昔は全国的によく知られた遊びだったのだ。カッと頭に血がのぼるほどに嬉しかった。放送で話したわけではないけれど、長年の胸のつかえがおりて、以後はまことに上機嫌で仕事ができた。「根木打」とは、どんな遊びだったのか。スタジオで読んだ平井照敏の説明を丸写しにしておく。「先をとがらせた木の棒が根木で、長さは三十センチから六十センチほど。これをやわらかい土に打ち込み、次の者が自分の根木を打ち込みながら、前の者の根木に打ち当てて倒してそれを分捕るのである。竹の棒、五寸釘を使うこともある。(中略)稲刈りのあとの田んぼや雪上などでする」。地方によって呼び名はいろいろなようだが、私たちは五寸釘を使ったので、単純に「釘倒し」と呼んでいた。まことにシンプルな遊びなのだが、熱中しましたね。まさにこの句にあるように、夕暮れの寒さにかじかみながら、一人減り二人減るなかで、打ち合ったものでした。なにしろ五寸釘ゆえ、夕暮れに打ち合わせるとパッパッと火花が散った……、その泣きたいような美しさ。掲句のセンチメンタリズムはよくある類のレベルにしかないけれど、この際、そんなことはどうでもよろしいという心持ちになっています。体験者は、おられますでしょうか。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


September 1592007

 身に入むや秒針進むとて跳る

                           菅 裸馬

に入む(身にしみる)、冷やか、などは秋季となっているが、人の情けが身にしみたり、冷やかな目で見られたり、となると一年中あることだ。確かに、しみる、冷やか、共に、語感からして、ほのぼのとあたたかくはないが。身に入む、については、もともと季節は関係なく、人を恋い、もののあわれを感じる言葉であったのが、源氏物語に「秋のあはれまさりゆく風の音、身にしみけるかな」という件もあり、次第に秋と結びついていったという。秋風が、人の世のあわれや、人生の寂寥感を感じさせる、ということのようだ。そんなしみじみとした感情を、秒針の動きと結びつけた掲句である。目には見えない時間、夢中で過ごせばあっという間、じっと待っていると足踏みをする。アナログ時計の秒針の動きは、確実に時が過ぎていることを実感させる。じっと見ていると、たしかに跳ねる、一秒一秒、やっと進んでいるかのように。そんな秒針の動きに、無常感を覚えつつ、ふと自分自身を重ねているのかもしれない。「俳句大歳時記」(1964・角川書店)所載。(今井肖子)


May 1352016

 鷭飛びて利根ここらより大河めく

                           菅 裸馬

(バン)の体長はハトくらいの大きさ。腋と下尾の白斑が目立つ。全国の池、湖沼、水田、湿地等で繁殖する。草の中や水辺を歩いたり水を泳いで餌を漁る。尾を高く上げクルルクルルとよく鳴きながら泳ぎ、水面を足で蹴って助走してから飛び立つ。この草の中でクルルクルルと鳴く声は「鷭の笑い」と言われてきた。五月から七月にかけて、水草や稲株の間の水中に枯草を重ね皿形の巣をつくり五ないし十個の卵を産む。利根は水源から渓流、清流、肥沃な中流を経て大河の様相となり太平洋へと注がれてゆく。ススキ生い茂る岸辺に鷭がクルルクルルと鳴く声を聞けば利根はさすがに大河の様相を成している。『合本・俳句歳時記三十版』(1990・角川書店)所載。(藤嶋 務)




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