迚ョr句

August 3181999

 ミス六日町に汽笛二度鳴る薄の穂

                           守屋明俊

(すすき)の花穂(かすい)は「尾花」と呼ばれ、秋の七草の一つである。いっせいに風にそよぐ様子には、いわれなき寂寥感に誘われる。「六日町」とは、どこだろうか。新潟県にそういう地名があるけれど、そこかどうかは、句からだけではわからない。いずれにしても、小さな田舎町でのスケッチだろう。あたりいちめんに薄の生い茂る駅でのイベントだ。「ミス六日町」は、さしずめ一日駅長といったところか。テープカットがあったりくす玉が割られたりした後、彼女の合図で汽車が出ていく。景気よく、二度も汽笛を鳴らして……。既にここで作者の思いは、華やかな行事の果てに訪れる淋しさに及んでいる。それが「薄の穂」の、この句における役割だ。「ミス東京」が東京駅で新幹線を見送るのだったら、こうはいかない。句にならない。最近は女性差別に関わる問題もあってか、だいぶ「ミス・コンテスト」なるイベントの数も減ってきたようだ。全国各地で競うように「ミス・コン」が行われた時代もあり、なかには「ミス古墳」なんてのもあった。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


November 19111999

 芒野やモデルハウスに猫の声

                           守屋明俊

を探していたころ、よくモデルハウスを見に出かけた。新聞広告などをたよりに行ってみると、句のようにまことに殺風景な場所に建っている。にわかづくりの芝居小屋か映画のセットのようだ。一歩なかに入ると、ピカピカの流し台やら豪華な応接セットやらがしつらえられていて、いったい何様のお住まいかと思ったものだ。安い買い物ではないので、もちろん慎重にあちこちを見る。豪華な応接セットの代わりに、我が家の貧弱なそれを置いてみたとイメージしてみたりもした。しかし、なかなか決断するにはいたらない。何箇所かを見て回っているうちに気がついたことだが、モデルルームが決め手に欠けるのは、そこに人の住んでいる気配がないことだった。当たり前だけれど、生き物の気配のない住居は、いくら住居らしくデザインされていても空虚なものだ。おそらく作者も、そんな気がしていたのだろう。が、そこにどこからか小さく猫の鳴き声が聞こえてきた。なんだかホッとしたような気持ち……。現代的な生活者の感覚を、さりげないが鋭くとらえた佳句と言えよう。ただし、この句。作者が外にいて、中から猫の声がしたとも受け取れる。それなりに面白いが、モデルルームに猫が入り込むのは無理だろう。「俳句界」(1998年12月号)所載。(清水哲男)


February 2822000

 春空の思はぬ方へ靴飛べり

                           守屋明俊

供時代の思い出。春の空を見ているうちに、ひょいと思い出している。ボールか何かを思い切り蹴飛ばしたら、ついでに靴までが脱げて飛んでいってしまった。ボールはあっちへ、靴はあらぬ方へと。私にも、覚えがある。今はそうでもないのだろうが、昔の子供は少し大きめの(ともすると、ブカブカの)靴を買い与えられたものだ。月星運動靴だったかなあ、そんなズック靴。成長がはやいので、ぴったりした靴だと、すぐに履けなくなってしまうからである。靴といえぱ忘れられないのが、高校に入学した春のことだ。当時の立川高校は入学できる地域が広く、多摩地区全体から志望することができた。西は檜原村あたりから東は武蔵野市あたりまで。で、私など西からの新入生は当然のようにズック靴を履いていったのだが、東からの連中はみな革靴を履いていた。口惜しいので口にこそ出さなかったけれど、かなりのショックを受けた。そんなことは、東の諸君は覚えていないだろうな。革靴を買ってもらったのは、大学に入ってからだった。何度も靴底を張り替えて履いていたものである。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


April 2142000

 暗殺の寝間の明るさ蝶の昼

                           守屋明俊

句お得意の明暗対比の技法。どこだろうか。かつて歴史的な暗殺事件のあった家屋が公開されており、観光名所のようになっている。暗殺現場であったという寝間に入ってみると、とても伝えられるような陰惨な殺しがあった部屋とは思えない。説明の人が柱や欄間に残る刀傷を指さしたりしてくれるのだが、なんとなく腑に落ちるような落ちないような……。真昼の明るさが、暗殺の生臭さを遮るのだ。加えて、暗殺の政治的有効性がゼロになった現代という時代性が、かつての暗殺理解を拒むからでもある。部屋の障子は大きく開け放たれ、明るい庭に目をやると、蝶がひらひらと春風に流れているのが見える。どなたにも、きっと同種の体験はおありだろう。私など、こうした建物や部屋に入ったときにいつも感じるのは、昔の人(大昔からつい五十年ほど前までの大人たち)の平均的な背丈の小ささだ。「五尺の命ひっさげて」とある戦前の歌を証明するように、玄関からして首を縮めて入らないとゴツンとやりそうになる。だから、現代人はとてもあんなに小さな空間で刀なんぞは振り回せないだろう。心理的にはそういうことも働いて、史実の暗さや生臭さはいっそう遠のいてしまうのかもしれない。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


November 17112000

 綿虫や卓袱台捨てて一家去る

                           守屋明俊

綿虫が飛んでいるのだから、ちょうど今ごろの季節だろう。近所の家が引っ越していった。どんよりと曇った空の下に、ぽつんと卓袱台(ちゃぶだい)が捨てられている。卓袱台に限らないが、他家の所帯道具や生活用品は妙に生々しく感じられる。俎板(まないた)一枚にしても、そうだ。引っ越す側は新居では不要なので捨てていくだけの話だけれど、あからさまにゴミとして見せられる側は、なんだかとても痛ましいような気にさせられる。ああ、あの一家は、この卓袱台を囲んで暮らしていたのか。そう思うと、卓袱台を捨てて去った一家の行為が、冷たい仕打ちのようにすら思えてくる。ここで卓袱台は単なる物ではなく、一家の誰かれの姿と同じように生々しい存在なのだ。そんな人情の機微を弱々しく飛ぶ綿虫の様子につなげて、大袈裟に言えば、掲句は捨てられた卓袱台へのレクイエムのようにも写る。引っ越しはまた整理のチャンスでもあるから、引っ越しの多かった私の家でも、たくさんの物を捨ててきた。いちばん大きな物では、少年時代に、父が家そのものを捨てて去った。粗末なあばら屋だったし、田舎のことで後に住む人もいなかったので、そのまま置き去りにしたのだった。近隣の人にはさぞや生々しく見えたことだろうと、掲句に触れて思ったことである。十数年ぶりに訪れたときに、在の友人に尋ねたら「しばらく立っていたけれど、ある日突然、どおっと一気に崩れ落ちたよ」と話してくれた。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


January 0212001

 御降りや今年いかにと義父の問ふ

                           守屋明俊

父が存命のころは、例年家族で大阪まで挨拶に出かけた。挨拶の座で、必ず「今年いかに」と問われた。それも、実にさりげない調子で……。しかし、さりげないだけに、聞かれたほうはドキリとする。なにせ世に言う正業に就いていない身だからして、問われてもきちんとは答えられないからだ。「まあ、なんとか」などと、曖昧な返事をするしかなかった。義父の質問は、もとより娘の身を案じてのことである。もっと景気のいい返事を聞いて安堵したかったのだろうが、一度もそのようには答えられなかった。私も「義父」と呼ばれる立場になってより、娘婿に会うたびに問いたくなる。ただし相手はドイツ人だから、さりげなくも何も、どう尋ねてよいのかがわからない。そんなドイツ語は、学校で教えてくれなかったからなア(笑)。この正月はあちこちの家で、正業に就いている男たちにも、さりげなくも鋭い質問が投げかけられているのではあるまいか。季語は「御降り(おさがり)」。元来は元日に降る雨を言ったようだが、いまでは三が日の雨降りを言う。雪にも使う場合がある。「御降りのかそけさよ父と酒飲めば」(相生垣瓜人)。こちらは、実父だ。父親と呑んではいるけれど、会話ははずんでいない。初春の雨の音が、かそけく聞こえてくるばかり。父と息子との関係は、たいていがこのようなものだろう。そこに、味わいもあるのだが。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


August 0382001

 爪弾く社用で贈るメロンかな

                           守屋明俊

集では、この句の前に「ごきぶりを打ちし靴拭き男秘書」が置かれている。秘書の仕事の一貫として、高級果物店で「社用で贈る」メロンを選っているのだ。なるべく出来のよいものを贈るべく、いくつかのメロンを爪で弾いてみている。もしも不味いものでも届けてしまったら、会社の沽券にかかわるので真剣にならざるを得ない。が、作者はおそらく、いま選んでいるような高価なメロンは口にしたことがないのだろう。ていねいに一つ一つ弾いてはみるものの、本当のところは、どれが良いのかよくわからない。途方に暮れるほどでもないが、失敗は許されないので、気を取り直してまた弾いてみる。サラリーマンだったら、たいていの人が作者の心中は理解できると思う。業務とはいえ、何故俺はここでこんなことをやってんだろうと、一種泣き笑いの状況に放り込まれることがある。そこらへんの心理的に微妙なニュアンスが、「爪弾く」という微妙な仕草を通じているので、よく伝わってくる。漠然としたサラリーマンの哀感を詠んだ句は多いが、掲句は具体的にきっちりと壺をおさえていることで出色の出来と言えよう。それこそこの句を「爪弾」いてみれば、読者それぞれにたしかな苦い音を聞けるはずである。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


September 2692001

 剣劇の借景の柿落ちにけり

                           守屋明俊

刈りなどの秋の農繁期を過ぎると、芝居がかかるのが楽しみだった。たまに旅回りの一座がやってくることもあったが、定期的に演じられていたのが素人芝居だ。村の若い衆とおっさん連中が、田圃やら空き地やらに舞台を組んで、クラシックな『瞼の母』やら『国定忠次』やらを演じたものだ。にわか作りの舞台だから、立派な背景画なんぞは望むべくもない。ならば、そこらへんの自然を生かして(「借景」として)やろうじゃないかと知恵を出し、舞台裏に見える景色に合った出し物を選んでいたのだろう。実際、日ごろ無愛想な近所のおっさんが、白塗りで「山は深山(しんざん)、木は古木(こぼく)……」と見栄を切る場面なんぞは、背景がまさにその通りなのだからして「ウマいことを言うなあ」と感心した覚えがある。だから、いまだに覚えているのだ。さて、掲句ではクライマックスの「剣劇」シーンだ。切り狂言といって、この立ち回りが芝居の華。「役者」たちが演出通りに押したり引いたりしていると、背景の柿が突然ぽたっと落ちた。おそらくは、あろうことか舞台の上に落ちてきたのだろう。これで舞台と客席に張りつめていたせっかくの緊張感が、あっけなくも途切れてしまう。なかには、吹き出す奴もいたりする。ここで、芝居はパーだ。柿が熟して自然に落ちる様子は「ぽたっ」というよりも「ぽたあっ」ないしは「ぼたり」と、かなり存在感のある落ち方をする。そこらへんの機微をよく捉え、滑稽感に哀感を振りかけたような味が面白い。いや、お見事っ。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


December 15122001

 寒柝やしばし扉の開く終電車

                           守屋明俊

語は「寒柝(かんたく)」で冬。火事の多い冬季に、火の用心のために「柝(たく・拍子木)」を打ちながら夜回りをする。「火の用心、さっしゃりましょーっ」と回る、あれだ。その拍子木の音のことを「寒柝」と言う。さて、深夜の郊外の駅である。「終電車」の扉が開いて、どこか遠くのほうから柝を打つ音が聞こえてきた。ああそんな時間かと、あらためて思う。大半の人たちが、もう床に就いている時間だ。仕事で遅くなったのか、あるいは飲んでの帰りか。いずれにしても、一刻も早く帰宅したいのが終電車の乗客の心理だ。日中の「しばし」の停車ならさして気にもとめないところだが、深夜の「しばし」は本当にひどく長く感じられる。が、扉は無情にも「しばし」開いたままなのだ。すっかり客もまばらになった車内には、冷たい夜気が容赦なく流れ込んでくる。そこへまた、遠くからかすかに柝を打つ音が……。終電車の客の侘しい心持ちが、聞こえてきた「寒柝」でいっそう際立った。明日が休日というのならばまだしも、この侘しさは、明日も朝から出勤という身の侘しさにちがいない。この独特の侘しさに、思い当たる読者も少なくないだろう。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


February 1422002

 肝油噛みし頃が初恋黄水仙

                           守屋明俊

語は「黄水仙(きずいせん)」で春。単に「水仙」なら冬。野生だと、それぞれの花期が違うからだろう。そう言えば、子供の頃にはよく「肝油(かんゆ)」を飲まされたっけ。一億総栄養失調時代。ビタミン(肝油はAとDを含む)不足を補うために、たしか学校で配られたような記憶がある。正直言って、飲みにくかった。球を丸ごと飲めないので噛むことになるのだが、噛むと生臭い液体が口中にひろがって不味かった。そりゃそうだ。後で知ったのだけれど、あれはマダラやスケソウダラの内蔵を加工したものだそうである。さて「初恋」の思い出と言えば、普通は甘酸っぱいものと相場が決まっているようなものだが、掲句は不味い肝油を持ちだしてきて、読者をハッとさせる。肝油の不味さが、遠い日の思い出にすっとリアリティを添えている。昔の自分を美化していないからこそ、浮かんでくるリアリティなのだ。と言うといささか大袈裟になるが、当時を振り返っての軽い自嘲の心を肝油に込めたのだろう。これがたとえば飴玉だったりしたら、それこそ甘い句になってしまう。しかし、もちろん相手については、永遠に美化の対象でありつづけなければならない。すなわち、思えば「黄水仙」のように明るく清々しい女性であったと……。いまごろ、どうしているだろうか。作者の目の前で、黄水仙が揺れている。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


July 0972002

 命令で油虫打つ職にあり

                           守屋明俊

語は「油虫」(「ごきぶり」とも)で夏。同じ句集に「ごきぶりを打ちし靴拭き男秘書」とあり、作者の「職」種がわかる。会社の秘書室などというところは、一般社員からすると一種伏魔殿のように思える部署だ。いつも落ち着きはらった顔の秘書たちは、とうてい同じ社員とは写らない。そんな秘書のイメージをぶち破る句でなかなかに痛快だけれど、当の秘書である作者にしてみればとんでもない話なのである。自嘲しながらも、「命令」だから「油虫」を打ってまわらねばならない。脱いだ靴を手に油虫の出現に身構える男の姿は、テレビドラマにでも出てきそうだ。こんな姿は、家人にも友人知己にも見せられない。でも、いまはこれが俺の仕事なのだと思うと、ひどくみじめに感じる反面、一方では笑いだしたくなる気分も涌いているのではあるまいか。程度の差はあれ、どんな職業に従事しようとも、類したことは多少とも身にふりかかるだろう。業務「命令」はとりあえず順守しなければ契約違反になりかねないので、とりあえずこなさなければならない。なんて固いことを言う前に、昔からの社風といったものが無言の圧力となって、たいていの人は我慢しているのではあるまいか。まことに、家族を養い食っていくのは忍耐のいることだ。親は革靴にぎらせて、ごきぶり殺せとをしへしや……。君泣きたまふこと勿れ。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


October 11102002

 折衷案練る眠たさよ草の絮

                           守屋明俊

語は「草の絮(わた)」で秋。秋の草から出る穂のこと、「草の穂」に分類。たぶん、会議中の句だと思う。議論が平行線をたどり、なかなか会議が終わらない。しかし、案件は緊急の決着を要する。どうしても、この会議で決める必要がある。みんな、だいぶ疲れてきた。ここらあたりで「折衷案」でも出さないことには、いつまでも続きそうだ。作者は、日ごろから、そんなまとめ役を期待されるポジションにあるのだろう。そこであれこれと考えをめぐらすわけだが、なにせ折衷案なので気が乗らないのである。みんなの考えを立て、面子を立て、しかも発言者が卑屈に思われないようなアイデアが必要だ。正面から自分の意見で立論するよりも、折衷して物を言うほうが、よほど難しい。私などは、そもそも会議それ自体が嫌いだから、こういうときには投げやりになりがちだが、作者はなんとかねばっている。ねばってはいるのだけれど、疲れもたまってきて、だんだん眠くなってきた。会議室の花瓶に野の草が活けてあるのか、あるいは窓の外に点々と雑草が見えているのか。その茫洋として掴みがたいたたずまいに、いよいよ眠たさが増してくる……。これではならじと、小さく頭を振っている作者の姿が見えるようだ。『西日家族』(1999)所収。(清水哲男)


January 2512003

 ひとかどの女の如し山眠る

                           守屋明俊

語は「山眠る」で冬。こういう句を読むと、俳句って愉快だなあと思う。俳句雑誌の句をぱらぱら拾い読みしていて、たいていは失礼ながらすうっと通りすぎてしまうのだが、ときどき急ブレーキをかけることがある。掲句も、そうだった。むろん、引っ掛かるものがあったからだ。つまり「ひとかどの女」という表現に、立ち止まらされてしまったのである。たいてい「ひとかどの」とくれば「男」に決まっているだろうが。えっ、なぜ「女」なんだと、眼をこすった。こうなれば、もう作者の勝ちである。負けた私(笑)は、しょうことなく、何度か繰り返し読むことになった。で、いろいろと眠る山と女を関係づける普遍性必然性は那辺にありや、などと思いをめぐらせてみることになった。普遍性必然性については、すぐに納得できたような気がする。「ひとかどの男」であれば、どんなことがあろうとも、眠ったりはしないだろう。ところが「女」は、そこらへんで「男」とは違いがありそうだ。図太いというのとはだいぶニュアンスに差があるのだけれど、神経のありどころが「男」とは違っているところがあるのは確かだ。だから、句に「男」とあったなら、面白くも何ともない。ただ、眠る山がだらしなく写るばかりだからある。そこへいくと、女の寝姿に見立てた作者の感性はなかなかのもの。それもなまじな女ではなく「ひとかどの女」なのだから、素晴らしい。と言いつつも、はて「ひとかどの女」って、どんな女なのかは、私にはまったくわからない。そこで邪推に近い言い方になるが、実は作者にもよくわかっていないのだと思った。でも、それでいいのだ。この句に滲んでいるのは、作者の女性観の一端だろう。それが、冬の山を句にしようとしているうちに、ぽろりと口をついて出てきちゃったということだろう。俳句なればこそ、こういうことが起きるのである。「俳句」(2003年2月号)所載。(清水哲男)


August 1682004

 天と地の天まだ勝る秋の蝉

                           守屋明俊

京都心の真夏日連続記録は一昨日(2004年8月14日)までで途切れたが、40日といううんざりするほどの長さだった。しかし、週間天気予報では、また今日から真夏日がつづきそうだと出ている。どこまでつづく真夏日ぞ、やれやれだ。さて、句の季語は「秋」ではなくて「秋の蝉」。立秋を過ぎると、ヒグラシやホウシゼミなどの澄んだやや寂しい感じの鳴き方をする蝉が増えてくる。が、この句ではそのなかでもミンミンゼミのようなアブラゼミ顔負けの元気な鳴き方のものを指しているのだろう。むろんまだまだアブラゼミも元気だから、両者の合唱は盛夏のころよりも騒々しく、それが時雨のように「天」から降り注ぐ感じは、なるほど「天まだ勝る」いきおいである。「天と地」と大きく振りかぶった句柄は、人の意識に酷暑がその間にあるもろもろの物事や現象を亡失せしめた状態を表していて、卓抜だ。企んで振りかぶったというよりも、暑さの実感が振りかぶらせたのである。今日は旧盆の送り火。京都では大文字の火が見られ、これぞ「天と地」をあらためて想起させる行事と言えるだろう。藤後左右に「大文字の空に立てるがふとあやし」の一句あり。『蓬生』(2004)所収。(清水哲男)


March 3032005

 水金地火木土天海冥石鹸玉

                           守屋明俊

語は「石鹸玉(しゃぼんだま)」で春。「水金地火木土天海冥(すい・きん・ち・か・もく・ど・てん・かい・めい)」は、水星から冥王星まで,惑星を太陽に近い順に並べた覚え方だ。昔,小学校の教室で習った。先生は「ど・てん・かい・めい」と平板に流さず,この部分を「どってんかいめい」とまるで一語のように発音されたことを覚えている。とかくあやふやになりがちな後半の部分を,強く印象づけようという教授法だったのだろう。おかげて私たちは、惑星というと、前半よりもむしろ「どってんかいめい」のほうに親近感を覚えることになった。さて、掲句。楽しい連想句だ。いくつも「石鹸玉」が飛んでいるのを眺めているうちに,作者はふっと「どってんかいめい」を思い出したのだろう。といって、石鹸玉に宇宙的な神秘性を感じているのでもなければ、両者ともにいずれは消滅してしまうという共通点にものの哀れを感じているのでもない。ふわふわと飛び交う五色の玉の仲間に、巨大な惑星の玉を入れてやることにより,春のひとときの楽しい気持ちがいっそう膨らんでくる。そんな作者の弾んだ気持ちを、読者にもお裾分けした句とでも言うべきか。上五中七で何事がはじまるのかと思わせておいて,最後に可愛らしい「石鹸玉」を差し出してみせた茶目っ気もよく効いている。漢字のみの句は理に落ちる場合が多いが,それがないところにも好感を持った。「俳句研究」(2005年4月号)所載。(清水哲男)


June 0662006

 西部劇には無き麦酒酌みにけり

                           守屋明俊

語は「麦酒」で夏。麦酒を飲みながら、昔の「西部劇」映画をビデオで見ている図が浮かんできた。サルーンの扉をゆっくりと開けて、流れ者のガンマンが入ってくる。一言も口を利かずにカウンターに小銭を置くと、これまた一言も口を利かないバーテンダーがショットグラスにバーボンウィスキーを注いで、男の前に無造作に置く。たいていの西部劇ではおなじみのシーンであり、このシーンでその後のドラマ展開のためのいろいろな布石が打たれる仕組みだ。映画の男はバーボンを飲み、見ている作者は麦酒を飲み、あらためてそのことを意識すると、何となく可笑しい。しかし、なぜほとんどの西部劇には麦酒が出てこないのだろうか。このときの作者もそう思ったにちがいないけれど、私もかねがね気にはなっていた。西部開拓時代のアメリカに、麦酒がなかったわけじゃない。アメリカ大陸に本格的な醸造所ができたのは1632年のことだったし、サルーンのような居酒屋でも麦酒を売っていたという記録も残っている。では、なぜ西部劇には出てこないのか。そこでいろいろ理由を考えてみて、おそらくはバーボンに比べて麦酒がはるかに高価だったからではないのかと、単純な答えに行き着いたのだった。つまり、当時のバーボンはかつての日本の焼酎のような位置にあり、とにかく取りあえずは安く酔えるという利点があったのではないか、と。そう思えば、どう見ても金のなさそうな流れ者が黙って座って出てくるのは、バーボンしかあり得ない理屈だ。それはそれとして、西部劇に麦酒の出てくる映画もレアケースだが、あることはある。グレン・フォードが主演した『必殺の一弾』(1956)が、それだ。早撃ちの魅力にとらわれた商店主の主人公は、実は誰一人撃ったことがないのに、名うての無法者に決闘を挑まれ狼狽する。そんな筋書きだが、この映画の主人公の早撃ちぶりを紹介するシーンで、麦酒ならぬ麦酒グラスが重要な小道具になっていた。白状すれば、この映画を見た記憶はあるのだが、そのシーンは覚えていない。さっきネットで調べたことを書いただけなので、それこそそのうちにビデオで確認してみたいと思う。『蓬生』(2004)所収。(清水哲男)


November 03112009

 手が翼ならば頭は秋の風

                           守屋明俊

日「文化の日」は、一年に数日ある晴れの特異日。予報では降水率10%だが、最高気温が東京で15度とかなり低い。11月に入ると、空にはしっとりした秋と硬質な冬のストライプがあって、冬の層がみるみる厚くなっていくように思える。くっきりと筋目のついているような秋の空気を、両手で撹拌しながら深呼吸してみれば、なんとなく宙に浮くような気分が味わえる。空を飛ぶ鳥たちには、翼を上下させるはばたき飛行のほか、翼を広げたまま宙を滑るように飛ぶ滑空など、さまざまな飛び方があるという。しかし、どれも頭は矢印の先のように進行方向を指している。秋の風に小さな頭をもぐりこませるようにして、それぞれの目的地を目指しているのだと頭上を仰げば、飛び交う鳥たちの残した軌跡のような雲が青空に描かれていた。ところで、掲句によって合点がいったことがある。それは、天使の絵には肩甲骨のあたりから大きな翼が生えており、合唱コンクール定番の「翼をください」の歌詞でも背中に鳥の翼が欲しいと歌われるが、掲句もいうように、翼は人間の腕にかわるものであるはずだ。想像上の姿とはいえ、腕も翼も持つというのは少し欲張りすぎやしないだろうか。人魚を描くとき、足のほかに尾を付けることがないのに、不思議なことである。〈母校とは空蝉の木が鳴くところ〉〈稲妻や笑ひの絶えぬ家ながら〉『日暮れ鳥』(2009)所収。(土肥あき子)


January 0712010

 生きてゐる仕事始めの静電気

                           守屋明俊

んべんだらりと過ごした三が日を終えて、仕事が始まった。仕事納めの日から数えれば一週間しか経っていないのに昨年というだけで遠い距離が感じられる。正月休みというのは他の休みと違ってぽかっと大きな穴に落ち込んだような、浦島太郎のような心持ちになってしまう。ビルのエスカレーターを上がりやれやれとドアノブに手を触れた瞬間びりり、と軽い衝撃が伝わる。乾燥したこの季節に多い現象だけど、のびきった気持ちに喝を入れて仕事モードに切り替えよと言われているようだ。上五の「生きてゐる」の措辞は話し言葉にすれば「生きてるぅ??」と静電気に呼びかけられる感じだろうか。指に来た刺激が休みボケをたたき起こすようでなんとなくおかしい。「鏡餅テレビ薄くて乗せられず」「何たる幸グラタンに牡蠣八つとは」など日常の出来事が豊かな諧謔で彩られていて、おとなの味わいを感じさせる。『日暮れ鳥』(2009)所収。(三宅やよい)


July 1972012

 暑からむいとしこひしの大阪は

                           守屋明俊

の間オリエンタルカレーの懐かしのパッケージを見つけて思わず買ってしまった。その昔、日曜日の昼と言えばオリエンタルカレー提供の「がっちり買いまショウ」を見ていた。いとし、こいしが司会だった。当時は物足りなかったけど、二人にはやすし、きよしのようなしゃべくり漫才にはない大人の味わいがあった。大阪の暑さは格別で、奥坂まやの句にも「大阪の毛深き暑さ其れを歩む」という句がある。湿気が高くてそよりとも風の吹かない大阪の夏はむうっと息が詰まる暑さだ。しかし掲載句は「暑からむ」と推定になっている。大阪から遠くに離れ、今はいない「いとしこいし」の洒脱な漫才を想うように大阪の粘る暑さを懐かしく思っているのだろう。今年の大阪も暑いだろうか。京都の夏、名古屋の夏、東京の夏、それぞれの都市に似合いの人や事柄を取り合わすことで暑さの受け取り方も変わってきそうだ。『日暮れ鳥』(2009)所収。(三宅やよい)


November 20112014

 韮レバと叫べば勇気世紀末

                           守屋明俊

韮は甘味があっておいしく、餃子に韮レバに、中華料理になくてはならない食材である。何だか気力が落ちてるな、とか元気を出したいときに食べれば活力が湧いてくる。力を込めて「ニラレバ」とガヤガヤうるさい店の調理場に聞こえるように注文する。その意気込みが「韮レバと叫べば勇気」なのだろう。それにしても「世紀末」の下五が凄い。もう二〇〇〇年はだいぶ過ぎてしまったけど世紀の変わり目の不安漂う中で「韮レバ」と元気よく注文して新しい世紀に乗り出すこんな句を作りたかった。掲載句と出会って思った。『守屋明俊句集』(2014)所収。(三宅やよい)


March 2632015

 携帯電話は悲しき玩具春の虹

                           守屋明俊

車で通勤する毎日、対面の七人掛けの席を見るとスマートフォンをのぞく人ばかりで本を読んだり、新聞を読んだりする人はほとんどいない。かくいう私もタブレットと二つ折りの携帯電話を持ち歩き四角い画面と向き合っているわけで、考えれば携帯電話やパソコンのなかった時代と生活実態が全く違っている。SNSで日々やりとりをする時間は限りなく短縮され、ためいきや愚痴に過ぎないものがとめどなく流されてゆく。春の虹は夢のようにはかなく淡い存在、歌のいろいろを「悲しき玩具」と言った啄木と似た心持ちが携帯電話を握り占める心にはあるのかもしれない。『守屋明俊句集』(2014)所収。(三宅やよい)


September 1092015

 広げたる指すみずみに秋の風

                           守屋明俊

のうだるような暑さがひどかったせいか、とりわけ秋の風がありがたく感じられる。秋を知らせる初秋の風をとくに「初秋風」と言うことがあったと山本健吉解説の「大歳時記」にはある。日が衰え、秋風は次第に冷たくなり寂しさも増してくる。秋のあわれさを感じさせる中心に秋風があることは間違えないようだ。まだ暑さが完全に行き過ぎない九月はとりわけ吹き抜ける風に敏感になるころ。広げた五本の指のすみずみにひんやりとした秋の風が通ってゆく、指を吹きとおってゆく風は春風でも寒風でもなく、秋の風でなければならない。単純で当たり前なように思えるけど身体で感じる秋をなかなかこうは表現できない。『守屋明俊句集』(2014)所収。(三宅やよい)




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