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September 2491999

 満月や泥酔という父の華

                           佐川啓子

月というと、俳句では仲秋の名月を指す。陰暦八月十五日の月(すなわち、今宵の月だ)。蕪村に「盗人の首領歌よむけふの月」があり、大泥棒までが風流心にとらわれてしまうほどに美しいとされてきた。「けふ(今日)の月」も名月を言う。したがって、名月を賞でる歌は数限りないが、この句は異色だ。名月やら何やらにかこつけては飲み、いつも泥酔していた父。生前はやりきれなく思っていたけれど、今となっては、あれが「父の華(はな)」だったのだと思うようになった。今宵は満月。酔っぱらった父が、なんだか隣の部屋にでもいるようである……。泥酔に華を見るとは、一見奇異にも感じられるが、そうでもあるまい。死者を思い出すというとき、私たちもまた、その人の美点だけをよすがとするわけではないからだ。本音ではむしろ、欠点のほうを微笑しつつ思い返すことのほうが多いのではなかろうか。その意味からして、心あたたまる句だ。ところで、季語の名月には他にも「明月」など様々な言い換えがあり、なかに「三五(さんご)の月」もある。十五は三掛ける五だからという判じ物だが、掛け算を知っていることが洒落に通じる時代もあったということですね。(清水哲男)




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