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December 20121999

 親も子も酔へばねる気よ卵酒

                           炭 太祇

つあつを飲むから、汗が出る。したがって、昔から風邪の熱さましとして愛飲されてきた。作者は江戸期の人。アルコール分が少ないので、子供でも飲めるのが卵酒(玉子酒)だ。家族みんなで楽しめる。家の誰かが風邪を引くと、さっそく玉子酒を作り、みんなでお相伴にあずかるというわけだ。風邪引きも、また楽し……かな。とはいえ、やはり酒は酒だ。飲むうちに、いい心持ちになってくる。寝るには早い時間だが、ままよ、眠くなったら寝ちまおうぜと、親子揃っての暢気な気分がまた心地よい。ところで、あなたは玉子酒を作ったことがありますか。講談社から出たばかりの『新日本大歳時記・冬』を見ていたら、林徹氏がレシピ付きの解説を書いていたのでお裾分け。「一合の日本酒に砂糖大さじ三杯を加えて煮立て、酒が沸いてアルコール分が十分蒸発したとき、マッチの火でアルコール分を燃やしきり、これに卵黄をそそいでよく掻き回し、煮詰まらないうちに飲む」のである。お試しください。ただし、パソコンの無料ソフトと同様に、この作り方を実行して、いかなる事態があなたやあなたの家族に起ころうとも、当方は一切責任を負いかねますのでご了承を(笑)。(清水哲男)


January 2112000

 うつくしき日和となりぬ雪のうへ

                           炭 太祇

国というほどではないけれど、でも、一冬に一度か二度は深い雪のために学校が休みになった。そんな土地で育ったから、この句の味わいはよくわかる。降雪の後の晴天の景色は、たしかに「うつくしき」としか言いようがない。目を開けていられないほどの眩しさ。うかつに軒下などに立っていると、ドサリと雪が落ちてきたり……。そんななかを登校するのは、楽しかった。一里の道のりなど、苦にならなかった。多田道太郎さんの新著『新選俳句歳時記』(潮出版社)に、この句が引かれている。「『うつくしきひより』とはいいことばだな。『うつくしい』『ひより』って忘れられた良い日本語」と書かれている。多田さん、同感です。「うつくしい」は「きれい」とは違いますからね。私が学生時代を過ごしたころの京都では、まだ「うつくしい」という言葉が日常的に生きて使われていた。とくに女性たちは、よく使っていた。「きれい」というとんがった言葉では表現できない「うつくしさ」が、当の女性たちにも備わっていた。いまでも使っている「京女」はいるだろうか。いるような気はする。(清水哲男)


July 2272007

 うつす手に光る蛍や指のまた

                           炭 太祇

しかちょうど一年前の暑い盛りだったと思います。日記をめくってみたら7月16日の日曜日でした。腕で汗をぬぐいながら歩いていると、前方を歩く八木幹夫さんの姿を見つけたのです。後を追って、神田神保町の学士会館で開かれた「増俳記念会の日」に参加したのでした。その日の兼題が「蛍」でした。掲句を読んでそれを思い出したのです。あの日、選ばれた「蛍」の句を、清水さんが紹介されていた姿を思い出します。さて、「うつす」は「移す」と書くのでしょうか。しずかにそっと壊さないで移動することを言っているのでしょう。それでも、わざわざひらがなで書かれているので、「映す」という文字も思い浮かびます。手のひらに蛍がその光で、姿を反映している様です。つかまえた蛍を両手で囲えば、「指のまた」が、人の透ける場所として目の前に現れます。こんなに薄い部位をわたしたちの肉体は持っていたのかと、あらためて気付きます。句はあくまでもひっそりと輝いています。思わずからだを乗り出して目を凝らしたくなるようです。蛍をつかまえたことのないわたしにも近しく感じるのは、この句が蛍だけではなく、蛍に照らし返された人のあやうさをも詠んでいるからなのです。『俳句鑑賞歳時記』(2000・角川書店)所載。(松下育男)


May 2252011

 目の覚める時を朝なり五月雨

                           炭 太祇

まり、朝になったから起きるのではなく、目が覚めたその時が朝なのだよと、そのような意味なのでしょうか。起きて行動を起こすための眠りではなく、眠りそのもののための眠りを、しっかりととった後の目覚めです。句を読んでいるだけで、長い欠伸が出てきそうです。そういえば、眠りの中でずっと聞こえていた音は、窓の外に途切れることなく降る雨の音だったかと、目覚めて後に布団の中で気づくのです。なんだかこの雨も、そんなにあせって生きることはない、もっと体を休めていてもいいのだよという、優しい説得のようにも聞こえてきます。もちろん、いつもいつもでは困りますが、たまには、五月雨の許可を得て、目を閉じ、そのまま次の夢へ落ちて行ってもいいのかもしれません。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


November 06112011

 芝居見る後侘びしや秋の雨

                           炭 太祇

者は江戸時代の人ですから、ここでいう芝居は歌舞伎のことなのでしょう。芝居小屋の中では、夢見るように過ぎて行った華やかな時間が、外に出た瞬間に消えてしまったわけです。気分は急に現実にもどって、冷たい風が吹いているなと思って空を見上げれば、細い雨がそれなりの密度で降っています。この句が素敵なのは、芝居と現実の境目の線がくっきりと描かれているところです。日々の生活は地味なものだし、悩み事はいつだってあります。たまには芝居にうっとりして、あれやこれやのいやなことを忘れる時間がなければ、人生、やってられないよと、自分を慰めながら雨の道を歩き出すわけです。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


July 2972012

 橋おちて人岸にあり夏の月

                           炭 太祇

太祇(たんたいぎ)は江戸に育ちました。四十歳を過ぎて京都に上り、島原の遊郭内に不夜庵を結び、晩年は、しばしば蕪村と交わっています。梅雨出水(つゆでみず)で落ちた橋を、百メートル以上のスケールとして読んでみると、物見高い見物衆も、祭りや花火に集うようなそぞろ歩きです。橋が落ちた自然災害を深刻にとらえず、夕涼み恰好の風物にしてしまうところに、江戸時代の浮世を感じます。大雨の後の空は澄み切って、月は皓皓と涼しげです。この時代、物は簡 単に壊れるものでした。というよりも、壊れうるものだという覚悟がありました。それは、人力で組み立てた木橋には、しょせん、大水にはかなわない諦めがあったからでしょう。奈良時代、すでに無常を「飛鳥川の淵瀬」にたとえています。それが、平安末期、鴨長明になると「ゆく川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず」(方丈記)となり、江戸の掲句では「人岸にあり」という集団描写になって、無常を見物にしてしまっています。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


May 0552013

 傾城の朝風呂匂ふ菖蒲かな

                           炭 太祇

月五日の今日は立夏。端午の節句に菖蒲(しょうぶ)の葉を入れて浴する風習は、今も続いています。邪気を払い、心身を清める菖蒲湯は室町時代からあるようで、江戸時代には俳句にも詠まれています。作者・炭太祇(たんたいぎ)は、京都島原の遊郭内に不夜庵を結び、蕪村と交わり多くの佳吟を残しています。掲句の「傾城」(けいせい)は、遊郭のこと。ここへの出入りが頻繁になりすぎると城が傾くといういわれから、遊郭の別称となりました。廓(くるわ)は字のごとく城郭のように四方を囲まれた幕府公認の遊里。江戸時代は諸大名臣下の単身赴任も多く、また、政治的な暴徒を一挙に取り締まれる治安の意味もありました。そんな、お上の意図なんぞにはお構いなしの掲句の風情は呑気です。菖蒲の香る朝風呂に入っているのは、夜通し和歌、俳諧、歌舞、音曲、色道に遊び通した粋人、お大尽でしょう。同時に、そんな極楽とんぼにあやうさをもかぎとって傾城となるのでしょう。以下蛇足。平安時代の旧暦五月は田植えの時期なので、田に生命を宿すために、宮中では情交を控えていました。ただし、五月五日だけは 例外で、女たちが積極的に男を招待し、人形などを飾ってもてなす風習があったことを「源氏物語」では伝えています。げんざい、それは五月人形にかたちを変えて伝わっていますが、武蔵府中の「くらやみ祭」など、各地で五月五日に行われる例大祭にもそんな艶やかな名残があるのかもしれません。「日本大歳時記・夏」(1982・講談社)所載。(小笠原高志)


November 03112013

 石榴喰ふ女かしこうほどきけり

                           炭 太祇

榴(ざくろ)はペルシャ原産で、平安時代に伝わっています。鬼子母神の座像は、右手に吉祥果(ざくろ)を持っています。仏説では、千人の子を持つ鬼女・鬼子母神が、他人の赤子を喰らうのを戒める代わりに石榴を与え、以後、改悛して子育ての神となったということです。なお、鬼子母神のルーツは、ギリシャの女神・テュケであることを数年前の「アレクサンドロス展」で知りました。ギリシャ・マケドニアの大王がペルシャを通過して、東征したときに付随して伝わった物や事柄は多く、石榴もまた、そのように日本に流れついた一つなのかもしれません。炭太祇(1771没)はご存知、京都・島原廓内の不夜庵住まい。掲句は、遊女の客が持参した石榴なのか、赤く小さな実を一粒ずつけなげにほぐしている様子です。指と唇がかすかに赤く染まった遊女は、鬼子母神の石榴の由来を知りません。一心に石榴を喰う女と、それを見ている作者。無邪気な中に、無惨さもあり、しかし、眼差しには慈しみがあるでしょう。『近世俳句俳文集』(1963)所載。(小笠原高志)


May 2352014

 ちぎり捨てあり山吹の花と葉と

                           波多野爽波

祇に「山吹や葉に花に葉に花に葉に」の句がある。山吹の花が咲いている様子を描写したものだ。爽波の句は、太祇の句を思い出させるが、情景は全く異なっている。爽波の句は山吹の花と葉が、ちぎり捨ててある情景を詠っている。意味的には、「山吹の花と葉とちぎり捨てあり」だが、定型に収まるように、倒置法を用いている。前半の「ちぎり捨てあり」で一呼吸休止して、「山吹の花と葉」がおもむろに提示される。爽波写生句の代表作である。『湯呑』(昭和56年)所収。(中岡毅雄)




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