メ田句

January 2512000

 鬱としてはしかの家に雪だるま

                           辻田克巳

びに出られない子供のために、家人が作ってやったのだろう。はしかの子の家には友だちも来ないから、庭も静まりかえっている。家の窓からは、高熱の子がじいっと雪だるまを眺めている。なんだか、雪だるまの表情までが鬱々(うつうつ)としているようだ。雪だるまには明るい句が多いので、この句は異色と言ってよい。どんな歳時記にも載っているのが、松本たかしの「雪だるま星のおしゃべりぺちゃくちゃと」だ。「星のおしゃべり」という発想は、どこか西欧風のメルヘンの世界を思わせる。したがって、この場合の雪だるまは「スノーマン」のほうが似合うと思う。スヌーピーの漫画なんかに出てくる、あの鼻にニンジンを使った雪人形だ。よりリアルにというのが彼の地の発想だから、よくは知らないが、日本のように団子を二つ重ねた形状のものは作られないようだ。どうかすると、マフラーまで巻いたりしている。こんなところにも、文化の違いが出ていて面白い(外国にお住まいの読者で、もし日本的な雪だるまを見かけられたら、お知らせください)。雪だるまの名称は、もちろん達磨大師の座禅姿によっている。だから、堅いことを言えば、ホウキなどの手をつけるのは邪道だ。それだと、修業の足りない「達磨さん」になってしまうから。(清水哲男)


June 0462000

 緑蔭に読みくたびれし指栞

                           辻田克巳

んやりとした日蔭での読書。公園だろうか。日差しを避けて、大きな木の下のベンチで本を読んでいるうちに、さすがにくたびれてきた。読んだページに栞(しおり)がわりに指をはさみ、あらためてぐるりを見渡しているという図。木の間がくれに煌めく夏の陽光はまぶしく、心は徐々に本の世界から抜け出していく。体験された読者も多いだろう。「指栞」が、よく戸外での読書の雰囲気を伝えている。これからの季節、緑蔭で読むのもよいが、私にはもう一箇所、楽しみな場所がある。ビアホールだ。それも、昼さがりのがらんとした店。最高の条件にあるのが、銀座のライオン本店だけれど、残念なことに遠くてなかなか足を運べない。若いころに、あそこで白髪の紳士が静かにひとり洋書を読んでいるのを見かけて、憧れた。さっそく試してみたかったが、若いのがあそこで読む姿はキザで鼻持ちならない感じになると思い、五十歳くらいまでは自重していた。で、「もう、よかろう」と思う年齢になって試してみたら、これが快適。適度なアルコールには雑音を遮る効用があるので、驚くほどに本に没入できたのだった。以来、ビアホール読書に魅入られている。当然のように、疲れると「指栞」となる。『今はじめる人のための俳句歳時記・夏』(1997・角川書店)所載。(清水哲男)


December 12122001

 ボーナスやビルを零れて人帰る

                           辻田克巳

語は「ボーナス」で冬。六月にも出るけれど、十二月のほうがメインということだろう。最近は給料と同様に、銀行振込みの会社がほとんどだ。「列なして得しボーナスの紙片のみ」(丁野弘)なのだから、昔を知る人にはまことに味気ない。掲句は、現金支給時代のオフィス街での即吟と読める。ボーナス日の退社時に、ビルから人が出てくる様子を「零(こぼ)れて」とは言い得て妙だ。ボーナスの入った封筒を胸に家路を急ぐ人ばかりだから、みな足早に出てくる。まさか押し合いへし合いではないにしても、ちょっとそんな雰囲気もあり、普段とは違って溢れ「零れて」出てくる感じがしたのである。家では妻子が、特別なご馳走を用意して「お父さん」の帰りを待っていた時代だ。我が家では、たしかすき焼きだったと思う。そんな社会的背景を意識して読むと、句の「人」がみな、とてもいとおしく思えてくる。誰かれに「一年間、ご苦労さま」と、声をかけてあげたくなるではないか。昔はよかった。それがいつの頃からか、ボーナスが真の意味でのボーナスではなくなり、完全に生活給になってしまった。「ボーナスは赤字の埋めとのたまへり」(後藤紅郎)と、一家の大黒柱も力なく笑うしかなくなったのである。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)


January 0412002

 初仕事コンクリートを叩き割り

                           辻田克巳

語は「初仕事(仕事始)」で、まだ松の内だから新年の部に分類する。建設のための破壊ではあるが、まずは「コンクリートを叩き割る」のが仕事始めとは、一読大いに気持ちがすっきりした。たぶん「叩き割」っているのは作者ではなく、たまたま見かけた光景か、あるいはまったくの想像によるものか。いずれにしても、作者には何か鬱積した気持ちがあって、そんなこんなを力いっぱい「叩き割」りたい思いを、掲句に託したのだと思う。考えてみれば、誰にはばかることなく、何かを白昼堂々と物理的に「叩き割」れるのは、一部の職業の人にかぎられる。大木を伐り倒すような仕事も、同様の職業ジャンルに入るだろう。「叩き割る」や「伐り倒す」どころか、たとえば人前で大声を発することすら、ほとんどの人にはできない相談なのだ。したがって「叩き割る」当人の思いがどうであれ、この句に爽快感を覚えるのは、そうした私たちの日頃の鬱屈感に根ざしている。そういえば、私が最後に何かを叩き割ったのは、いつごろのことだったか。中学一年の教室での喧嘩で、友人の大切にしていたグラブにつける油の瓶を叩き割ったのが、おそらくは最後だろう。以来、コップ一つ叩き割らない日々が、もう半世紀近くもつづいている……。『新日本大歳時記・新年』(2000・講談社)所載。(清水哲男)


December 27122002

 一舟もなくて沖まで年の暮

                           辻田克巳

はるかす海原には、「一舟(いっしゅう)」の影もない。普段の日だと、どこかに必ず漁をする舟などが浮かんでいるのだが、今日は認めることができない。みな、年内の労働を終えたのだ。いよいよ、今年も暮れていくという感慨がわいてくる。句の要諦は、むろん「沖まで」の措辞にある。「年の暮」の季語は時間を含んでいるので、四次元の世界だ。その時間性を遠い「沖まで」と、三次元化(すなわち、視覚化)してみせたところが素晴らしい。つまり、意図的に時間を景色に置き換えている。作者は、見えないはずの「年の暮」の時間性を「沖まで」と三次元的に表現することにより、読者にくっきりと見せているのだ。ここで、読者は作者とともに遥かな沖を遠望して、束の間、ふっと時間を忘れてしまう。そして、またふっと我に帰ったところで、あらためて「年の暮」という時間を噛みしめることになる。へ理屈をこねれば、時間を忘れている束の間もまた時間なのだが、この束の間の時間性よりも、句では束の間の無時間性、空白性を訴える力のほうがより強いと思う。時間を束の間忘れたからこそ、あらためて「年の暮」の時間が身にしみて感じられるのである。「俳句界」(2003年1月号)所載。(清水哲男)


February 0922004

 春寒のペン画の街へ麺麭買ひに

                           辻田克巳

なお寒い街の様子を、ずばり「ペン画の街」と言ったところに魅かれた。なるほど、暖かい春の日の街であれば水彩画のようだが、寒さから来るギザギザした感じやモノクローム感は、たしかにペン画りものだ。そんな街に「麺麭(パン)」を買いに出る。焼きたてのパンのふわふわした質感と甘い香りが、肩をすぼめるようにしてペン画の街を行く作者を待っている。このときに、「麺麭」はやがて訪れる本格的な春の小さな比喩として機能している。いや、こんなふうに乱暴に分析してしまっては面白くない。もう少しぼんやりと、寒い街を歩いていく先にある何か心温まる小さなものを、読者は作者とともに楽しみにできれば、それでよいのである。ところでペン画といえば、六十代以上の世代にとっては、なんといっても樺島勝一のそれだろう。彼は最近、戦前に人気を博した漫画『正チャンノ冒険』が復刻されて話題になった。私の子供のころには「少年クラブ」や「漫画少年」の口絵などを描いていたが、画家としての最盛期は戦前だった。当時は「船の樺島」とまで言われたほどに帆船や戦艦の絵を得意にしていて、山中峯太郎、南洋一郎や海野十三などの少年小説の挿し絵には抜群の人気があったらしい。彼の挿し絵があったからこそ、小説も映えていたのだという人もいる。ぱっと見ると写真をトレースしたのではないかという印象を受けるが、よく見ると、絵は細いペン先で描かれた一本一本のていねいな線の集合体なのだ。もちろん下手糞ながら、私には彼や時代物の伊藤彦造を真似して、ペン画に熱中した時期がある。図画の宿題も、ぜんぶペン画で出していた。仕上げるには非常な根気を必要とするけれど、さながら難しいクロスワードパズルを解いていくように、少しずつ全体像に近づいていく過程は楽しかった。そんな体験もあって、掲句の「ペン画の街」は、人一倍よくわかるような気がするのである。「俳句研究」(2004年2月号・辻田克巳「わたしの平成俳句」)所載。(清水哲男)


July 2472005

 蝉時雨一分の狂ひなきノギス

                           辻田克巳

ノギス
語は「蝉時雨(せみしぐれ)」で夏。近着の雑誌「俳句」(2005年8月号)のグラビアページに載っていた句だ。作者の主宰する「幡」15周年を祝う会が京都であり、その集合写真に添えられていた。私は俳人にはほとんど面識がないこともあり、こういうページもあまり見ないのだが、たまたま面白いアングルからの写真だったので目が止まったというわけだ。最前列の中央の作者からなんとなく目を流していたら、いちばん右側に旧知の竹中宏(「翔臨」主宰)が写っていて、懐かしいなあとしばし豆粒のような彼の顔を眺めていた。まあ、それはともかく、この「ノギス」もずいぶんと懐かしい。簡単に言えば、物の長さを測定する道具だ。外径ばかりではなく、段差やパイプの内径とか深さなども測れる。父親が理工系だった関係から、ノギスだの計算尺だの、あるいは少量の薬品などの重さを量る分銅式の計量器だのが、子供の頃から普通に身辺にあった。それらを私はただ玩具のように扱っただけだけれど、どういうものかは一応わかっているつもりだ。蝉の声が降り注ぐ工場か、あるいは何かの研究室か。ともかく暑さも暑し、注意力や集中力が散漫になりがちな環境のなかで、作者(だと思う)は「一分の狂ひ」もないノギス(精度は0.05ミリないしは0.02ミリ)を使って仕事をしている。測っていると、汗が額や目尻に浮かんでくる。それを拭うでもなく、一点に集中している男の顔……。変なことを言うようだが、「カッコいい」とはこういうことである。良い句だなあ。(清水哲男)


September 2592005

 鳴く雁を仰ぐ六才ともなれば

                           辻田克巳

語は「雁(かり)」で秋。最近、アメリカのサイトで興味深い記事を読んだ。新しいデジカメを買ったので、これまで使っていた古い機種を間もなく五才になる息子に与えてみた。間もなく五才「ともなれば」、一通りの操作はできるようだ。いろいろと彼が撮った写真を見てみると、大人とはかなり被写体への関心が違っているのがわかった。人物写真の多くには顔が映っておらず、またカメラがまっすぐになっているかなどには頓着していない。前者について筆者は、一メートルそこそこの身長では、彼の視野に日頃さして人の顔が入ってこないためだろうと分析し、後者については、その無頓着がユニークなセンスとして表現されていると驚いている。すなわち、大人と子供とでは日常的な視野が違うし、関心の持ちようも大違いというわけだ。それがだんだん成長するに連れ、いわば分別がついてきて、顔のない人物写真などは撮らなくなってしまう。この話の延長上で掲句を捉えると、やはり「六才ともなれば」、五才とはだいぶ違った様子になる。むろん「鳴く雁」に風情を感じているのではないが、仕草だけを見れば、かなり分別くさく写る。子煩悩ならば、その成長ぶりに目を細めることだろう。そしてこの句の良さは、こうした六才の仕草を通じて、読者それぞれに六才だった頃のことを思い出させるところだ。自分のときは、どうだったかな。ときどき書いてきたように、私の六才の空には、たいていB-29の機影と探照灯の光帯があった。「俳句」(2005年10月号)所載。(清水哲男)


May 0252006

 メーデーへ全開の天風おくる

                           辻田克巳

語は「メーデー」で春。二日つづきのメーデー句。「増俳」のこの十年間で、同じ季語の句を二日つづけたことはないはずだが、昨日、およそ四半世紀ぶりにメーデーに参加してきたので、まあ、その後遺症ということでして……(笑)。いや、「参加」ではなくて「見学」程度だったかな。掲句のように、まさに好天。ずいぶんと暑かったけれど、木陰に入ると優しく涼しい「風」が吹いていた。久しぶりにメイン会場に行ってみて印象深かったのは、昔に比べて極端に赤旗の数が減ったことだった。旗の数そのものは多いのだけれど、グリーンだとかブルーだとかと、マイルドな色彩の旗が八割くらいを占めていただろう。人民の血潮を象徴した赤い色は、もはや「平和」な時代にそぐわないということなのか。この現象は、現在の日本の労働組合のありようを、それこそそのまま象徴しているかに思えた。もう一つ、強く印象づけられたのは、私の若い頃とは違い、若者の参加者が極端に減っていることだった。男も女も、たいていが四十代後半以上と見える人たちばかりで、わずかに某医療施設から参加したという若い女性の看護士グループが目立っていた。ここにも、現今の労働組合活動の困難さがかいま見られて、寂しく思ったことである。会場で歌われた歌でも、私が知っていたのは「がんばろう」一曲のみ。かつての三池争議で盛んにうたわれた歌だ。どんなイベントであれ、様変わりしていくのは必然なのではあろうが、「全開の天」の下、しばし私は複雑な心境にとらわれたまま立っていたのであった。『新歳時記・春』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 1382007

 涼み台孫ほどの子と飛角落

                           辻田克巳

台将棋を楽しむ人の姿を見かけなくなった。どころか、日常会話で将棋の話が出ることも珍しい。漫画のおかげでひところ囲碁がブームになったけれど、その後はどうなっているのだろう。いまや遊び事には事欠かない世の中なので、面倒な勝負事を敬遠する人が増えてきたということか。将棋や囲碁の魅力の一つは、掲句のように世代を越えて一緒に遊べることだ。私も小学生のころには、近所の若い衆やおじさんなどとよく指した。指しながらの会話で、大人の世界を垣間見られるのも楽しかった。私は弱かったが、同級生にはなかなか強いのがいた。大人と対戦しても、たぶん一度も負けたことはなかったはずだ。あまりに実力が違うと、句のように、飛車や角行を落としてハンデをつけてもらう。作者は孫ほどの年齢の子にとても歯が立たないので、飛車も角行も落としてもらって対戦している。これは相当なハンデでですが、それでも形勢不利のようですね。こういうときに大人としては口惜しさもあるけれど、私にも覚えがあるが、指しているうちに相手に畏敬の念すら湧いてくることがある。確かに人間には、こちらがいくら力んでもかなわない「天賦の才」というものがあるのだと実感させられる。おそらくは作者にもそうした思いがあって、むしろ劣勢を心地よく受け止めているのではなかろうか。句から、涼しい風が吹いてくる。『ナルキソス』(2007)所収。(清水哲男)


July 0372011

 金魚玉金魚をふつと消す角度

                           辻田克巳

魚玉というのは金魚鉢のことです。ガラスの球形なのだから玉といったのでしょうが、球形は球形でも、上の方は開いていて、フリルのような形にガラスが波打っています。たいていはその波に、赤や青の線が描かれていて、子どもの頃には飽きずに中を覗き込んでいました。どうしてあんなに時間があったのだろうと、不思議になるほどに、ボーっとして金魚を見つめていました。それで何かを学んだかというと、そんなことはなく、ただ意味もなく暇をつぶしていただけなのです。おとなになって、会社勤めを始めてしまってからは、目的もなく何かをじっと見つめている時間なんて、なくなりました。ただただあわただしく、追われるように一日を過ごしています。ふっと消えてしまった大切なものは、あの頃見つめていた金魚玉の中の金魚と、あと何だったかと、考えてしまいます。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


May 2752015

 景気よく閉す扉や冷蔵庫

                           徳川夢声

この家庭でも、冷蔵庫が季節にかかわりなく台所のヌシになってから久しい。「冷蔵庫」が夏の季語であるというのは当然だけれど、今どき異様と言えば異様ではないか。同じく夏の季語である「ビール」だって、四季を通じて冷蔵庫で冷やされている。飲んべえの家では、冷蔵庫のヌシであると言ってもいい。だから歳時記で「冷蔵庫」について、「飲みものや食べものを冷やして飲食を供するのに利用される。氷冷蔵庫、ガス冷蔵庫などもあったが、今日ではみな電気冷蔵庫になり、家庭の必需品となった。」と1989年発行の歳時記に記されているのを改めて読んでみると、しらけてしまう。1950年代後半、白黒テレビ、電気洗濯機とならんで、電気冷蔵庫は三種の神器として家々に普及しはじめた。冷蔵庫の扉はたしかにバタン、バタンと勢いよく閉じられる。普及してまだ珍しい時代には、家族がたいした用もないのに替わるがわる開閉したものだ。せめて冷蔵庫の扉くらいは「景気よく閉す」というのだから、景気の悪い時代に詠まれた句かもしれない。辻田克巳には「冷蔵庫深夜に戻りきて開く」という句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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