早c句

March 0832000

 大人だって大きくなりたい春大地

                           星野早苗

直に、おおらかな良い句だと思った。辻征夫(辻貨物船)の「満月や大人になってもついてくる」に似た心持ちの句だ。三つの「大」という字が入っている。もちろん、作者は視覚的な効果を計算している。辻の句とは違い、技巧の力が働いている。このとき「春大地」の「大」に無理があってはならないが、ごく自然にクリアーした感じに仕上がった。ホッ。だから、句の成り立ちからして、掲句は写生句ではありえない。頭の中の世界だ。その世界を、いかに外側の世界のように出して見せるのか。そのあたりの手品の巧拙が勝負の句で、「船団の会」(坪内稔典代表)メンバーの、とくに女性たちの得意とする分野と言ってよいだろう。が、このような句作姿勢には常に危険が伴うのだと思う。技巧と見せない技巧を使うことに執心するがために、中身がおろそかになる危険性がある。「おろそか」は、技巧の果てに作者も予期しない別世界が出現したときに、「これはこれで面白いね」と自己納得してしまう姿勢に属する。俳句は短い詩型だから、この種の危険性は、なにも「船団俳句」に特有のことではないのだけれど、最近「船団」の人の句をたくさん読んでいるなかで、ふと思ったことではある。『空のさえずる』(2000)所収。(清水哲男)


September 2692000

 秋の箱何でも入るが出てこない

                           星野早苗

ンスのよいナンセンス句。こういう句をばらばらに分解して解説してみても、はじまらない。丸のみにして、作者に説得される楽しさを味わえれば、それでよい。……と言いながら、一つだけ。「秋の箱」でなくたっていいじゃないか。「春の箱」でも「夏の箱」でもよいのではないか。最初そう思って、他の三つの季節に入れ替えてみた。入れ替えて、一つ一つをイメージしてみた(私もヒマだ)。まずは「春の箱」だが、ふにゃふにゃしすぎており「何でも入る」けれど何でも出てくる感じ。「夏」だと、暑苦しくて何も入れたくない。「冬」にすると、箱の堅牢さは保証されるが、「何でも入る」というわけにはいかないようだ。となれば、やっぱり「秋の箱」。透明にして、容積は無限大。だから「何でも入るが出てこない」。むろん作者は、こんな面倒くさい消去法で「秋」をセレクトしたわけではない。パッとそんなふうに閃いたから、パッと「秋の箱」と詠んだのである。どんな句にも「パッ」はつきものだ。いや、「パッ」こそが命だ。理屈は、後からついてくるにすぎない。同じ作者に「高感度のキリン私が見えますか」がある。パッと「高感度」が光っている。ただし、これらの閃きにパッと感応しない読者もいるだろう。それはそれで仕方がない。どちらが悪いというものではない。『空のさえずり』(2000)所収。(清水哲男)




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